百済寺を訪ねて──天空の古刹に広がる秋の絶景

<目次>
はじめに
百済寺の由緒
百済寺を歩く
百済寺の紅葉
あとがき



◆ はじめに



湖東三山の一つに数えられる百済寺は、鈴鹿山脈の西麓に広がる山岳寺院である。聖徳太子の創建と伝えられるこの古刹は、「湖東の小叡山」と称されるほどの隆盛を誇り、中世には近江有数の大寺院として栄えた。

現在も境内には往時を偲ばせる石垣や坊跡が数多く残されており、歩いているだけで歴史の重みを感じることができる。

そして百済寺を訪れた人を魅了するもう一つの理由が、その眺望である。山の中腹に開けた境内からは近江盆地が一望でき、晴れた日には琵琶湖や比叡山まで見渡すことができる。その雄大な景色から、本坊庭園は「天下遠望の名園」と呼ばれている。

私が訪れたのは紅葉の季節であった。山腹に広がる木々は赤や黄金色に染まり、石垣や伽藍を美しく彩っていた。遠望台から見下ろす秋景色は実に壮大で、まるで近江の大地そのものが紅葉に包まれているかのようであった。

今回は、湖東三山最古の歴史を誇る百済寺の由緒と見どころ、そして「百済寺赤」と称される秋の絶景をご紹介したい。天空の古刹を歩きながら、千四百年の歴史が育んだ祈りと風景に触れていただければ幸いである。


百済寺の由緒

百済寺(ひゃくさいじ)は、滋賀県東近江市にある天台宗の寺院で、山号を釈迦山(しゃかさん)という。本尊は十一面観音であり、境内は国の史跡に指定されている。

「釈迦山」という山号は全国的にも極めて珍しく、百済寺のみが称する山号として知られている。また、西明寺、金剛輪寺とともに湖東三山の一つに数えられ、古くから近江を代表する名刹として多くの人々の信仰を集めてきた。

寺伝によれば、百済寺は推古天皇14年(606)、聖徳太子によって創建されたと伝えられる。

当時、聖徳太子は高句麗(こうくり)の僧・恵慈とともにこの地を訪れた際、山中に不思議な光を見たという。その光をたどると一本の霊杉が輝いており、太子はその霊木を根を残したまま刻んで十一面観音像を造立した。そして、その尊像を囲むように堂を建てたことが百済寺の始まりとされている。

寺号の「百済寺」は、聖徳太子が篤く帰依していた朝鮮半島の百済ゆかりの寺院「龍雲寺」にちなむとも伝えられている。

平安時代に入ると、百済寺は比叡山延暦寺の勢力下に入り、天台宗寺院として発展した。やがて「湖東の小叡山」あるいは「天台別院」と称されるほどの規模を誇り、近江有数の大寺院へと成長した。

最盛期には北谷・東谷・西谷・南谷の四つの谷に数多くの堂宇や僧坊が建ち並び、その数は千坊近くに及んだと伝えられている。現在も境内各所に残る石垣や坊跡が、往時の繁栄を静かに物語っている。

しかし明応7年(1498)の火災によって本堂周辺が焼失し、さらに永正元年(1504)頃には六角高頼と伊庭氏との争いに巻き込まれ、大半の伽藍が失われた。創建以来受け継がれてきた堂宇のみならず、多くの仏像や寺宝、古記録までもが焼失したという。

それでも百済寺は再び寺勢を回復し、その壮大な景観は多くの人々を魅了した。戦国時代に来日した宣教師ルイス・フロイスは、その美しさを「地上の楽園」と称えたと伝えられている。

ところが天正元年(1573)、百済寺は再び大きな試練に見舞われる。織田信長に抗していた六角承禎が近くの鯰江城に籠城した際、百済寺が六角氏に協力したため、信長による焼討ちを受けて伽藍はことごとく焼失した。

しかし本尊の十一面観音像は、あらかじめ約八キロ離れた奥の院へ避難させていたため難を逃れたと伝えられる。

その後、天正12年(1584)には堀秀政によって仮本堂が建立され、江戸時代に入ると徳川秀忠や彦根藩の支援を受けながら復興が進められた。

寛永11年(1634)には天海大僧正の弟子・亮算が入山し、本格的な再建が始まる。そして慶安3年(1650)には本堂、仁王門、赤門などが完成し、百済寺は再び法灯を輝かせることとなった。

