◆ はじめに
瀬戸内の海は、いつ訪れても穏やかで、どこか懐かしい光をたたえている。 その海に寄り添うように佇む福山の 鞆の浦、弁天島、 磐台寺観音堂と 仙酔島、 そして尾道の 千光寺、天寧寺、潮聲山耕三寺── 海と坂、島と寺院が織りなす風景は、旅人の心を静かにほどいてくれる。
鞆の浦では、古い町並みと港の風景がゆっくりと時間を巻き戻し、 仙酔島では、海と空の青が重なり合う中で、ただ歩くだけで心が軽くなっていく。 尾道の坂を上れば、寺院の静けさが迎えてくれ、 瀬戸内の風景が少しずつ高い場所から広がっていく。
今回の旅は、華やかさを求めるものではなく、「静けさの中にある豊かさ」を味わうための、ゆっくりとした瀬戸内散歩である。
福山
福山市は、広島県東部に位置する人口約46万人の都市である。福山城が新幹線の駅から見えることでも有名である。
福山市にある「鞆の浦」は、古くから潮待ちの港として栄えた場所である。また無人島「仙酔島」は、瀬戸内海国立公園を代表する景勝地の一つである。
鞆の浦
──潮の香りと古い町並みが息づく、瀬戸内随一の“静かな港町”
鞆の浦【とものうら】は、福山駅から南へ14kmの瀬戸内海沿岸のほぼ中央に位置する。古くから「潮待ちの港」として栄え、瀬戸内海国立公園を代表する景勝地の1つとなっている。「潮待ち」とは、潮流を利用して航行する船が潮流の向きが変わるのを待つことを意味する。

瀬戸内海のほぼ中央に位置する鞆の浦は、古くから潮待ちの港として栄え、今もその面影を色濃く残す、静かで美しい町である。
港に立つと、潮の香りがふわりと漂い、海と町が寄り添うように続く風景が、旅人の心をそっとほどいてくれる。

港の象徴である 常夜灯 は、鞆の浦の静けさを象徴する存在。 夕暮れ時、海に柔らかな光が落ちると、 町全体が淡い色に染まり、瀬戸内らしい“やさしい時間”が広がる。



町を歩けば、江戸時代から続く商家の建物が並び、石畳の道がゆるやかに湾へと続いていく。どこか懐かしいこの町並みは、時間の流れをゆっくりと巻き戻してくれるようで、歩くほどに、旅のテンポが自然と穏やかになる。
潮待ちの港として栄えた鞆の浦には古い土壁のつづく路地や情緒ある家並、昔の土蔵などがその当時のおもかげが残されている。

江戸時代には北前船の寄港地としても栄え、朝鮮通信使も幕府の慶賀などのために度々寄港したという。迎賓の場所として福禅寺が使われたようで、福禅寺本堂隣の「対潮楼」は1690年頃に客殿として建てられ、賓客の宿舎として使われたという。

座敷からは弁天島や瀬戸内海の絶景が眺められる。

朝鮮通信使であった李邦彦が鞆の浦の景色を眺めて「日東第一形勝」(朝鮮より東で一番美しい景勝地)と称賛したという話が残されている。

鞆の浦は国内外との交易で栄えた港であり、歴史的に名高い旧跡や遺構も多く残されている。幕末に坂本龍馬が乗船した「いろは丸」が紀州藩の軍艦「明光丸」と鞆の浦沖で衝突し、坂本龍馬と龍馬率いる海援隊が鞆の浦に上陸して賠償交渉を行ったという史跡もある。坂本龍馬が隠れ潜んだ部屋も公開されている。

歴史、海、町並み──そのすべてが穏やかに調和する鞆の浦は、
シニアになった今だからこそ、より深く味わえる瀬戸内の宝物のような場所である。


さらに船で仙酔島へ渡れば、海と空の青が重なり合う絶景が迎えてくれ、鞆の浦の旅はより深い静けさへと続いていく。
| 名 称 | 鞆の浦 |
| 所在地 | 福山市鞆の浦 |
| Link | 鞆の浦 – 福山市HP |
弁天島
弁天島【べんてんじま】は、鞆港と仙酔島【せんすいじま】との中間に位置する無人島である。鞆の浦から望む代表的な景観になっている。

