◆ はじめに
京都の神社仏閣は国際的にも有名であり、世界文化遺産「古都京都の文化財」の構成資産として17か所が登録されている。世界文化遺産に登録されていない寺社にも素晴らしい景勝地があり、むしろそちらの方が多いくらいだ。今宮神社【いまみやじんじゃ】もその一つである。
京都・紫野の地に佇む今宮神社は、古くから疫病退散の社として人々の暮らしを守ってきた。 その歴史の中で、徳川五代将軍・綱吉の生母である桂昌院が深く関わり、社殿の造営や祭礼の復興に尽力したことから「桂昌院ゆかりの社」として知られている。
さらに、桂昌院が八百屋の娘から大奥へと上がり、やがて将軍の生母となったことから、今宮神社は「玉の輿」の象徴として親しまれるようになった。本稿では、この今宮神社をゆっくり歩きながら、歴史と伝承が静かに息づく古社の魅力をたどってみたい。
今宮神社の由緒
──紫野に息づく静かな古社の佇まい
京都・紫野の地に鎮座する今宮神社は、主祭神として大己貴命【おおなむちのみこと】、事代主命【ことしろぬしのみこと】、奇稲田姫命【くしなだひめのみこと】の3柱の神が祀っている。
1001年に疫病が流行した際、朝廷は疫神を船岡山から移し、疫神を祀った社に神殿・玉垣・神輿を造らせて今宮社と名付けたのが創始と伝わる。以来、疫病が流行るたびに紫野御霊会が営まれ、やがて今宮社の祭礼(今宮祭)として定着して毎年5月に行われることとなったという。
このように今宮神社は、平安時代から続く古社で、疫病退散の神として人々の暮らしを守り、地域の信仰の中心として長く親しまれてきた。
京都西陣の八百屋に生まれた「お玉」が江戸幕府第3代将軍徳川家光の側室となり、5代将軍綱吉の生母・桂昌院として従一位となった。このことが「玉の輿」の由来になったとの説がある。
桂昌院は、京都の寺社の復興に力を注いだが、特に今宮神社に対する崇敬と西陣に対する愛郷の念が非常に強かったといい、社殿の造営を行った他、数々の寄進や祭事の整備など様々な施策を行ったという。そのため、今宮神社は別名で玉の輿神社【たまのこしじんじゃ】とも呼ばれる。
境内に入ると、楼門の端正な佇まいが目に入り、木々の緑が風に揺れて静かな時間が広がる。観光地の喧騒から少し離れるだけで、こんなにも落ち着いた空気が流れていることに驚かされる。歩くほどに、この社が長く人々の生活に寄り添ってきたことが自然と伝わってくる。
| 名 称 | 今宮神社 |
| 所在地 | 京都市北区紫野今宮町21 |
| TEL | 075-491-0082 |
| 駐車場 | あり(有料) |
| Link | 紫野 今宮神社 |
疫病・災厄と御霊会
──今宮神社の原点に触れる
奈良時代から平安時代にかけて、人々は疫病や災厄の原因を、怨みを抱いて亡くなった人々の霊──御霊【ごりょう】──の祟りによるものと考えていた。 医療が未発達で、病原菌やウイルスの存在が知られていなかった時代において、目に見えない災いは「祟り」として恐れられたのである。
疫病や厄災が起こると、御霊を鎮めるために祭礼が行われた。これを御霊会【ごりょうえ】と呼ぶ。 臨時に御霊会を営み、祭壇に神饌【しんせん】を捧げて御霊の怒りを和ませ、京の中心部から京外へとお遷りいただくことが御霊会の目的であった。
紫野御霊会もその一つである。 紫野と呼ばれる地域で行われたことから「紫野御霊会」と呼ばれるようになった。 その起源は、長徳2年(996年)頃に船岡山で営まれていた御霊会を、長保3年(1001年)に紫野の地へ移して執り行うようになったことに始まる。 これが今宮神社の創祀とされ、すなわち紫野御霊会を営んだことが今宮神社のはじまりである。
