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  • しまなみ海道を走る──瀬戸内の島々をつなぐ吊橋の風景

    目次
    はじめに
    瀬戸内しまなみ海道
    新尾道大橋
    因島大橋
    因島水軍城
    生口橋
    多々羅大橋
    大三島橋
    伯方大島大橋
    来島海峡大橋
    亀老山展望公園
    あとがき



    はじめに

    瀬戸内海に浮かぶ島々を結ぶ「しまなみ海道」は、海と街、そして人の暮らしを静かに結びつける美しい海の道である。橋を渡るたびに風景が変わり、瀬戸内の多島美がゆっくりと視界に広がっていく。潮風はどこか柔らかく、海面に揺れる光は旅人の心をそっと整えてくれる。

    しまなみ海道に架かる橋は、単なる交通インフラではなく、島々の暮らしを支え、瀬戸内の風景を形づくる大切な存在である。橋の上から眺める海は穏やかで、島の稜線が重なり合う景色は、歩くほどに深い静けさを感じさせる。今回の旅は、橋を渡りながら瀬戸内の風景と向き合う、ゆっくりとした時間となった。

    穏やかな瀬戸内海を眺めながら過ごす旅は、それだけで心が癒される。同じ場所に滞在し、海を眺め続けるのも良い。しかし、しまなみ海道を走る旅を加えると、風景が次々と変わり、転地効果が一段と高まる。それは私自身の経験で確かめたことであり、瀬戸内の旅の魅力をより深く味わえる方法だと感じている。

    本稿では、そんなしまなみ海道の旅を、私が撮影した写真とともに紹介していきたいと思う。橋がつなぐ島々の風景が、読者の皆さまにも静かな旅情を届けてくれることを願っている。


    瀬戸内しまなみ海道

    瀬戸内しまなみ海道は、広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ西瀬戸自動車道のことで、瀬戸内海の島々とそれらを繋ぐ7つの橋で構成される絶景ロード(全長約60km)である。青い海、緑豊かな島、美しい橋が織り成す風景を存分に楽しむことができる。

    引用:「瀬戸内しまなみ海道」 | 【公式】広島の観光・旅行情報サイト

    新尾道大橋

    新尾道大橋【しんおのみちおおはし】は、尾道向島【むかいじま】を繋ぐ橋で、隣接する尾道大橋と同じ中央支間長215mの斜張橋である。斜張橋とは、塔から斜めに張ったケーブルを橋桁に直接つなぎ支える構造をもつ橋である。

    地域のシンボルとして親しまれている尾道大橋は、我が国における本格的な斜張橋の先駆けである。その尾道大橋の西隣り(わずか55mの隣)に並列にして新尾道大橋は架かるため、尾道大橋との調和を考慮し、中央支間長を同じにして、橋梁形式も同じ斜張橋が選定されたという。一本塔柱で7段のケーブルを平行に張った形で、橋の長さは546mで、週末は日没から22時までライトアップされている。


    因島大橋

    因島大橋【いんのしまおおはし】は、向島因島【いんのしま】を繋ぐ橋で、本州四国連絡橋(本四連絡橋)最初の吊橋として完成した(1983年)。

    中央支間長770mは完成当時は日本最長であったという。この因島大橋の建設によって、その後の本四連絡橋の吊橋における標準となる技術が確立されたと言われている。

    因島大橋の完成は、本四連絡橋の大吊橋が、安全性、信頼性、確実性、経済性を目指して吊橋の長大化への道を歩み始めることになったマイルストーンと言えるだろう。


    因島水軍城

    因島水軍城は、瀬戸内海を舞台に活躍した「村上水軍」の歴史を伝える資料館であり、因島の高台に築かれた全国でも珍しい“水軍をテーマにした城”である。天守からは瀬戸内の海が広がり、かつて水軍が行き交った海路を一望できる。静かな海と島々の稜線を眺めていると、戦国の時代にこの海を守り、支配した人々の息遣いがどこか遠くに感じられる。

