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  • 多聞寺を歩く──篠山景春ゆかりの静かな古刹を訪ねて

    目次
    はじめに
    多聞寺の由緒
    多聞寺の境内を歩く
    近江篠山城跡
    あとがき

    はじめに

    甲賀の山里を歩くと、 田園の向こうに、静かに佇む多聞寺【たもんじ】の屋根が見えてくる。 その静けさは、ただの古刹の佇まいではなく、 かつてこの地を守り、命を賭して戦った武士たちの気配を そっと宿しているように感じられる。

    多聞寺は、篠山氏が信仰と祖先供養のために建立した寺であり、 のちに徳川家康の命を救った 篠山理兵衛景春 の菩提寺として 特別な歴史を刻んできた場所だ。 境内には景春の墓が静かに残り、 甲賀武士の忠義と哀史が、山里の空気の中に溶け込んでいる。

    本稿では、この多聞寺をゆっくりと歩きながら、 甲賀の山里に流れる穏やかな時間と、 景春が生きた時代の気配を綴ってみたい。


    多聞寺の由緒

    甲賀の鳥居野一帯は、かつて甲賀武士(甲賀衆)の中でも有力な家系である 大原氏の一族・篠山氏 が支配した地域である。 篠山氏は「南山六家」に数えられる地侍で、 近江篠山城を構えてこの地を治めていた。

    多聞寺は、この篠山氏一族が 自身の信仰・崇拝・祖先供養のために建立した寺院 を起源とすると伝わる。 ただし、創建年を明確に示す一次史料は多く残っていない。

    その後、多聞寺の歴史を決定づける出来事が訪れる。 慶長五年(1600年)、徳川家康が上杉討伐の途上で石部宿に滞在した際、 豊臣方の水口岡山城主・長束正家による 家康暗殺計画 を察知した 篠山理兵衛景春は、夜中に密かに家康のもとへ駆けつけて危機を知らせた。 さらに、水口城を避けるための 間道(裏道)を案内し、家康を土山まで無事に逃がした と伝えられている。

    家康は景春の忠義を深く賞し、 そのまま伏見城の守備(鳥居元忠らとともに石田三成軍への前哨戦)を命じた。 しかし同年七月、激戦となった 「伏見城の戦い」において、 篠山理兵衛景春は一族や家臣とともに討ち死にした。

    関ヶ原の戦い後、家康は景春の忠義を重く受け止め、 景春の菩提を弔うために寺院の整備を支援したと伝わる。 多聞寺は 1611年に開創され、景春の菩提寺となった。 境内には今も景春の墓が静かに残されている。

    現在の多聞寺は浄土宗の寺院で、 御本尊に阿弥陀如来、そして毘沙門天 を祀る。 山号は福寿山、院号は吉祥院。 甲賀の山里らしい静けさの中に、 篠山氏の歴史と家康との劇的な逸話が今も息づいている。

    名 称福寿山 吉祥院 多聞寺
    所在地滋賀県甲賀市甲賀町鳥居野890
    TEL0748-88-4884
    駐車場あり(無料)数台分
    大鳥神社の駐車場(約60台)利用がお薦め
    Link多聞寺(浄土宗) | ホトカミ
    多聞寺 近江篠山城主・篠山景春の菩提寺

    多聞寺の境内を歩く

    多聞寺は、甲賀の山里に静かに佇む浄土宗の古刹である。境内には、篠山氏の歴史や甲賀武士の足跡、そして貴重な文化財がそっと息づき、歩くほどにこの土地が重ねてきた時間が感じられる。


    篠山景春の墓篠山氏墓所

    境内で最も重要な歴史スポットが、 近江篠山城主 篠山理兵衛景春 とその一族の墓所である。

    景春は、慶長五年(1600年)、 豊臣方の長束正家による 徳川家康暗殺計画 を察知し、 夜中に家康へ危機を知らせ、 水口城を避けるための 間道(裏道)を案内して土山まで逃がした と伝わる 甲賀武士の代表的な忠義者である。

    その後、家康の命を受けて伏見城に籠城し、 鳥居元忠らとともに激戦の末、討ち死にした。 境内に残る墓石は、景春と一族の忠義を静かに伝えており、甲賀武士──のちの「甲賀流忍者」の源流──の精神を肌で感じられる場所となっている。


    多聞天立像毘沙門天)(市指定文化財)

    多聞寺には、平安時代後期の作とされる 木造多聞天(毘沙門天)立像(像高98cm) が安置されている。 甲賀市指定文化財であり、藤原期の優れた彫刻技術を伝える貴重な仏像である。