現在残る伽藍の多くは、この江戸時代の復興によって再建されたものである。

参道沿いには、百坊跡、二百坊跡、七百坊跡と呼ばれる石垣群が今も残されている。往時にはこの一帯に数多くの僧坊が立ち並び、「湖東の小叡山」と称えられた壮大な寺域が広がっていたことを想像させる。

山腹に広がる静かな境内を歩いていると、千四百年以上にわたる祈りの歴史が、今もなおこの地に息づいていることを感じるのである。


百済寺を歩く

湖東三山の中で最も古い歴史を持つ百済寺は、豊かな自然と重厚な石垣が調和する山岳寺院である。

境内へ一歩足を踏み入れると、随所に残る石垣群が目に入る。その姿は寺院というよりも山城を思わせ、かつて「湖東の小叡山」と称された大寺院の面影を今に伝えている。

百済寺は山の中腹に位置するため、車でのアクセスが便利である。公共交通機関を利用する場合はタクシーや路線バスを組み合わせることになるが、紅葉の季節には湖東三山シャトルバスも運行される。

境内は比較的広く、石段や坂道も多い。そのため、ゆっくり散策できる服装と歩きやすい靴で訪れるのがおすすめである。


● 赤門と仁王門(大わらじ)

百済寺の参拝は、鮮やかな赤門から始まる。参道を進むと本坊である喜見院があり、その先の石段を上ると仁王門が姿を現す。

仁王門には長さ約3メートルにも及ぶ巨大な「大わらじ」が奉納されている。古くから、この大わらじに触れると身体健全、とりわけ足腰の健康にご利益があると信仰されてきた。

長い参道を歩く前に手を合わせると、旅の安全を願う昔の人々の思いが自然と伝わってくるようである。


● 本堂(重要文化財)と十一面観音

仁王門をくぐり、さらに石段を上ると本堂に至る。現在の本堂は慶安3年(1650)に再建されたもので、入母屋造・檜皮葺の端正な姿が印象的である。

本堂には本尊である十一面観音(植木観音)が祀られている。寺伝によれば、聖徳太子が霊木を刻んで造立したと伝えられ、「植木観音」の名で篤い信仰を集めてきた。

かつては現在地の背後にさらに大規模な本堂が建ち、その南側には五重塔もそびえていたという。往時の百済寺がいかに壮大な寺院であったかを想像させる。


● 鐘楼(東近江市指定有形文化財)

本堂近くに建つ鐘楼は、東近江市指定有形文化財となっている。

山中の静寂の中に佇む鐘楼は派手さこそないが、古刹らしい落ち着いた風情を漂わせている。

秋には周囲の紅葉に彩られ、歴史ある寺院の佇まきをいっそう趣深いものにしている。


● 本坊庭園「天下遠望の名園」

百済寺を訪れたなら、ぜひ本坊庭園も見学したい。この庭園は「天下遠望の名園」と呼ばれ、昭和を代表する作庭家・山村文七郎によって築かれた池泉回遊・観賞式庭園である。

山の地形を巧みに生かして作られた庭園を歩いていくと、最上部の展望所から壮大な景色が広がる。眼下には近江盆地が横たわり、その向こうには琵琶湖や比叡山、さらには鈴鹿山脈までを望むことができる。

この絶景こそが「天下遠望」の名の由来であり、百済寺が「天空の古刹」と呼ばれる理由の一つでもある。


● 城郭を思わせる百間石垣

百済寺を歩いていて印象的なのが、各所に残る壮大な石垣群である。とりわけ百間石垣は、往時の寺勢を今に伝える貴重な遺構として知られている。

戦国時代、織田信長による焼討ちによって伽藍は焼失したものの、石垣の多くは現在まで残されている。

苔むした巨石が長く連なる景観には、寺院の静けさと城郭の力強さが同居しているような不思議な魅力がある。

石垣の間を歩いていると、この場所に千坊近い堂宇や僧坊が建ち並び、多くの僧侶たちが修行に励んでいた往時の姿が目に浮かぶようである。


百済寺の境内を巡って感じるのは、その壮大なスケールである。

国宝や重要文化財が集中する西明寺や金剛輪寺とは少し趣が異なり、百済寺には往時の巨大寺院の面影が色濃く残っている。

石垣の向こうに広がる山並みを眺めながら歩いていると、かつて「湖東の小叡山」と呼ばれた理由が自然と理解できる。

そして、その静かな山上には、次の章で紹介する見事な紅葉が訪れる人々を待っているのである。

名 称釈迦山 百済寺
所在地滋賀県東近江市百済寺町323
TEL0749-46-1036
アクセス名神高速道路「湖東三山スマートIC」から約8分、
または「八日市IC」から約12分。
駐車場あり(無料)約220台
拝観料大人600円
拝観時間8時30分〜17時(受付は16時30分まで)
Link釈迦山百済寺公式サイト