    因島水軍城(広島県尾道市因島中庄町3228-2)

    因島村上氏は、中世南北朝時代から室町・戦国時代にかけて、因島を拠点としていた。当初は小勢力に過ぎなかった村上氏が次第に勢力を拡大して周辺海域の海運を掌握していく中で因島村上氏は本州側の主要航路である「安芸地乗り」を抑え、航路周辺に海城や見張り台を構築していき、その付近の岩礁には船の係留場所を設けた。

    海岸部では平地を埋め立て兵站および生活拠点を形成した。そこには海産物の加工場や、造船および修理場もあったらしい。また菩提寺として金蓮寺(因島で最初の寺院)を建立するなど、文化人としての側面も残されている。

    因島水軍城(全国的にも珍しい城型資料館)

    因島村上氏と他の三島村上氏との大きな違いは、早くから山陽側の大名と結びついていき、所領を持っていたことである。

    日明貿易の頃には因島村上氏村上吉資)は備後守護大名の山名氏に取り入り遣明船の警固衆(護衛)を命じられている。

    また、この島の西側は小早川水軍の縄張りであり小早川氏とも関係を深めていき、村上吉充の時代である天文24年(1555年)厳島の戦いの際には小早川水軍とともに毛利氏に加勢し、この勝利により北側の向島の所領を与えられた。

    現在、因島水軍城に展示されている室町時代末期作の軽武装用鎧「白紫緋糸段威腹巻 附兜眉庇」は村上吉充小早川隆景より拝領したと伝わっている。以降、毛利氏の下につき(毛利水軍)、防長経略・門司城の戦い・第一次木津川口の戦いなどに従軍した。

    因島水軍城城門

    因島村上氏の縄張りの最大範囲は、東端が現在の福山市域になる走る島あたりで、田島・百島には城があった。南側は弓削島、岩城島や生名島にも支配権があったとされる。

    豊臣秀吉が天下を統一して以降の事になる天正16年(1588年)海賊停止令により、海賊(水軍)勢力としての村上氏は解体された。

    村上水軍の表紋「丸に上文字

    館内には、村上水軍が使用した武具や船の模型、海上戦の資料、当時の生活を伝える展示が並び、瀬戸内の海を舞台にした水軍文化を立体的に理解できる。村上水軍は、瀬戸内の海上交通を守り、時には戦い、時には商人を助け、海の秩序を保つ役割を担っていた。因島はその拠点のひとつであり、資料館には因島村上家ゆかりの史料も多く残されている。

    展示を見ていると、瀬戸内の穏やかな海が、かつては重要な戦略の場であり、複雑な海流を読みながら船を操る高度な技術が求められたことがよくわかる。水軍の知恵と技術は、瀬戸内の海とともに生きた人々の歴史そのものである。

    隅櫓(パネル写真展示館)

    因島水軍城の天守に立つと、瀬戸内海の多島美がゆっくりと広がる。島々が重なり合い、海が静かに光を返す風景は、戦国の時代とは異なる穏やかさを湛えている。海を見下ろしながら、村上水軍が守った海路や、彼らが駆け抜けた航路を想像すると、旅の時間に深い余韻が生まれる。

    二の丸・武者人形/戦法会議模様

    しまなみ海道は橋の美しさが印象的だが、因島水軍城を訪れると、この海をめぐる歴史が旅に静かな厚みを与えてくれる。海と歴史が寄り添う瀬戸内の旅の中で、因島水軍城は過去と現在をつなぐ小さな灯台のような存在である。

    名 称因島水軍城
    所在地尾道市因島中庄町3228-2
    駐車場あり(無料)
    Link因島水軍城 (因島観光協会)

    生口橋

    生口橋【いくちばし】は、因島生口島【いくちじま】を繋ぐ橋で、本四連絡橋5番目の吊橋として完成した(1991年)。

    完成時点では世界最長の斜張橋であった。生口橋の最大の特徴は、側径間に重いコンクリート桁(PC桁)、中央径間に軽い鋼桁を使用する複合桁構造を日本で初めて採用したことであるという。さらに側径間部に中間橋脚を設けて橋梁全体の剛性を高めているらしい。