鞆港から船で仙酔島へ渡る際には進行方向の右手に弁天島を見ることができる。一般観光客は弁天島へは渡れない。

仙酔島
仙酔島【せんすいじま】は、鞆の浦から船で5分のところに浮かぶ無人島であり、瀬戸内海国立公園を代表する景勝地でもある。


仙酔島には仙人が住んでいたという伝説があり、「仙人が酔う程に美しい島」というのが島の名前の由来と言われている。

江戸時代の学者・頼山陽は、仙酔島や瀬戸内海の美しさを見て「山紫水明」という言葉を生み出したと伝わる。

仙酔島の南側の海岸線沿いには、「五色岩」と呼ばれる、青・赤・黄・白・黒の5色の岩が200m以上続いている、全国でも珍しい貴重な岩場がある。


島内には、宿泊施設、海水浴場やキャンプ場がある他、ハイキングコースも整備されているので天候が良ければアウトドアの娯楽に最適な場所となる。
| 名 称 | 仙酔島 |
| 所在地 | 福山市鞆町後地 |
| Link | 仙酔島 – 福山市HP |
磐台寺観音堂
磐台寺観音堂【ばんだいじかんのんどう】は、付近の航海の安全を祈願するために、石造十一面観音像を本尊に祀り、992年に創建されたお堂である。



本尊は、瀬戸内海に面する阿伏兎岬【あぶとみさき】で祀られているので阿伏兎観音【あぶとかんのん】とも呼ばれる。



朱塗りの観音堂は、は毛利輝元によって創建されたもので、国の重要文化財に指定されている。


磐台寺観音堂は、瀬戸内海に映える素晴らしい景観として広く知られている。昔から航海の安全、子授け・安産の祈願所としても有名である。

磐台寺は、臨済宗妙心寺派の寺院で、瀬戸内三十三観音霊場第二十四番札所、備後西国三十三観音霊場第四番札所でもある。
| 名 称 | 磐台寺観音堂(阿伏兎観音) |
| 所在地 | 福山市沼隈町能登原阿伏兎1427-1 |
| 駐車場 | あり(無料) |
| Link | 阿伏兎観音(磐台寺) | 福山 阿伏兎観音/磐台寺観音堂 |
ばら公園
──色彩と香りが静かに満ちる、福山のやさしい花の庭
ばら公園【ばらこうえん】は、福山市花園町にある、バラが数多く植栽された公園である。毎年5月に「福山ばら祭」が開催されることで有名である。

福山市を代表する花の名所・ばら公園は、初夏になると園内いっぱいに色とりどりのバラが咲き誇り、歩くたびにふわりと漂う香りが、旅人の心をそっとほどいてくれる場所である。華やかさの中にも落ち着いた静けさがあり、年齢を重ねた今だからこそ、その柔らかな美しさがより深く感じられる。

園内には、世界各地のバラや福山ゆかりの品種が丁寧に植えられ、 赤、白、黄、淡いピンク── 色彩が重なり合う風景は、まるで絵画のようである。 ゆっくりと園内を歩いたり、 ベンチに腰掛けて風を感じるだけで、心が静かに整っていくようで心地よい。
| 名 称 | ばら公園 |
| 所在地 | 福山市花園町1-6 |
| 駐車場 | あり(無料) |
| Link | ばら公園 – 福山市HP |
尾道
広島県尾道市は、しまなみ海道の中国側の拠点でもある。尾道は北の千光寺山と南の尾道水道に挟まれた東西に細長い町である。
運河のような尾道水道には江戸時代には北前船が寄港し、尾道は港町として栄えた。そのため江戸時代の名残りの波止場や職人町等の跡につくられた商店街が広がる。


