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悟りの窓と迷いの窓が調和する静寂の禅寺「源光庵」

はじめに

京都の神社仏閣は国際的にも有名であり、世界文化遺産「古都京都の文化財」の構成資産として17か所が登録されている。世界文化遺産に登録されていない寺社にも素晴らしい景勝地があり、むしろそちらの方が多いくらいだ。源光庵【げんこうあん】もその一つである。

源光庵の周辺マップ

源光庵は、「悟りの窓」と「迷いの窓」があることで知られる禅寺である。また、⾎天井と「紅葉の名所」で有名な寺である。

目次
はじめに
源光庵
あとがき

源光庵

源光庵【げんこうあん】は、1346年に臨済宗⼤徳寺二代・徹翁国師によって開創された禅寺で、約680年近い歴史を有する。

1694年に加賀国の⼤乗寺27代・卍⼭道⽩禅師が住持となって以降、曹洞宗の寺院になったと伝わる。本堂は卍⼭禅師に帰依した⾦沢の富商(中⽥静家居⼠)の寄進によって同年1694年に建⽴されたという。その本堂には御本尊の華厳の釈迦牟尼佛、脇⽴に阿難尊者、迦葉尊者が祀られている。

源光庵の本堂には「悟りの窓」と名付けられた丸窓と、「迷いの窓」という名の⾓窓がある。「悟りの窓」の円型は「禅と円通」の⼼を表し、円は⼤宇宙を表現しているという。一方、「迷いの窓」の⾓型は「⼈間の⽣涯」を象徴し、⽣⽼病死の四苦⼋苦を表しているとされる。参拝した際には、それぞれの窓を覗いてみよう。何か感じるものがあると良い。四季折々の風景が楽しめるはずである。

また、源光庵の本堂の天井には「⾎天井」があることが知られている。この⾎天井は、伏⾒桃⼭城の遺構と言われている。

名 称源光庵
所在地京都市北区鷹峯北鷹峯町47
駐車場なし
Link京都 源光庵|悟りの窓・迷いの窓の禅寺

あとがき

源光庵の⾎天井は、関ヶ原の戦いの前哨戦となった「伏見城の戦い」(1600年)で、伏見城を守っていた徳川家康の重臣の⿃居彦右衛⾨元忠の⼀党約1800⼈が⽯⽥三成の軍勢に攻められ、討死し、残る380余⼈が⾃刃したときの恨跡であるとされる。つまりこの⾎天井は、元忠とその一党が自刃した際に血が染み込んだ床板を移築したものであり、今でもその血痕が残っているという。

⿃居元忠は「三河武⼠の鑑」と称される武将で、1600年に徳川家康が会津の上杉景勝の征伐に向けて諸将を率いて出兵した際、元忠は伏⾒城を預かって留守を守り抜く役⽬を与えられた。

当の⿃居元忠は伏見城で死ぬ覚悟ができており、できるだけ多くの家来を会津に連れていくよう進言する。その⾔葉に家康は感激し、会津へと向かう直前、家康は伏⾒城に宿泊して元忠と深夜まで酒を酌み交わして別れたという。

君主への忠義のため、⼤切な⼈々を守るため、そして⾃らの誇りのために戦った多くの武⼠たちを供養するため、源光庵の⾎天井はその物語を現代に至るまで語り継いでいるのだろう。


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