    PC桁と鋼桁の接合部は、実験データを基に構造や設計法が開発されたという。生口橋の建造で培われた技術の蓄積が、完成時に世界最長の斜張橋であった多々羅大橋を誕生させる大きな力となったと言われている。


    多々羅大橋

    多々羅大橋【たたらおおはし】は、生口島大三島【おおみしま】を繋ぐ橋で、完成時には世界最長(中央支間長890 m)の斜張橋であった。

    計画当初は吊橋であった橋が、斜張橋の技術の進歩を背景に自然環境の保全や経済性などを考えて変更されたという。

    斜張橋とは、塔から斜めに張ったケーブルを橋桁に直接つなぎ支える構造をもつ橋である。強度的な安全性、信頼性、耐風性などについては言うに及ばず、塔・橋脚など景観に直接影響を及ぼす形状も十分に検討され、洗練された美しさが追求された橋であるという。

    名 称多々羅大橋展望台
    所在地今治市上浦町井口7505-7
    駐車場あり(無料)
    Link多々羅展望台 | 今治市
    多々羅大橋|しまなみ海道

    大三島橋

    大三島橋【おおみしまばし】は、大三島伯方島【はかたじま】を繋ぐ橋で、本四連絡橋としては唯一のアーチ橋である。1975年に本四連絡橋の中で最初の長大橋として着工し、1979年に開通した。アーチ支間297mで、完成当時は日本で最長であった。

    大三島橋のライトグレーの塗装や、舗装の材料、施工方法などは、その後の本四連絡橋建設の先導的役割を果たしたという。


    伯方大島大橋

    伯方・大島大橋【はかたおおしまおおはし】は、伯方島見近島の間に架かる伯方橋と、見近島大島の間に架かる大島大橋を総称したものである。

    伯方橋は、中央支間長145mの3径間連続鋼床版箱桁橋である。

    大島大橋は中央支間長560mの単径間吊橋である。国内では初の鋼箱桁を補剛桁に採用した吊橋で、補剛桁の設計や架設方法等の随所に新技術が採用されている。

    補剛桁の直下吊工法等の経験は来島海峡大橋の設計や施工に役立てられたという。直下吊り工法は、あらかじめ工場で製作された桁ブロックを輸送台船等で運び、架設地点の直下から吊り上げる工法のことである。大島大橋では補剛桁ブロックを積んだ台船を一点係留方式で定点保持し、直下吊りしたという。

    しまなみ海道で直下吊り工法を採用した理由は、多くの船舶が航行する狭い海域では、短時間に作業を終え、工事期間を短くして航行船舶と工事の安全性を向上させるために必要であったからだという。


    来島海峡大橋

    来島海峡大橋【くるしまかいきょうおおはし】は、大島今治の間の来島海峡(約4km)に架かる総延長4.1kmの3つの吊橋の総称である。

    来島海峡は昔から鳴門海峡、関門海峡と並んで海の難所として有名であり、狭い海域に複雑な地形が作る潮の流れは速くて複雑に変化する。最大潮流速は10ノット(秒速約5m)にも達するが、瀬戸内海の中央海域へ行き来する船舶にとっては避けられない航路となっており、海上交通安全法に指定された航路である。

    このために来島海峡大橋の建設計画に際しては、中渡島をはじめとする島々などの自然環境の保全、船舶航行の安全性、車両の走行性などを考慮して、共有アンカレイジを2基設けて3つの吊橋を直線的につなぐ世界初の三連吊橋が採用されたという。

    この計画では、海中に多くの基礎を設けることになるが、瀬戸大橋での海中基礎の施工実績などによる建設技術の進歩が計画に反映されたという。

    海中基礎の建設や、上部工架設工事にも様々な工夫がされ、合理的な設計で工事数量を減らし、大型作業船を使った効率的な施工で安全性と確実性を向上させ、工事期間を短縮したという。