平安京は繁栄する一方で、疫病や災厄が絶えず人々を苦しめた。 藤原道長の全盛期、一条天皇の御代であった正暦5年(994年)には、悪疫退散を祈るために二基の神輿が造営され、船岡山に安置して御霊会が営まれたと伝えられている。
この御霊会では、京中の老若男女が神輿とともに船岡山へ登り、綾傘に風流を施し、囃子に合わせて唄い踊った。 病魔が取り憑くとされた人形を難波江【なにわえ】へ流す儀式も行われ、これが後に「夜須礼(やすらい祭)」の起源となったとされる。
現在、今宮神社で毎年4月第2日曜日(午後3時頃)に行われる「やすらい祭」は、疫病を鎮め、平安を願う春の祭として知られている。 桜や椿で飾られた花傘を中心に、赤毛・黒毛の鬼たちを含む約20名の行列が囃子に合わせて踊り歩き、御幣を奉じて神前へ向かう。 この花傘の下に入ると一年間健康に過ごせると伝えられ、今も多くの人々がそのご利益を求めて訪れる。 私も一度はこの祭礼を見学してみたいと思っている。
今宮神社は、このように御霊会と深い関係を持つ「疫病退散の社」である。 現代では商売繁盛や家内安全の祈願で知られているが、その根底には、古代から続く「災厄を鎮め、人々の暮らしを守る」という祈りが確かに息づいている。
境内を歩いていると、華やかな「玉の輿」伝承の裏に、 今宮神社が本来持つ深い歴史──疫病退散の社としての原点──が静かに重なり合っていることに気づかされる。 人々の暮らしを守る祈りは、時代を超えて変わることなく、この社に受け継がれてきたのである。
桂昌院ゆかりの社
──社殿造営と祭礼復興の歴史
今宮神社が「桂昌院ゆかりの社」と呼ばれるのは、桂昌院が社殿の造営や祭礼の復興に大きく関わったためである。 桂昌院は徳川五代将軍・綱吉の生母であり、将軍家の安泰を祈るために今宮神社を深く庇護した。 社殿の修復や祭礼の整備に尽力し、今宮祭や「やすらい祭」の復興にも力を注いだと伝えられている。 その功績は、今宮神社の歴史に静かに刻まれ、境内の気配にもどこか気品が漂っている。
「玉の輿」伝承
──庶民から大奥へ、桂昌院の物語
今宮神社が「玉の輿神社」と呼ばれる理由は、桂昌院の生涯にある。 桂昌院は京都の八百屋の娘として生まれ、やがて大奥へ上がり、徳川綱吉の生母となった。 庶民から将軍家へ──その劇的な人生が「玉の輿」という言葉の由来となり、今宮神社は良縁や開運を願う人々の参拝が絶えない。
境内には「玉の輿お守り」も授与され、現代でも多くの人が良縁成就を願って訪れる。 伝承は華やかであるが、その背景には努力と祈りが積み重なっていることを感じさせる。
境内の見どころ
──楼門・本殿・今宮祭・やすらい祭
今宮神社の境内には、見どころがいくつもある。 楼門は堂々とした佇まいで、社の歴史を静かに語っている。 本殿は端正で、桂昌院ゆかりの気品が感じられる。
また、今宮祭や「やすらい祭」は、地域の人々が大切に守ってきた祭礼で、春には華やかな行列が町を彩る。 歩くほどに、歴史と地域の文化が自然と伝わってくる場所である。

今宮神社が今に伝えるもの
──歴史と祈りが重なる時間
今宮神社が今に伝えてくれるのは、歴史と祈りが重なり合う静かな時間である。 桂昌院の物語は華やかであるが、その根底には祈りと努力があり、今宮神社はその思いを静かに受け止めてきた。
境内を歩いていると、歴史の気配と人々の願いがそっと重なり、心がゆっくり整っていくようである。 今宮神社は、古社としての品格と、現代の参拝者の願いを優しく包み込む場所である。
◆ あとがき
今宮神社を歩いていると、桂昌院の生涯と「玉の輿」伝承が、静かな境内の空気とともに心に染み込んでくる。華やかな物語の裏には、祈りと努力が積み重なっている──そのことを、この古社はそっと教えてくれるようである。季節を変えて訪れれば、また違う表情が見えてくる。何度でも歩きたくなるような優しい神社である。