千賀地城跡──服部半蔵と藤堂采女ゆかりの山城跡を歩く

目次
はじめに
千賀地城跡の由緒
千賀地城跡を歩く
あとがき

はじめに

伊賀といえば忍者の里として知られているが、その歴史を支えたのは忍者だけではない。山あいには数多くの中世城館が築かれ、土豪たちが地域を守りながら独自の文化と自治を育んできた。

今回訪ねる千賀地城跡は、徳川家康に仕えた伊賀忍者の代表的人物として知られる服部半蔵正成ゆかりの地として伝わる山城跡である。さらに、江戸時代に伊賀上野城代家老を務めた藤堂采女家とも深いゆかりを持つ。

城の規模は決して大きくないものの、高く築かれた土塁や堀切などの防御施設が良好に残されており、中世伊賀の土豪たちの知恵と戦略を今に伝えている。静かな山里にたたずむ城跡を歩きながら、戦国の世を生きた人々の足跡をたどってみたい。


千賀地城跡の由緒

千賀地城跡(千賀地氏城跡)は、室町時代後期に伊賀の土豪であった千賀地氏(服部氏)が築いたと伝わる中世の山城である。築城主は千賀地保長(服部保長)とされ、保長は足利氏に仕えていた後、この地に移り住み、地名にちなみ千賀地氏を名乗ったと伝えられている。

千賀地氏は伊賀の有力な土豪の一族であり、その一族からは、徳川家康に仕え「神君伊賀越え」で名を残した服部半蔵正成が出たことで知られる。千賀地城は、服部半蔵ゆかりの地、あるいは出生地の一つとして伝承されており、江戸城の半蔵門の名の由来となった半蔵の足跡を今に伝えている。

また、伊賀上野城代家老として代々重きをなした藤堂采女家の祖とされる千賀地氏とのゆかりも深く、城跡は藤堂采女家ゆかりの地としても知られている。現在も城内には「服部半蔵・藤堂采女誕生の地」の石碑が建てられている。

千賀地城跡は伊賀市予野に点在する中世城館群の一つで、東西約60メートル、南北約80メートルほどの丘陵上に築かれた小規模な城館である。主郭の東・西・北の三方には土塁が巡らされ、北側には堀切が設けられるなど、中世山城の防御施設が良好に残されている。

現在は公園として整備されており、曲輪や土塁などの遺構を間近に見学できる。静かな山里の風景の中に、伊賀忍者の象徴的存在である服部半蔵と、藤堂家重臣として名を残した藤堂采女家の歴史を感じることができる史跡として親しまれている。

名 称千賀地城跡(千賀地氏城跡)
所在地三重県伊賀市予野
アクセス名阪国道「大内IC」または「上野IC」から
伊賀コリドールロードを経由、で約15〜20分
駐車場駐車スペースあり(数台分)
Link千賀地城跡 – 伊賀上野観光協会

千賀地城跡を歩く

千賀地城跡へは公共交通機関の便が限られているため、車やレンタカーでの訪問がおすすめである。登城口付近には数台分の駐車スペースが整備され、案内看板も設置されている。

公共交通機関を利用する場合は、伊賀鉄道「上野市駅」から三重交通バス(予野線)に乗車し、「予野生華園前」停留所で下車する。そこから徒歩約15分で城跡へ到着する。また、JR「伊賀上野駅」や伊賀鉄道「上野市駅」からタクシーを利用すると、おおむね15〜20分ほどでアクセスできる。

千賀地城跡は規模こそ大きくないものの、土塁や堀切など中世山城の防御施設が良好な状態で残されている。伊賀の土豪が築いた実戦的な城郭構造を今に伝える貴重な史跡として、城郭ファンや伊賀の歴史に関心を持つ人々から高く評価されている。


服部半蔵・藤堂采女ゆかりの碑

主郭(曲輪)跡の広場には、服部半蔵正成生誕地碑と藤堂采女ゆかりの碑が建てられている。いずれも当地に伝わる伝承に基づくもので、伊賀の歴史に名を残した両者と千賀地氏との関わりを今に伝えている。城跡を訪れた際には、まず立ち寄りたい見どころの一つである。


見事に残る方形土塁

城跡の東・西・北の三方には、高く築かれた方形土塁が今も残っている。土塁は敵の侵入を防ぐための重要な防御施設であり、数百年を経た現在でもその輪郭を明瞭に確認することができる。主郭を囲む土塁の姿からは、中世の城ならではの防御意識の高さをうかがうことができる。


堀切に見る中世山城の知恵

城の北側には、丘陵を人工的に断ち切って造られた堀切が残されている。堀切は尾根伝いに攻め寄せる敵を防ぐための施設で、中世山城を特徴づける遺構の一つである。千賀地城跡では土塁と堀切が良好に残り、小規模ながらも機能的な城郭構造を観察することができる。

竹林や雑木林に囲まれた静かな城跡には、往時の面影が色濃く残る。伊賀の山里にひっそりと佇むこの城跡を歩いていると、戦国の世を生きた土豪たちの息遣いが聞こえてくるようである。


あとがき

千賀地城跡は、華やかな天守や石垣を備えた近世城郭とは異なる。しかし、その素朴な姿の中には、中世伊賀の人々が築き上げた防御の知恵と地域の歴史が色濃く刻まれている。

服部半蔵や藤堂采女にまつわる伝承に触れながら土塁や堀切を見学すると、この地が単なる城跡ではなく、伊賀の歴史を語る大切な舞台であったことが実感できる。静かな竹林や山里の風景に包まれた城跡は、戦国時代の面影を今に残す貴重な史跡といえるだろう。

忍者の里・伊賀を訪れた際には、ぜひ千賀地城跡にも立ち寄ってみたい。静かな山里の風景の中に、服部半蔵ゆかりの歴史と中世山城の魅力が今も息づいている。


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