はじめに
比叡山延暦寺は、平安時代初期の僧・伝教大師最澄(767~822)によって開かれた天台宗の総本山である。延暦7年(788年)に最澄が比叡山に一乗止観院(後の根本中堂)を創建したのが始まりとされる。
最澄は、唐に渡り天台教学を学び、日本に戻ってから天台宗を広めた。延暦寺はその後、平安時代を通じて多くの名僧を輩出し、日本仏教の発展に大きく寄与した名刹である。

現在も多くの人々が訪れる修行の聖地として知られている。一般の参拝者も一部の修行体験をすることができ、座禅や写経などのプログラムに参加できる。
延暦寺には多くの国宝や重要文化財があり、根本中堂は本堂として非常に重要な役割を果たしている。延暦寺は、1994年にユネスコの世界文化遺産「古都京都の文化財」の一部として登録されている。
比叡山延暦寺
延暦寺【えんりゃくじ】は、比叡山(標高848m)の全域を境内とする天台宗総本山の寺院である。山号は比叡山で、御本尊は薬師如来である。
延暦寺とは単独の堂宇の名称ではなく、比叡山の山上から東麓にかけて位置する東塔【とうどう】、西塔【さいとう】、横川【よかわ】などの区域にある150ほどの堂塔の総称である。
平安時代初期の延暦7年(788年)に伝教大師最澄が薬師如来を本尊とした一乗止観院という草庵を東塔北谷に建てたのが開山とされる。そして開創時の年号をとって、延暦寺という寺号が許されたのは、最澄没後の弘仁14年(823年)であると伝わる。
比叡山延暦寺は最澄による開創以来、高野山金剛峯寺と並んで平安仏教の中心的寺院であった。天台法華の教えのほか、密教、禅(止観)、念仏も行なわれ仏教の総合大学の様相を呈し、平安時代には皇室や貴族の尊崇を得て大きな力を持ったという。特に密教による加持祈祷は平安貴族の支持を集め、弘法大師空海の東寺での密教「東密」に対して延暦寺の密教は「台密」と呼ばれ、互いに覇を競ったという。
また、延暦寺は新仏教の開祖など多くの名僧を輩出し、日本仏教史上著名な僧の多くが若い日に比叡山で修行していることから、「日本仏教の母山」とも称されている。
- 円仁・円珍(日本天台宗の基礎を築く)
- 良忍(融通念仏宗の開祖)
- 法然(浄土宗の開祖)
- 親鸞(浄土真宗の開祖)
- 栄西(臨済宗の開祖)
- 道元(曹洞宗の開祖)
- 日蓮(日蓮宗の開祖)
延暦寺の住職(貫主)は天台座主と呼ばれ、末寺を強い権力で統括してきた。比叡山の寺社は最盛期には三千を越える寺社で構成されていたと伝わる。
奈良の興福寺を指す南都に対しては、北嶺【ほくれい】と呼ばれる一方、園城寺(三井寺)を指す寺門に対しては山門と呼ばれてきた。
根本中堂は、延暦寺の総本堂であり、最澄が建立した一乗止観院がその始まりとされる。現在は大規模な改修工事が行われているが、その荘厳な姿は一見の価値がある。
浄土院は、伝教大師最澄の御廟があり、修行僧が厳しい修行を続けている。
常行堂・法華堂は、修行の場として知られ、僧侶たちがひたすらお経を唱えながら修行を行っている。
国宝殿は、多くの仏像や仏画、書跡が展示されており、その多くが国宝や重要文化財に指定されている。
比叡山延暦寺は、その長い歴史と自然が織りなす魅力的な寺院である。参拝する際には、是非、これらの見どころを堪能したいと思う。
名 称 | 比叡山延暦寺 |
所在地 | 滋賀県大津市坂本本町4220 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 天台宗総本山 比叡山延暦寺 |
あとがき
比叡山延暦寺は、滋賀県と京都府の境に位置し、天台宗の総本山として知られる寺院で、歴史と自然が調和した場所である。訪れば、古代からの仏教の歴史と日本の自然の美しさを感じることができる。精神的な安らぎと美しい景色を同時に楽しめる。
比叡山は、四季折々の美しい景色を楽しむことができ、特に秋の紅葉は見事である。また、山頂からは琵琶湖や京都市内を一望することができる。
延暦寺は、788年に伝教大師最澄によって創建された寺院で、日本仏教の主要な中心地であり、多くの僧侶が修行した寺院でもある。天台宗は日本の仏教の中でも非常に影響力があり、多くの名僧を輩出した。法然、親鸞、栄西、道元、日蓮らの高僧がここで学び、やがて各宗派の開祖になっている。