◆ はじめに
雲仙岳の山肌から立ちのぼる湯けむりと、硫黄の香りに包まれる雲仙温泉。 日本で最初に国立公園に指定されたこの地には、雄大な自然と名湯が織りなす静かな癒しの時間が流れています。一方で、島原半島には島原・天草一揆の舞台となった原城跡や、武家屋敷、湧水庭園「四明荘」など、歴史と文化が色濃く残る場所が点在しています。
本記事では、雲仙温泉の魅力を味わいながら、島原半島に息づく歴史と文化遺産に触れる旅路をたどります。 名湯の恵みと、時を超えて受け継がれてきた物語が交差するこの地で、心に残る“癒しと学びの旅”へとご案内したいと思います。
雲仙温泉
──島原半島が育んだ歴史と自然の古湯
雲仙温泉は、約350年の歴史を誇る古湯で、長崎県島原半島に位置する温泉地です。
島原半島といえば、歴史上有名な「島原の乱」の舞台であり、戦場となった原城跡が今も遺構として残されています。キリシタン殉教の哀しい歴史を伝える地である一方、島原の乱で活躍した天草四郎が考案したと伝わる郷土料理「具雑煮」【ぐぞうに】を味わえる地域としても知られています。
雲仙温泉は、雲仙岳をはじめとする1000m級の山々に囲まれた標高約700mの高地にあり、約30か所もの地獄(源泉)から絶え間なく湯けむりが立ち上り、硫黄の香りが漂う温泉地です。
山岳リゾートの雰囲気が色濃く、日本で最初に国立公園に指定された温泉保養地であることも頷けます。温泉街は、温泉神社【うんぜんじんじゃ】を中心に、旅館・ホテル、共同浴場が立ち並び、独特の温泉情緒を醸し出しています。
雲仙温泉の泉質
雲仙温泉の泉質は、硫酸酸性の硫黄泉で、強い酸性を示すのが特徴です。源泉の最高温度は約98℃、さらに地獄から噴き上がる噴気は最高120℃に達するといわれています。噴気の大部分は水蒸気ですが、炭酸ガスや硫化水素ガスを含むため、強い硫黄臭が漂います。
硫酸酸性の硫黄泉には、鉄イオン・アルミニウムイオン・硫酸イオンなどが豊富に含まれており、一般的にリウマチ、糖尿病、皮膚病などに効能があるとされます。
雲仙温泉の主な泉質は硫黄泉ですが、宿泊施設や共同浴場によって源泉が異なるため、同じ硫黄泉でも白濁・クリーム色・灰色など色合いが異なります。湯の花や鉱泥が沈殿している場合もあり、泉質の個性を楽しめるのも魅力です。
硫黄泉以外にも、透明な酸性泉や赤い酸性泉に入れる施設もあります。たとえば「東園」【あずまえん】では、鉄分を多く含む赤い酸性泉を楽しめるといいます。
私のように「せっかく雲仙温泉に来たのだから、乳白色の湯と硫黄の香りを楽しみたい」と思う人も多いでしょう。雲仙温泉は、まさに硫黄泉の魅力を存分に味わえる温泉地です。
なお、硫黄泉は本来は透明ですが、源泉から配管を通して引湯する際、配管内に付着した硫黄を含む鉱泥が流れ込むことで白濁して見えるといいます。つまり、配管の長さや使用年数によって白濁の度合いが異なります。旅館ごとに湯の色が違う理由を知ると、別の宿にも泊まってみたくなるのは温泉好きの性(さが)かもしれません。
雲仙温泉は湧出量も豊富で、源泉かけ流しの宿が多いのも温泉好きには嬉しい点です。
温泉神社
──雲仙温泉のシンボル
島原半島には、かつて18社もの温泉神社【うんぜんじんじゃ】があったといわれるほど、地域の人々にとって身近な存在でした。その総本社が、雲仙温泉街の中心、雲仙地獄に隣接して鎮座する現在の温泉神社であり、今では雲仙温泉のシンボル的存在となっています。「温泉」と書いて「うんぜん」と読むのは、この地が「雲仙」と表記される以前から、すでに“うんぜん”と呼ばれていた名残だとされています。

温泉神社は、僧・行基が温泉山満明寺を開いた際に創建されたと伝わり、かつては四面宮や筑紫国魂神社と称していた時代もあります。御祭神は次の五柱です。
- 白日別命【しらひわけのみこと】
- 豊日別命【とよひわけのみこと】
- 速日別命【はやひわけのみこと】
- 豊久士比泥別命【とよくじひねわけのみこと】
- 建日別命【たけひわけのみこと】

