竹島城跡にたどる天正伊賀の乱──戦国の激戦を語る城跡

目次
はじめに
竹島城跡の由緒
竹島城跡を歩く
あとがき

はじめに

三重県伊賀市愛田の丘陵に、戦国の記憶を今に伝える竹島城跡(竹島氏城)がある。

竹島城は、北畠氏に仕えた土豪・竹島氏の居城として築かれ、天正9年(1581年)の第二次天正伊賀の乱では、伊賀衆の一員として織田軍に抗したと伝えられている。華やかな天守や石垣を持つ城ではないが、主郭を囲む堅固な土塁や深い堀切は良好な状態で残り、当時の緊張感を今なお感じさせる。

現在は愛田公民館から気軽に登城できる史跡として整備されており、道中には案内板や「忍び問答」の看板も設けられている。歴史に触れながら散策を楽しめることから、城郭ファンはもちろん、歴史散歩を楽しみたい方にもおすすめの場所である。

今回は、天正伊賀の乱の激戦を見つめた竹島城跡を訪ね、その見どころと往時の面影をたどってみたい。


竹島城跡の由緒

竹島城跡(竹島氏城)は、伊賀市愛田に残る中世の城跡で、室町時代前期に北畠氏に属した土豪・竹島景義によって築かれたと伝えられている。竹島氏は一説に平氏の流れをくむ日置氏の一族ともいわれ、代々北畠氏に仕えながら、この地を本拠として勢力を保った。

戦国時代末期の天正9年(1581年)、織田信長による第二次天正伊賀の乱が起こると、竹島氏も伊賀衆の一員として抗戦した。しかし、城主・竹島右衛門は春日宮山(壬生野・宮川付近)の合戦で討死したと伝えられ、竹島城もこの戦いをもってその歴史に幕を閉じた。

その後、江戸時代になると竹島氏の一族は藤堂藩に「伊賀者」として仕えたとされる。伊賀者は忍びの技術や情報収集能力を買われた藩の特殊な役職であり、伊賀の武士たちが新たな時代のなかで生きた姿をうかがわせる。

また竹島家には、俳聖・松尾芭蕉ゆかりの人物との縁を示す記録も伝わっており、伊賀の文化史を語るうえでも興味深い存在である。

現在の竹島城跡には、主郭(本丸)を囲む堅固な土塁や尾根を断ち切る堀切が良好な状態で残されており、中世山城の姿を今に伝えている。天正伊賀の乱の激戦を物語る貴重な史跡として、1989年(平成元年)には伊賀市指定史跡となった。

名 称竹島城跡(竹島氏城)
所在地三重県伊賀市愛田
三重県伊賀市愛田1143(愛田公民館)
TEL0595-45-4203(愛田公民館)
アクセス名阪国道「下柘植IC」から約10分。
県道146号線を南下し、愛田集落に入る
駐車場愛田公民館の駐車スペース(数台分)
Link

竹島城跡を歩く

竹島城跡(竹島氏城)へは、愛田公民館を起点に登城できる。公民館脇の案内に従って西側の山道へ進み、途中に設けられた防獣ゲート(金属製フェンス扉)を通過する。通過後は必ず扉を閉めたい。

登城路には「竹島城跡」の案内標識が随所に設置されているほか、地元住民が設けた「忍び問答(クイズ)」の看板も点在しており、散策を楽しみながら主郭(本丸)までたどり着くことができる。愛田公民館から城跡までは、およそ10分ほどの道のりである。

竹島城跡は愛田集落の北側丘陵に築かれた中世城郭で、主郭を中心とする堅固な縄張りを備えている。現在も主郭を囲む大規模な土塁や堀切が良好な状態で残り、伊賀の土豪たちが築いた城の姿を今に伝えている。特に方形の主郭を囲む土塁は保存状態が良く、竹島城跡最大の見どころとなっている。


圧倒的な存在感を放つ大土塁

主郭の東・北・南の三方には、高さ約2メートルにも及ぶ壮大な土塁が巡らされている。保存状態は極めて良好で、方形の郭を囲む中世城郭の姿を明瞭に観察できる。主郭内部に立つと、土の防壁に囲まれた要塞のような空間が広がり、戦国時代の緊張感を実感できる。


主郭の南虎口と城址碑

主郭南側には城の正面入口にあたる南虎口が残されている。土塁に挟まれた出入口の構造がよく分かり、中世城郭の防御思想を体感できる場所である。虎口を見下ろす土塁上には「竹島氏城跡」の石碑が建てられており、城跡を象徴する撮影スポットとなっている。


深く刻まれた堀切(空堀)

主郭の東側には尾根を断ち切る堀切が設けられている。これは尾根伝いに攻め寄せる敵の進路を遮断するための防御施設で、竹島城の見どころの一つである。登城路途中の土橋付近では、その深さや構造を間近に観察することができる。


愛田公民館前の句碑と松尾芭蕉との縁

愛田公民館前には、松尾芭蕉の

這ひ出よ 飼屋が下の 蟾(ひき)の声

の句碑が建てられている。

竹島氏は日置氏の一族と伝えられ、近年の郷土史研究では、竹島家13代・景勝に芭蕉の姉が嫁いだことを示す記録が紹介されている。こうした縁もあり、竹島氏と芭蕉とのつながりが地元で語り継がれている。


城跡は華やかな天守を持つ近世城郭ではない。しかし、土塁や堀切が往時の姿を鮮明に残しており、天正伊賀の乱を生きた伊賀武士たちの息遣いを感じられる貴重な史跡である。


あとがき

竹島城跡には壮麗な建造物は残っていない。しかし、主郭を囲む堅固な土塁や深く刻まれた堀切は、戦国時代の城が「戦うための施設」であったことを雄弁に物語っている。

ことに天正伊賀の乱は、伊賀の人々が自らの郷土を守るために織田軍へ立ち向かった歴史として語り継がれてきた。竹島城跡を歩いていると、城主・竹島右衛門をはじめ、この地を守ろうとした人々の息遣いが静かに伝わってくるように感じられる。

また、竹島氏には松尾芭蕉ゆかりの記録も伝えられており、戦国史だけでなく伊賀の文化史とのつながりを感じられる点も興味深い。

天守閣のある名城を巡る旅も魅力的だが、土塁や堀切だけが残る城跡には、かえって往時を想像する楽しみがある。静かな丘陵に残る土の城を歩けば、四百年以上前の伊賀武士たちの記憶がふと甦る。竹島城跡は、歴史の鼓動に耳を澄ませながら歩きたい伊賀の隠れた名史跡である。


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