百済寺の紅葉

百済寺は湖東三山を代表する紅葉の名所の一つである。なかでも最大の魅力は、「天下遠望の名園」から見渡す全山の紅葉と、長い歴史を刻む石垣群に彩られた秋景色であろう。山腹に広がる境内は自然の起伏に富み、紅葉の季節には山全体が赤や橙、黄金色に染め上げられる。例年の見頃は11月中旬から下旬にかけて。

百済寺は東側を山に囲まれているため、午後遅くになると境内が山影に入りやすい。紅葉の鮮やかな色彩を楽しむなら、陽光が差し込む午前から昼過ぎにかけての時間帯がおすすめである。

百済寺の紅葉は、華やかでありながらどこか雄大である。眼前に広がる景色には、山岳寺院ならではの開放感と歴史の重みが感じられる。


● 本坊庭園の池面に映る紅葉

「天下遠望の名園」として知られる本坊庭園では、池を囲むように植えられたモミジが鮮やかに色づく。

風のない日には、水面が鏡のようになり、紅葉が美しく映り込む。空の青さと紅葉の赤、そして庭園の緑が織りなす景色は、山上の古刹ならではの落ち着いた風情を感じさせてくれる。

庭園をゆっくり歩きながら眺める紅葉は、まるで一幅の日本画を鑑賞しているかのようである。


● 遠望台から望む「百済寺赤」

本坊庭園のさらに上にある遠望台は、百済寺随一の絶景ポイントである。展望所に立つと、眼下には近江盆地の広大な景色が広がり、その手前には燃えるように色づいた紅葉が幾重にも重なっている。この鮮烈な紅の景観は「百済寺赤」とも呼ばれ、多くの参拝者を魅了してきた。

晴れた日には、その向こうに琵琶湖や比叡山、さらには遠く鈴鹿山脈までを望むことができる。紅葉と大パノラマが一体となった風景は、まさに「天下遠望」の名にふさわしい。


● 苔むした石垣と紅葉の参道

百済寺ならではの魅力が感じられるのが、参道沿いに残る石垣群である。かつて千坊近い堂宇や僧坊が建ち並んだ名残として、今も壮大な石垣が境内各所に残されている。

深い緑の苔に覆われた石垣、歳月を刻んだ巨石、そして頭上を彩る紅葉。その組み合わせは実に美しく、まるで中世の山城跡を歩いているかのような趣がある。

静かな山道を歩いていると、往時の百済寺の壮大な伽藍が眼前によみがえるようである。


● 弥勒堂を彩る敷きモミジ

紅葉の終盤になると、境内にはもう一つの美しい季節が訪れる。色づいた葉が次々と舞い落ち、地面を鮮やかな赤色に染めていくのである。とりわけ弥勒堂周辺では、「敷きモミジ」と呼ばれる紅葉の絨毯が広がり、一面が深紅の世界となる。

木々を見上げる紅葉も見事だが、足元に広がる秋の彩りにもまた格別の趣がある。散りゆく葉の美しさに、日本人が古くから愛してきた無常の美を感じる瞬間である。


百済寺の紅葉は、ただ華やかなだけではない。石垣に刻まれた歴史、山上から広がる壮大な眺望、そして千四百年にわたり受け継がれてきた祈りの時間。そのすべてが紅葉と重なり合い、独特の風景を生み出している。

遠望台から近江の大地を見渡し、静かな参道を歩いていると、季節の美しさだけでなく、この場所に積み重ねられてきた長い歴史までも感じられる。

だからこそ百済寺の紅葉は、人々の記憶に深く残るのである。

そして秋の澄んだ空の下、眼前に広がる「百済寺赤」は、きっと忘れがたい旅の一場面となるだろう。


◆ あとがき



百済寺には、聖徳太子創建の伝承にはじまる長い歴史が息づいている。千坊近い堂宇が建ち並んだと伝わる往時の繁栄はすでに失われたが、その面影は今も境内各所に残る石垣や坊跡の中に静かに刻まれている。

境内を歩いていると、百済寺の魅力は単なる紅葉の美しさだけではないことに気づかされる。苔むした石垣に触れ、古い参道を歩き、遠望台から広大な近江の景色を眺めていると、この場所が長い歳月の中で多くの人々の祈りを受け止めてきたことが自然と伝わってくるのである。

