◆ はじめに
滋賀県には、「湖東三山」と並んで紅葉の名所として知られる「湖南三山」がある。その一つが、湖南市に佇む常楽寺である。
国宝の本堂と三重塔を有するこの古刹は、奈良時代の創建と伝えられ、中世の面影を今に伝える貴重な寺院として知られている。華やかな観光寺院とは異なり、境内にはどこか素朴で落ち着いた空気が流れ、訪れる人を静かな時間へと誘ってくれる。
秋になると、長い歴史を刻んできた堂塔は色鮮やかな紅葉に包まれ、その景観はまるで一幅の日本画を見るかのようである。賑わいのなかにもどこか静けさがあり、ゆっくりと歩きながら往時の祈りや人々の営みに思いを馳せることができる。
今回は、湖南三山の名刹・常楽寺を訪ね、その由緒や見どころ、そして錦秋に彩られた美しい境内をご紹介したい。

常楽寺の由緒
常楽寺(じょうらくじ)は、滋賀県湖南市にある天台宗系単立の寺院で、山号を阿星山(あぼしさん)という。令和4年(2022年)に天台宗から離脱し、現在は単立寺院となっている。本尊は秘仏の千手観音坐像で、近江西国三十三観音霊場の第1番札所として広く信仰を集めている。
寺伝によれば、常楽寺は奈良時代初期の和銅年間(708年~715年)、元明天皇の勅願により良弁(ろうべん)が創建したと伝えられる。古くは都や紫香楽宮の鬼門鎮護の寺として位置づけられ、阿星山の山麓に広がる天台仏教圏「阿星山五千坊」の中心寺院として栄えた。
その後、延暦年間(782年~806年)に天台宗寺院となり、平安時代から鎌倉時代にかけては、近隣の長寿寺とともに歴代天皇の厚い崇敬を受けた。最盛期には「阿星山五千坊」と呼ばれる一大仏教文化圏を形成したと伝えられている。
しかし延文5年(1360年)、落雷による火災で本堂をはじめとする伽藍の多くが焼失した。本堂は同年中に再建され、その後、応永7年(1400年)には三重塔も再建された。現在の本堂と三重塔はいずれも国宝に指定されており、室町時代の優れた寺院建築として高く評価されている。
また常楽寺は、同じ湖南市にある長寿寺が「東寺(ひがしでら)」と呼ばれるのに対し、「西寺(にしでら)」の名で親しまれてきた。長寿寺、善水寺とともに「湖南三山」の一つに数えられ、紅葉の名所としても知られている。

常楽寺を歩く
滋賀県湖南市にある常楽寺は、国宝の本堂と三重塔が静かに佇む、湖南三山を代表する古刹である。
この寺の最大の魅力は、南北朝時代から室町時代にかけて再建された伽藍が現在も良好な状態で残り、中世寺院の美しさを今に伝えていることである。境内に一歩足を踏み入れると、長い歳月を超えて受け継がれてきた祈りの空間に包まれる。
● 本堂(国宝)──中世天台密教寺院の壮麗な遺構
現在の本堂は、延文5年(1360年)の落雷火災による焼失後に再建されたもので、室町時代初期を代表する仏堂建築として国宝に指定されている。
檜皮葺の入母屋造りによる堂々たる姿は、力強さと優美さを兼ね備え、中世天台密教寺院の風格を今に伝える。堂内には本尊の千手観音坐像をはじめ、二十八部衆立像など重要文化財の仏像群が安置されており、厳粛で神秘的な空気が漂っている。
● 三重塔(国宝)──本堂と響き合う優美な塔姿
本堂の左後方、一段高い場所には国宝の三重塔が建つ。
この塔は応永7年(1400年)の再建で、室町時代を代表する三重塔のひとつとされる。均整の取れた美しい姿は、見る角度によってさまざまな表情を見せてくれる。
なかでも、本堂の大きな屋根越しに三重塔を望む眺めは格別で、常楽寺を象徴する景観として多くの参拝者を魅了している。中世の地方密教寺院らしい伽藍配置を今に伝える貴重な風景でもある。