拝殿の奥には、樹齢200年を超える「夫婦柿」と呼ばれる柿の御神木があり、恋愛成就のパワースポットとしても知られています。
| 名 称 | 温泉神社 |
| 所在地 | 雲仙市小浜町雲仙319 |
| Link | 温泉神社|雲仙温泉郷 雲仙 温泉神社(総本社) |
雲仙地獄・地獄巡り
雲仙温泉の観光といえば、温泉街に隣接する雲仙地獄の地獄めぐりがよく知られています。遊歩道が整備されており、硫黄の匂いと地の底から吹き上がる噴気が一帯を覆い尽くす光景は、まさに“地獄”の名にふさわしい荒涼とした迫力があります。

大叫喚地獄、お糸地獄、清七地獄など、30余りの地獄が点在し、噴気孔からは真っ白な湯けむりが絶え間なく噴き上がります。それぞれの地獄には名の由来となる伝説が残されており、中には哀しい物語も伝わっています。

雲仙温泉で最も活発な噴気活動を見せるのが、大叫喚地獄と呼ばれる一帯です。噴気は最高120℃に達する高温の水蒸気で、硫化水素ガスを含むため強い硫黄臭が漂います。

案内板によれば、大叫喚地獄は雲仙地獄の東側の最も高い場所に位置し、白い噴気は30〜40mにも達するといいます。ゴウゴウと響く噴気音が、まるで地獄に落ちていく亡者の叫びのように聞こえることから、この名が付けられたと伝えられています。

さらに、この雲仙地獄の地は、江戸時代にキリシタン殉教の舞台となった場所でもあり、現在も殉教碑が建てられています。温泉の恵みと歴史の痛みが同居する、雲仙ならではの特別な場所です。
| 名 称 | 雲仙地獄・地獄巡り |
| 所在地 | 雲仙市小浜町雲仙320 |
| Link | 雲仙地獄 – 雲仙観光局 |
仁田峠・第二展望所
──雲仙・平成新山を望む絶景の展望台
雲仙岳は、長崎県島原半島の中央部にそびえる火山群で、20以上の山々から構成されています。主峰は長らく標高1,359mの普賢岳でしたが、平成2〜7年(1990〜1995年)の火山活動により平成新山(標高1,483m)が誕生し、現在ではこちらが雲仙岳、そして長崎県の最高峰となっています。

雲仙岳は複雑な山容を持ちますが、観光上は「三峰五岳の雲仙岳」という呼び方がよく用いられます。 三峰は 普賢岳(1,359m)・国見岳(1,347m)・妙見岳(1,333m)、 五岳は 野岳(1,142m)・九千部岳(1,062m)・矢岳(943m)・高岩山(881m)・絹笠山(879m) を指します。 なお、平成新山はこの分類には含まれていませんが、現在の最高峰であることに変わりはありません。

仁田峠は普賢岳の五合目付近に位置し、雲仙を代表する展望地として知られています。中でも、峠にある第二展望所(標高約1,080m)は、平成新山を最も間近に望むことができる絶景スポットです。 眼前には迫力ある平成新山の姿が広がり、右手の眼下には有明海を見下ろす雄大な景色が続きます。「第二」という名称ですが、雲仙屈指の展望台であることに間違いはありません。

なお、仁田峠へ向かう道路は一方通行となっており、途中で引き返すことはできないため、訪れる際には注意が必要です。
| 名 称 | 仁田峠・第二展望所 |
| 所在地 | 雲仙市小浜町雲仙 |
| Link | 仁田峠循環道路・第二展望所 |
島原半島の観光スポット
島原城
──島原市のシンボル的存在
島原城は、島原市のシンボル的存在であり、市内観光においてもひときわ目を引くランドマークです。

現在の島原城は、戦後に復元されたもので、城内の建物はキリシタン史料館(天守)、西望記念館(巽の櫓)、民具資料館(丑寅の櫓)などとして活用されています。

島原城は別名「森岳城」とも呼ばれます。これは、かつて森岳と呼ばれた小高い丘を利用して築かれたことに由来します。

往時の島原城は連郭式平城で、長方形の外郭は周囲約4kmの塀で囲まれ、城門が7か所、平櫓が33か所もあったといいます。内郭には堀に囲まれた本丸と二の丸があり、その北側には藩主の居館が置かれた三の丸が位置していました。本丸には五層の天守をはじめ、三重櫓が三か所にそびえ立ち、豪壮堅固な城構えであったと伝えられています。

具雑煮【ぐぞうに】(撮影:私の妻)