特に印象に残ったのは、「天下遠望」の名にふさわしい眺望であった。眼下に広がる近江盆地。遠くに輝く琵琶湖。その手前を鮮やかに染める「百済寺赤」。山上から見渡すその風景には、人の営みと自然の美しさが見事に調和していた。

春には新緑、初夏には若葉、夏には深い緑、そして秋には燃えるような紅葉。百済寺は四季折々に異なる表情を見せながら、千四百年以上にわたり人々を迎え続けてきた。

もし湖東三山を巡る機会があれば、ぜひ百済寺にも足を運んでいただきたい。石垣の続く参道を歩き、遠望台から近江の空を見上げていると、日常の忙しさを忘れ、心まで大きく解き放たれるような気持ちになる。

そして帰路につく頃には、紅葉の美しさだけでなく、この山上に流れる静かな時間までもが、忘れがたい旅の思い出として心に残っていることだろう。




【関連記事】

西明寺を訪ねて──紅葉に彩られる湖東三山の古刹
金剛輪寺を訪ねて──錦秋に包まれる湖東三山の名刹
永源寺を訪ねて──深紅のもみじ、深まる禅の心
常楽寺を訪ねて──錦秋に映える湖南三山の名刹
長寿寺を訪ねて──歴史と紅葉が息づく湖南三山の古刹
善水寺を訪ねて──秋色に包まれる湖南三山の名刹
梅の香りをたどる旅──私が歩いてみたい観梅スポット
桜の季節に心がほどける──私が歩いてみたい観桜名所
季節の花畑を歩く──菜の花畑・ひまわり畑・コスモス畑と三毛作の丘をめぐる旅
灘黒岩水仙郷を歩く──海風に揺れる水仙が描く早春風景
綾部山梅林を歩く──海風に梅が香る早春の風景
御津自然観察公園を歩く──世界の梅が描く早春の風景
あわじ花さじきを歩く──季節の花が彩る淡路の丘の風景
神戸のアーモンド並木を歩く──春を告げる淡い花の風景
国営明石海峡公園を歩く──季節の花が描く淡路島の風景
播州平福しゃくなげの里──石楠花が彩る静かな里山風景
花のじゅうたんを歩く──芝桜が描く春の静かな丘の風景
薬師院と永澤寺のぼたん園を歩く──里山に咲く牡丹の静かな風景
白毫寺の藤棚を歩く──九尺藤が揺れる初夏の静かな風景
白井大町藤公園を歩く──フジが揺れる初夏の静かな風景
千年藤の大歳神社を歩く──藤が揺れる初夏の静かな風景
味わいの里三日月・ルピナス畑を歩く──ノボリフジが彩る初夏の静かな風景
荒牧バラ公園を歩く──色彩豊かな薔薇が咲く初夏の風景
須磨離宮公園のバラ園を歩く──薔薇が揺れる初夏の風景
永澤寺の花しょうぶ園を歩く──花菖蒲が咲く初夏の風景
永富家住宅・秋恵園を歩く──花菖蒲が咲く初夏の名園
神戸市立森林植物園・あじさい園を歩く──紫陽花が揺れる六甲山の初夏
篠山玉水ゆり園を歩く──百合が彩る夏の静かな丘の風景
万葉の岬・つばき園を歩く──椿が彩る静かな岬の風景
玉造温泉と宍道湖温泉に泊まり神社や日本庭園を周遊する旅
清少納言のお勧め榊原温泉の魅力と青山高原散策の旅
生石高原でススキ原を散策して、しみず温泉で汗を流す旅
曽爾高原でススキ原を散策して、「お亀の湯」で汗を流す旅
砥峰高原でススキ原を散策して、かさがた温泉で汗を流す旅
上山高原でススキ原を散策して、湯村温泉で汗を流す旅
みたらい渓谷を散策して、洞川温泉の湯に浸たる旅
高野龍神スカイラインで、高野山から龍神温泉への旅
勝浦温泉を起点に熊野古道を経て熊野三山をめぐる旅
立山室堂、黒部ダム、黒部峡谷及び宇奈月温泉への旅
別府温泉/別府八湯の魅力と湯めぐり・別府観光の旅
由布院温泉の魅力、ココを拠点に九酔渓と耶馬渓の旅
雲仙温泉の魅力と島原半島の歴史・文化遺産を巡る旅
南紀白浜温泉の魅力と三段壁・千畳敷・円月島への旅