◆ はじめに
伊賀といえば、多くの人は伊賀忍者や伊賀上野城を思い浮かべることでしょう。しかし、伊賀の山あいには、戦国時代の激動を今に伝える数多くの城跡が静かに眠っている。その一つが、三重県伊賀市に残る丸山城跡である。
この城は、天正年間に織田信長が伊賀攻略の足掛かりとして築かせた山城であり、後に「天正伊賀の乱」と呼ばれる大規模な戦いの発端ともなった。山上に築かれた要害には、伊賀衆と織田方の激しい攻防の記憶が刻まれている。
現在は静かな城跡となっているが、その地に立てば、かつて伊賀の独立を守ろうとした人々と、それを制圧しようとした織田軍の緊張感を感じることができる。
今回は、丸山城跡を訪ねながら、その歴史的背景や見どころをたどり、戦国乱世における伊賀の運命を考えてみたいと思う。
丸山城跡の由緒
丸山城跡は、東西約400メートル、南北約450メートルに及ぶ伊賀最大級の山城である。比自岐川と木津川に囲まれた独立丘陵上に築かれ、丘陵全体に大小の曲輪を配した壮大な城郭として知られる。
この城は、もともと伊勢国司・北畠具教が伊賀国攻略や隠居城として築城を計画し、天正4年(1576)頃から整備が進められた。しかし織田信長による北畠氏支配の過程で計画は中断され、その後、北畠氏を継いだ信長の次男・織田信雄が伊賀支配の拠点として城の修築・拡張を命じた。
天正6年(1578年)、信雄の重臣である滝川雄利(三郎兵衛)が普請を担当し、本格的な築城工事が進められた。ところが、伊賀への支配強化を警戒した伊賀の国人衆(伊賀衆)は、築城の動きをいち早く察知する。木津川対岸の国人たちが結集し、同年10月25日、未完成だった丸山城を総攻撃した。奇襲を受けた滝川勢は大混乱に陥り、その日のうちに伊勢方面へ敗走。丸山城は落城した。
この丸山城攻防戦は、翌年の第一次天正伊賀の乱、さらに天正9年(1581年)の第二次天正伊賀の乱へとつながる発端となり、戦国期の伊賀の運命を大きく左右した。まさに「天正伊賀の乱の火蓋を切った城」といえる。
第二次天正伊賀の乱で織田軍が伊賀を平定した後、滝川雄利は伊賀支配を任され、丸山城も再びその拠点となったと考えられている。その後、天正12年(1584年)頃に雄利が伊勢松ヶ島城へ移ったことに伴い、丸山城も廃城になったとみられる。
丸山城は、まさに『天正伊賀の乱の火蓋を切った城』といえる。
| 名 称 | 丸山城跡 |
| 所在地 | 三重県伊賀市枅川 三重県伊賀市下神戸1568-1(丸山集会所) |
| アクセス | 名阪国道「上野東IC」から 国道422号を経由して南下、約15〜20分 |
| 駐車場 | 丸山集会所の駐車スペースが使用可(約5台分) |
| Link | 丸山城跡 – 伊賀上野観光協会 |
丸山城跡を歩く
丸山城跡は、山城でありながら比較的登りやすく、天正伊賀の乱の発端となった戦国史の舞台を身近に体感できる貴重な史跡である。 城は標高約213メートルの独立丘陵上に築かれ、麓との比高は約50~60メートルほど。南側登城口(丸山集会場付近)から整備された山道を登れば、5~10分ほどで主郭(本丸)に到着できる。
丸山城跡は東西約400メートル、南北約450メートルに及び、丘陵全体に多数の曲輪を配した伊賀最大級の山城である。伊賀に多く見られる国人の居館的な城とは異なり、織田方の最新の築城技術を取り入れた本格的な軍事拠点として築かれたことが大きな特徴である。
● 主郭西南に残る天守台跡
主郭の西南部には、高さ約4~5メートルの天守台跡が残る。現在は大正時代に建立された「丸山城址」の石碑が立ち、近くには天正伊賀の乱の供養塔も静かに佇んでいる。『伊賀旧考』には三層の天守が計画されていたことが記されており、未完成ながら当時としては極めて先進的な城郭だったことがうかがえる。
● 散乱する栗石
天守台周辺には、石垣の裏込めに用いられた「栗石」が今も数多く残されている。これは織田方が石垣を備えた近世的な城を築こうとしていた証拠であり、山城が未完のまま戦乱に巻き込まれた歴史を今に伝えている。
● 主郭南側に残る枡形虎口
主郭南側には、防御施設として設けられた枡形虎口が遺されている。敵を直進させず屈折させて侵入を遅らせる構造で、織田方の築城技術を示す代表的な遺構である。 伊賀市デジタルミュージアムでも、丸山城跡の見どころの一つとして紹介されている。
● 北曲輪に見られる喰い違い虎口
主郭北側から北曲輪へ向かう部分では、通路を意図的に折れ曲がらせた喰い違い虎口の構造を観察できる。敵兵が一直線に攻め込めないよう工夫された防御施設であり、在地勢力の城郭にはあまり見られない先進的な縄張りである。 また、主郭周辺には横堀や土塁、横矢折れなどが随所に設けられており、戦国後期の築城技術を学ぶうえでも興味深い。
静かな雑木林に包まれた山上に立つと、完成目前で伊賀衆の襲撃を受けた織田方の城の緊張感が、今なお伝わってくる。
◆ あとがき
丸山城跡は、壮大な天守や華やかな石垣を持つ名城ではない。しかし、この山城には、戦国時代の勢力争いの最前線となった伊賀の歴史が凝縮されている。
織田方によって築かれながらも、伊賀衆の激しい抵抗によって一度は落城した丸山城。その出来事は、後の天正伊賀の乱へとつながり、伊賀の人々の自治と誇りが試される大きな歴史の転換点となった。
今、城跡に残る土塁や曲輪を眺めていると、450年近い歳月の向こうから、山々に響いたであろう鬨の声や、故郷を守ろうとした人々の思いが静かに伝わってくるようである。
華やかな観光地とは異なる魅力を持つ丸山城跡は、歴史好きの方はもちろん、日本遺産「忍びの里 伊賀・甲賀」の物語をより深く知りたい方にもおすすめの史跡である。伊賀の山々を渡る風を感じながら、戦国の記憶に思いを馳せてみてはどうだろうか。