    特に、補剛桁の架設工事には、潮流下においても定点保持性能に優れた自航台船を開発し、狭い海峡部にわずかな占有域を使うだけで短時間に作業を終える直下吊り工法を開発したという。

    安全・確実に、信頼できる品質を経済的に、環境保全を考えて建設するため、調査・設計・施工のすべての段階において、瀬戸大橋や明石海峡大橋などの建設で培われてきたあらゆる分野の最新で最先端の技術が結集されて、世界初の三連つり橋、来島海峡大橋が完成できたということだ。日本が世界に誇れる技術の一つと言えよう。


    亀老山展望公園

    亀老山展望公園【きろうさんてんぼうこうえん】は、大島(今治市)にある山上の展望スポットである。標高約308mの山頂からは来島海峡【くるしまかいきょう】と来島海峡大橋を一望できる。

    亀老山展望公園は、しまなみ海道の中でも屈指の眺望を誇る場所として知られている。展望台に立つと、瀬戸内海の多島美がゆっくりと広がり、島々が重なり合う穏やかな風景が視界いっぱいに広がる。海面に反射する光は刻々と表情を変え、瀬戸内らしい柔らかな時間が流れていく。

    来島海峡大橋来島海峡に沈みゆく夕陽亀老山展望公園からの展望

    展望台からは、来島海峡大橋の雄大な姿を真正面に望むことができる。三連吊橋が海峡をまたぎ、島々を静かにつないでいく光景は、しまなみ海道の象徴ともいえる美しさである。晴れた日の昼間であれば、橋の白いケーブルが海と空の青に映え、構造物としての力強さと風景としての優美さが見事に調和している。一方、夕暮れ時の景色も格別である。

    夕暮れ時には、海峡に沈む夕日と重なり合って幻想的な景色をつくり出す。昼間の爽やかな風景とはまったく異なる表情を見せるため、時間帯を変えて訪れる楽しみもある。

    亀老山展望公園は、しまなみ海道の旅に「風景の頂点」ともいえる静かな感動を与えてくれる場所である。海と島、そして橋が織りなす瀬戸内の風景を、心ゆくまで味わえる展望地である。

    亀老山展望公園へは、西瀬戸道(しまなみ海道)大島北ICより約15分、大島南ICより約10分で到着できる。

    名 称亀老山展望公園
    所在地今治市吉海町南浦487-4
    駐車場あり(無料)
    Link亀老山展望公園 | 今治市

    あとがき

    しまなみ海道は、海と島、そして街を静かに結びつける道である。橋の上から眺めた瀬戸内の風景は、ただ美しいだけではなく、どこか心の奥に触れる静けさを持っていた。潮風、光、島々の稜線──それらが重なり合い、旅の時間をゆっくりと深めてくれる。

    今回の記事を書くにあたり、しまなみ海道に架かる橋の構造や建設の歴史をあらためて調べてみた。すると、日本の橋梁技術がいかに高い水準にあり、長年の経験と実績を基に進化を続けてきたかを再認識することになった。瀬戸内の島々を結ぶ七つの橋は、それぞれが異なる地形や海流に向き合いながら設計され、当時の最新技術を結集して建造されたものである。難易度の高い斜張橋や吊橋に挑み続けた技術者たちの姿勢には、誇らしさと敬意を覚える。

    旅の最中、私はただ快適にドライブしながら橋を渡っていただけで、その背後にある膨大な技術と努力に思いを寄せることはなかった。そのことを少し恥ずかしく思う。次に訪れるときには、橋の造形美だけでなく、その建設に携わった人々の思いにも心を向けながら走りたいと思う。

    私たちシニアの旅は、「どこへ行くか」よりも「どう感じるか」が大切になっていく。しまなみ海道を走った今回の旅は、そのことを改めて思い出させてくれるものとなった。次に訪れるときには、また違った光と風が迎えてくれるはずだ。瀬戸内の島々をつなぐ七つの橋の風景は、これからも静かに私の心に残り続けるだろう。




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