    静かな堂宇の中で、凛とした気配を放つ多聞天は、 この寺が長く地域の信仰を支えてきたことを物語っている。


    境内の佇まいと周辺の風景

    多聞寺は、地域の人々に守られてきた浄土宗の寺院で、 御本尊として 阿弥陀如来 を祀り、山号は福寿山、院号は吉祥院である。

    周囲には、篠山氏が構えた 近江篠山城跡(市指定史跡) が残り、 中世甲賀の歴史が色濃く漂う田園地帯が広がる。 境内から望む鳥居野ののどかな風景は、 歴史散策の途中に心を静かに整えてくれる。多聞寺の静寂は、 甲賀武士の哀史と、地域の祈りが重なり合って生まれたものだと感じられる。


    多聞寺の境内は、 篠山景春の忠義、甲賀武士の歴史、 そして平安期の文化財が穏やかに溶け合う場所である。歩くほどに、 甲賀の山里に息づく祈りと歴史が、 そっと心に染み入ってくる。


    近江篠山城跡

    近江篠山城跡(甲賀市甲賀町鳥居野字八幡山・小杉)は、 大鳥神社と多聞寺の間に位置する 中世城館跡(甲賀市指定史跡) である。 甲賀武士(甲賀衆)の実戦的な防御戦術を今に伝える貴重な遺構として、 歴史ファンから高い注目を集めている。

    築城年代は明確ではないが、 室町〜戦国期にかけて甲賀五十三家の一つであり、「南山六家」に数えられる有力武士 大原氏一族・篠山氏 の拠点として整備されたと考えられている。

    多聞寺の由緒でも触れたように、城主 篠山理兵衛景春 は慶長五年(1600年)、 水口岡山城主・長束正家による 徳川家康暗殺計画 を察知し、夜間に家康へ密かに危機を知らせ、 水口城を避けるための 間道(裏道)を案内して土山まで逃がした と伝わる。

    その後、家康の命を受けて伏見城に籠城し、 鳥居元忠らとともに激戦の末、討ち死にした。 景春が戦死したことで、篠山氏の城としての役割は終わり、 江戸時代には城跡の一部に大鳥神社が遷座 し、現在の姿へとつながっている。


    平地に築かれた「土の城」──土塁と堀が巡る平城構造

    近江篠山城は、周囲を大橋川と田園に囲まれた平地に築かれた 平城 である。城跡は現在、竹林や雑木林となっているが、中世の土の城の構造が驚くほど良好に残っている。


    西面の大堀切(水堀跡)と強固な土塁

    西側には、戦国期の姿をほぼそのまま残す 巨大な堀(空堀・水堀跡) が完存している。 堀の内側には、東・西・南面で約3メートル、 北面では最大約6メートルにも及ぶ 分厚い土塁 がそびえ立ち、 外敵の侵入を徹底的に阻む甲賀衆の防御思想がよく伝わってくる。


    類を見ない防御遺構──「二重土塁」と「幻の庭園跡

    北側の主郭内部には、 土塁が二重に巡らされた 二重土塁 が確認できる。 全国的にも珍しい構造で、 この二重土塁に挟まれた凹凸のある空間は、 一説には 庭園跡(または庭園を模した複雑な防衛陣地) とも推測されている。

    武士の暮らしと戦術が交差する、 中世城郭のロマンを感じさせる見どころである。


    大鳥神社との一体感──城郭都市の名残

    かつて大鳥神社があった場所から城が拡張され、現在の「神社と城跡が隣接する」位置関係になったと伝わる。 周囲には、篠山氏の家臣団の屋敷跡を思わせる 方形の区画 や古道が残り、一帯が「城郭都市」のようであった往時の姿を想像させる。

    多聞寺・大鳥神社・近江篠山城跡はすべて隣接しており、 歩いて一度に巡ることができるのも魅力である。

    なお、城跡内部は山林(竹藪)となっているため、 実際に踏み入れる際は足元に注意が必要である。

    大鳥神社」の詳細はこちらから


    近江篠山城跡は、 甲賀武士の防御戦術、篠山氏の歴史、 そして家康との劇的な逸話が重なり合う、 甲賀の山里ならではの中世城館跡である。歩くほどに、 土塁の厚みや堀の深さが、 この地を守ろうとした武士たちの息づかいを静かに伝えてくれる。


    あとがき

    多聞寺の境内を歩き終えるころ、 多聞天の凛とした姿や、景春の墓に落ちる柔らかな光が、 静かな余韻となって心に残っていた。 家康を救い、伏見城で散った景春の忠義── その物語が、多聞寺の静けさの中でそっと息づいている。

    周囲には近江篠山城跡が広がり、 土塁や堀の影が、かつてこの地を守ろうとした武士たちの意志を 今も静かに伝えてくれる。 甲賀の山里は、華やかさよりも、 時を重ねた土地の記憶と、人々の祈りの深さを感じさせる場所だ。

    また季節を変えて訪れれば、 きっと違う表情の静けさが迎えてくれるだろう。 その日を楽しみにしながら、 今日の歩みをそっと閉じたい。


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