江戸時代には、山陰地方の物産が尾道まで運ばれ、ここで船積みされて江戸へ向かったという。また尾道商人がここを北前船の寄港地としたため尾道は一層繁栄したという。
尾道の町並みは日本の原風景と言われ、市内のレトロな雰囲気や瀬戸内海の美しい景色は多くの人を魅了し、林芙美子や志賀直哉が移り住んだと言われている。


尾道は全国でも有数のお寺の町でもあり、市内に点在する古刹をめぐりながら、ゆっくりと街を散策できる。
千光寺公園
千光寺公園は、千光寺山の南山腹に位置し、千光寺を中心にした公園である。尾道市街や尾道水道、瀬戸内海を一望できる景勝地である。

春には桜やつつじが咲き、初夏にはフジの花が咲き誇る。秋には菊花展も開催されるという。

| 名 称 | 千光寺公園 |
| 所在地 | 尾道市西土堂町19-1 |
| 駐車場 | あり(有料) |
| Link | 千光寺公園 – 尾道市HP |
千光寺
千光寺【せんこうじ】は、千光寺山の南山腹に位置し、平安時代の始めの大同元年(806年)に創建された古刹である。真言宗系の単立寺院で、千光寺公園内にある。山号を大宝山【たいほうざん】と称する。
本堂は貞享三年(1686年)の建立で、この地方には珍しい舞台造り、堂内に置かれた須弥壇は応永から永享(1394~1440年)頃の作で、和様に唐様を加味した形式である。本堂には本尊の秘仏・千手観世音菩薩が安置されている。

千光寺は、珍しい形状の巨石が多数あることで有名な寺である。
本堂は三重岩を背後に崖にせり出すように建てられいる
境内の中央にある巨岩「玉の岩」には、昔この岩の頂に如意宝珠があって、夜毎に海上を照らしていたという尾道で最も有名な「玉の岩伝説」が残されている。昔、烏帽子岩(玉の岩)の頂にはるか遠くを照らす「宝玉」があったと伝えられている。この山を大宝山といい、寺を千光寺、港を玉の浦と名付けられたのはこの伝説にもとづくものであるとされる。
いったい宝玉は何で出来ていたのだろうか? 異国人による盗難で紛失したらしいが、宝玉の行方を是非知りたいものだ。

現在は烏帽子岩の頂に宝玉の代わりに玉が置かれ、夜になると三色に輝く
玉の岩は、周り50 m、高さ15 mもある千光寺当山第三の巨岩である。この大岩の頂には直径14 cm、深さ17 cmの穴があるが、この穴が光を放つ宝玉があった跡だといわれている。
「玉の岩」の右には朱塗りの本堂、左には龍宮造りの鐘楼が建造されている。本堂と鐘楼は尾道の代表的な景観となっている。

千光寺第一の巨岩であるためこの巨岩の前に本堂を建立したのであろうか?
千光寺境内には三重岩のほかにも巨岩・奇岩があるので、これらも必見の価値がある。
千光寺の鎮守は、熊野権現と石鎚蔵王権現であり、千光寺本堂裏には石の鳥居があって大正時代から石鎚蔵王権現が奉られていた。1926年3月に石鎚山へ登る鎖を取り付けたが、先の戦争が激化にした1943年に鐘と一緒に供出させられた。それ以来放置されていたが、2003年頃に住職(多田義信氏)による発案で石鎚山の整備が始まり、2005年から一般参拝客にも開放された。

石鎚権現は四国愛媛の石鎚山ではなく同地区にある浄土寺・瑠璃山(鎖山)にある石鎚権現を向いているという。

冬至には岩屋山山頂(向島)から朝日が昇るが、その御来光を真正面に拝める場所がすぐ横にある御船岩である。そのような配置を誰が考え、どのように実行したのか非常に興味深い。