● 境内を彩る四季の自然── とりわけ美しい紅葉
常楽寺では、春のツツジやサツキ、夏の深い緑、冬の雪景色など、一年を通して季節の表情を楽しむことができる。
なかでも秋の紅葉は見事で、国宝の本堂と三重塔を包み込むように色づく木々が境内を鮮やかに染め上げる。観光客で賑わう名所でありながら、湖南三山のなかでも比較的静かな雰囲気が保たれており、ゆったりと散策しながら中世の寺院世界に浸ることができる。
静寂のなかで眺める檜皮葺の屋根と紅葉の組み合わせは、まさに「錦秋に映える名刹」という題名にふさわしい美しさである。
● かつての仁王門と参拝の注意点
現在、園城寺(三井寺)の表門として知られる大門(仁王門・重要文化財)は、もともと常楽寺の仁王門として建立された建物である。豊臣秀吉によって伏見城に移され、その後、徳川家康によって慶長6年(1601年)に三井寺へ移築されたと伝えられている。
なお、常楽寺は住職一人によって護持されているため、秋の「湖南三山紅葉めぐり」期間を除き、拝観は事前予約制となっている。予約がない場合は境内に入れないこともあるので、春夏冬に訪れる際は事前に確認しておきたい。
国宝の本堂と三重塔を眺めながら境内を歩いていると、阿星山五千坊と呼ばれた往時の繁栄が静かによみがえってくる。華やかな紅葉の美しさだけでなく、六百年以上にわたって受け継がれてきた祈りの歴史を感じられることこそ、常楽寺を訪れる最大の魅力であろう。
| 名 称 | 阿星山 常楽寺 |
| 所在地 | 滋賀県湖南市西寺6丁目5-1 |
| TEL | 0748-77-3089 |
| 駐車場 | あり(無料) |
| 入山料 | 大人600円 |
| Link | 常楽寺 | 湖南三山常楽寺 |
常楽寺の紅葉
常楽寺の紅葉の魅力は、国宝の本堂や三重塔と鮮やかなカエデが織りなす、落ち着いた美しさにある。華やかさを競う紅葉名所とは異なり、中世のたたずまいを今に伝える古建築と紅葉が静かに調和する姿には、「引き算の美」とも呼びたくなる趣がある。
湖南三山(常楽寺・長寿寺・善水寺)のなかでも、常楽寺は特に静寂に包まれた雰囲気が漂い、喧騒を離れてゆっくりと秋の風情に浸ることができる。
紅葉の見頃は例年11月中旬から12月上旬で、とりわけ11月下旬には境内一帯が鮮やかな色彩に包まれる。毎年この時期には「湖南三山紅葉めぐり」が開催され、普段は事前予約制となっている本堂も特別公開される。

● 本堂の屋根越しに仰ぎ見る三重塔と紅葉
常楽寺を代表する景観が、本堂と三重塔を紅葉が彩るこの眺めである。
本堂脇から三重塔へと続く石段を登り、ふと振り返ると、重厚な檜皮葺の屋根の向こうに、紅葉に包まれた三重塔が端正な姿を現す。中世の伽藍と秋の彩りが織りなす風景はまるで一幅の日本画のようであり、多くの参拝者が足を止める撮影スポットとなっている。

● 参道を包む紅葉のトンネル
山門から本堂へ続く参道は、秋になると色づいたカエデに覆われる。
頭上には赤や黄に染まった枝葉が広がり、参道全体が紅葉のトンネルのような趣を見せる。木漏れ日に照らされた紅葉が揺れる光景は美しく、山門をくぐった瞬間から訪れる人を秋の世界へと誘ってくれる。

● 苔の緑と紅葉が織りなす色彩の妙
常楽寺の境内では、紅葉だけでなく苔の美しさにも目を向けたい。
深い緑の苔の上に、赤や橙の落葉が静かに積もる様子は、派手さこそないものの心に残る美しさを見せてくれる。鮮やかな紅葉と落ち着いた苔との対比は見事で、写真愛好家にも人気の風景である。
● 散策路から眺める紅葉の絶景
本堂や三重塔の周囲には散策路が整備されている。
少し高い場所から境内を見下ろすと、紅葉に包まれた国宝の堂塔が一望できる。赤く染まるモミジと歴史ある伽藍が調和する景観は、常楽寺ならではの魅力であり、湖南三山の紅葉を代表する風景のひとつといえる。

常楽寺の紅葉は、華やかさよりも静かな美しさを味わうための紅葉である。国宝の本堂と三重塔、そして色づく木々が織りなす風景を眺めていると、六百年以上の歳月を超えて受け継がれてきた祈りの歴史が、秋の静寂のなかにそっと息づいていることを感じる。
◆ あとがき
常楽寺を歩いていると、国宝の本堂や三重塔の美しさはもちろんのこと、六百年以上もの歳月を経てなお受け継がれてきた祈りの歴史の重みを感じる。
紅葉の名所は数多くあるが、常楽寺の魅力は華やかさだけではない。静かな境内に身を置き、風に揺れる紅葉を眺めていると、日々の忙しさを忘れ、心が自然と落ち着いていく。そこには、長い年月を超えて守り継がれてきた古刹ならではの深い安らぎがある。
人生の秋を歩む私たちシニア世代にとっても、常楽寺の風景はどこか心に響くものがある。移ろいゆく自然の美しさを受け入れながら、その一瞬一瞬を慈しむことの大切さを、紅葉に包まれた境内が静かに語りかけてくれるように思えた。
湖南三山を訪ねる機会があれば、ぜひ常楽寺にも足を運んでみていただきたい。国宝の堂塔と鮮やかな紅葉が織りなす錦秋の風景は、きっと心に残る旅のひとときとなるだろう。