姫松屋:島原名物 元祖 具雑煮
しかし、明治7年(1874年)、明治政府の廃城令により島原城は廃城となり、民間に払い下げられた後は荒廃してしまいました。現在の姿は、昭和39年(1964年)以降の復元によるものです。
| 名 称 | 島原城 |
| 所在地 | 島原市城内1丁目1183-1 |
| Link | 島原城について | 島原城 島原城 | 公式ホームページ |
島原武家屋敷
私の妻は武家屋敷に強い関心があるようで、城下町を訪れる際には必ずと言ってよいほど武家屋敷を巡ります。そのため、私も例外なくお供することになります。武家屋敷などどこも似たようなものだろうと高を括っていましたが、島原城下の武家屋敷はどこか趣が異なっていました。 質素な武家屋敷と、屋敷の前を流れる水路が約400年もの間、当時の姿のまま残されているという点で、まさに貴重な文化・歴史遺産といえます。
島原に残る武家屋敷群は、現在の島原城の西側に位置し、約400mにわたって下級武士の住まいが並んでいた地区です。島原城築城の際、外郭の西側に接して扶持取70石以下の武士たちの住宅地が整備されたと伝わっています。 戦時には鉄砲を主力とする徒士(歩兵)部隊の居住区であったため、かつては「鉄砲町」とも呼ばれていました。
街路の中央を流れる水路は、湧水を引き込んだもので、生活用水として大切に守られてきました。島原市内は湧水が豊富な土地として知られており、この武家屋敷の水路もその象徴的な存在です。
| 名 称 | 島原武家屋敷 |
| 所在地 | 長崎県島原市下の丁 |
| Link | 武家屋敷 / 島原市 |
湧水庭園「四明荘」
四明荘は、明治時代後期に当時開業医であった伊東元三氏の別邸として建てられたもので、四方の眺望に優れていることから「四明荘」と名付けられたと伝わっています。

昭和初期には禅僧を招いて庭園が整えられ、池には色鮮やかな錦鯉がゆったりと泳ぎます。

この池には、1日約3,000トンもの湧水(清水)が流れ込んでおり、島原が“湧水の町”と呼ばれる所以を実感できる場所でもあります。

案内をしてくださった着物姿の上品な女性はとても親切で、応対も温かく、あまりの居心地の良さに思わず長居してしまったほどです。
| 名 称 | 湧水庭園「四明荘」 |
| 所在地 | 島原市新町二丁目 |
| Link | 湧水庭園「四明荘」 / 島原市 |
原城跡
──島原・天草一揆(島原の乱)の舞台
原城跡は、今から約400年前の江戸時代に起こった島原・天草一揆(島原の乱)の最終決戦の舞台となった場所です。 この一揆を契機に、江戸幕府がより厳格な鎖国体制へと舵を切ったことは、社会科の教科書でも学んだとおりです。

現在の原城跡には、かつて城が建っていた面影はほとんど残っておらず、雑草が広がる静かな台地が続くだけです。これは、反乱の再発を恐れた幕府軍が、徹底的に城郭を破壊したためと伝えられています。

原城跡は、2018年6月30日に世界遺産登録が決まった「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一つにも選ばれています。 静寂の中に、殉教と抵抗の歴史が深く刻まれた場所です。

原城跡から駐車場へ戻る途中、海岸沿いの散策路を歩いていると、それまで雲に隠れて全く見えなかった雲仙岳の姿が、海の向こうにふいに現れました。思わず足を止め、シャッターを切りました。原城で戦い、命を落とした人々も、かつてこの景色をどのような思いで眺めていたのだろうか──そんな想いが胸をよぎりました。
| 名 称 | 原城跡 |
| 所在地 | 南島原市南有馬町乙 |
| Link | 原城跡 | 南島原ひまわり観光 |
◆ あとがき
雲仙温泉の泉質は硫黄泉で、乳白色の湯と硫黄の香りが温泉情緒をいっそう引き立ててくれます。温泉街のすぐ近くには名所「地獄巡り」があり、立ち上る湯けむりを眺めているだけで、旅先ならではの転地効果を存分に味わえます。各地獄から噴き上がる白煙を目にすると、「温泉地に来た」という実感が自然と湧いてきます。
日本で最初に国立公園に指定された雲仙の豊かな自然環境、雲仙地獄から湧き出る源泉を活かした名湯の素晴らしさ、そしてそれらに調和するような落ち着いた温泉街の佇まい──。これらすべてが旅人の心に深く残ります。まさにスパツーリズムにふさわしい温泉地だと感じました。

湧水庭園「四明荘」がある島原市の新町一帯は湧水が豊富で、全長約100メートルの水路が流れ、「鯉の泳ぐまち」として知られています。

実際に訪れてみると、水路のあちこちで鯉がゆったりと泳ぐ姿が見られ、その光景が昨日のことのように懐かしく思い出されます。
【参考資料】
| 雲仙の泉質・効能 – 雲仙観光局 |
| 温泉神社|雲仙温泉郷 |
| 雲仙 温泉神社(総本社) – 【公式】四面宮会 |
| 雲仙地獄 – 雲仙観光局 |
| 仁田峠循環道路・仁田峠第二展望所 |
| 島原城 | 公式ホームページ |
| 武家屋敷 / 観光TOP / 島原市 |
| 湧水庭園「四明荘」 / 島原市 |
| 原城跡 | 見る・学ぶ | 南島原ひまわり観光協会 |
| 鯉の泳ぐまち / 島原市 |