「玉の岩」の宝珠または太陽や月の光を鏡のように反射させていたとの伝承がある。鏡には神が宿ると言われる。

岩の上を石で打つと「ポンポン」と鼓のような音がする。千光寺第二の巨岩

夫婦岩には烏天狗が刻まれている。自然にできたものでなく作者がいるはずだから烏天狗が描かれている理由もあるはずだ。理由を検索したが見つかない。謎が多いと人はそれを神秘的と言う。ミステリーはそのままにしておくのがよい場合もある。



千光寺境内からは尾道の市街地と瀬戸内海の尾道水道や向島などが一望できる。浄土寺山展望台に並ぶ尾道最高の展望台の一つだ。

| 名 称 | 大宝山 千光寺 |
| 所在地 | 尾道市東土堂町15-1 |
| 駐車場 | なし 千光寺公園内駐車場(有料) |
| Link | 尾道、千光寺、公式HP |
天寧寺
天寧寺【てんねいじ】は、千光寺山の山麓に、1367年に尾道の道円の発願により、足利義詮【あしかがよしあきら】が足利尊氏【あしかがたかうじ】の遺志を継いで工事を寄進し、普明国師を請して開山された寺院であると伝わる。
創建当時は東西三町にわたる七堂伽藍を配した大寺院であったという。創建当時は臨済宗であったが、元禄年間に現在の曹洞宗に転宗したとされる。御本尊は釈迦牟尼佛である。
天寧寺の三重塔(海雲塔)は重要文化財である。


創建当時は大寺院であったが、室町幕府の後ろ盾がなくなったことや、火災で塔以外の全てを焼失したことにより衰退した。現在の三重塔は、五重塔の傷みの激しい上二重を取り払って三重に改造したもので、一際目立つ外観となっている。最初に観たときの違和感がこれが理由であったと知り、合点したのを覚えている。天寧寺の三重塔は現在では尾道の風景を代表する存在の一つになっている。天寧寺は、五百羅漢像がある羅漢堂やしだれ桜と牡丹の名所としても知られている。
春には境内にシダレ桜やボタンが咲き誇るという。
| 名 称 | 天寧寺 |
| 所在地 | 尾道市東土堂町17-29 |
| 駐車場 | なし 千光寺公園内駐車場(有料) |
| Link | 天寧寺 | 尾道 七佛めぐり |
潮聲山 耕三寺
耕三寺は、浄土真宗本願寺派の寺院で、山号を潮聲山、寺号を耕三寺という。堂塔は、国宝建造物を手本として建てられたもので、堂塔の15棟は国登録有形文化財に指定されている。特に、日光東照宮の陽明門を原寸大で再現した孝養門など圧巻である。

耕三寺耕三氏(技術者・実業家)が母親の死後、母への報恩感謝の意を込めて、自ら僧籍に入り菩提寺として1935年(昭和10年)から生涯を掛けて建立した寺院だという。

耕三寺の境内には日本各地の古建築を模して建てられた堂塔が建ち並び「西の日光」とも称され、「母の寺」として知られる。
耕三寺の五重塔は、奈良室生寺の五重塔をモデルにして昭和30年(1955年)11月に建立された仏塔である。この五重塔は、開山の母の納骨塔で「大慈母塔」と名付けられている。


境内の宝殿には、国の重要文化財などを展示している。
| 名 称 | 潮聲山 耕三寺 |
| 所在地 | 尾道市瀬戸田町瀬戸田553-2 |
| 駐車場 | あり(無料) |
| Link | 耕三寺 – 瀬戸田 耕三寺博物館 |
◆ あとがき
鞆の浦の港に漂う潮の香り、仙酔島の海風、 尾道の坂に響く足音、寺院の境内に落ちる柔らかな影── それぞれの静けさが重なり合い、旅の時間を深くしてくれた。
歩く速度を少しゆるめるだけで、 海のさざめきや寺院の息づかいが自然と心に届いてくる。 シニアになった今だからこそ、その静けさがより豊かに感じられるのかもしれない。
瀬戸内の光と風に包まれたこの旅は、 日々の忙しさをそっとほどき、 また次の季節に訪れたくなるような、やさしい余韻を残してくれた。