◆ はじめに
──静けさの中に残る忍びの記憶を歩く旅
「忍者」と聞くと、夜陰に紛れて敵地へ潜入し、神出鬼没に活躍する謎めいた存在を思い浮かべる方も多いだろう。
伊賀と甲賀。この二つの地域は、古くから忍者発祥の地として知られ、戦国時代には数多くの忍びたちが活躍した。だが、その実像は映画や漫画に描かれる超人的な存在とは少し異なる。彼らはこの地に暮らした地侍や農民たちであり、地域の自治を守りながら、情報収集や警戒活動などに優れた知識と技術を磨いた人々でもあった。
こうした伊賀・甲賀の歴史や文化、景観は高く評価され、2017年には文化庁の日本遺産として「忍びの里 伊賀・甲賀-リアル忍者を求めて-」が認定された。構成文化財には、城館跡、神社、寺院、古文書、集落景観などが含まれ、忍者たちが生きた時代の姿を今に伝えている。
伊賀・甲賀は隣接する地域でありながら、それぞれ独自の歴史を歩んできた。とりわけ甲賀では、「甲賀郡中惣」と呼ばれる自治組織のもとで地侍たちが結束し、地域を守りながら独特の忍者文化を育んだことが知られている。
本稿では、日本遺産を構成する甲賀側の社寺や史跡を訪ねながら、甲賀忍者の足跡をたどってみたい。
滋賀県南部に広がる甲賀の地は、鈴鹿山脈の西麓に位置し、古くから京都・奈良と東国を結ぶ交通の要衝でもあった。その複雑な地形は外敵から身を守るのに適しており、忍びの技術が発達する土壌となったと考えられている。
石段を上り、古木の立つ境内を歩き、静かな山里の風景に身を置く。そこには、戦乱の世を生き抜いた人々の知恵や信仰、そして地域を守ろうとした強い意志の記憶が今もひっそりと息づいている。
歴史散策の旅に出る気持ちで、社寺と史跡に刻まれた甲賀忍者の物語を訪ねてみることにしよう。
櫟野寺
櫟野寺【らくやじ】は、日本最大級の十一面観音坐像を安置する天台宗の名刹。堂内に入ると、穏やかな表情の観音が静かに迎え入れ、甲賀の里の信仰の厚さを感じさせる。古くから里人の守り仏として親しまれ、忍びたちも旅の安全を祈願したという。
伝教大師最澄が比叡山延暦寺の根本中堂建立の用材を求めてこの地を訪れた際、櫟の巨木に霊夢を感じ、その木に十一面観音像を刻まれたのが現在の御本尊である。古より坂上田村麻呂や源頼朝など多くの武将が武運を祈った寺であり、戦国武将・滝川一益を生み出した郷土の中で甲賀武士(忍者)の崇敬によって守られてきた20体を超える平安仏(重要文化財)が安置されている。
| 名 称 | 櫟野寺 |
| 所在地 | 滋賀県甲賀市甲賀町櫟野1377 |
| TEL | 0748-88-3890 |
| 駐車場 | あり(無料)約50台 |
| Link | 福生山 櫟野寺(いちいの観音) |
水口岡山城跡
──国史跡
水口岡山城跡は、甲賀市の古城山に残る豊臣秀吉ゆかりの山城跡である。甲賀の地を治め、東海道や鈴鹿越えを見守る戦略拠点として築かれた城は、わずか15年ほどで歴史の幕を閉じた。しかし現在も石垣や堀切などの遺構が良好に保存されており、山上に立てば、天下統一を目指した豊臣政権の息吹を今なお感じることができる。
| 名 称 | 水口岡山城跡 |
| 所在地 | 滋賀県甲賀市水口町水口 |
| 駐車場 | あり(無料)約7台 |
| Link | 水口岡山城跡 | 甲賀市観光ガイド |
和田公方屋敷跡
滋賀県甲賀市に残る和田公方屋敷跡は、後に室町幕府第15代将軍となる足利義昭(当時は覚慶)が、戦国の動乱の中で身を寄せたと伝わる歴史遺跡である。
永禄の変で兄・足利義輝を失った覚慶は、奈良から脱出した後、甲賀武士・和田惟政の保護を受け、この地に滞在した。静かな館跡には庭園跡や土塁が残されており、幕府再興への道を模索した若き義昭の足跡を今に伝えている。
周辺には和田城跡や支城群からなる「和田城館群」が広がり、中世甲賀武士の防衛システムを体感できる貴重な歴史空間となっている。また、日本遺産「忍びの里 伊賀・甲賀」を構成する文化財の一つとしても知られている。
静かな里山にたたずむ和田公方屋敷跡。戦国の激動を生きた人々の物語に思いを馳せながら、歴史散策を楽しめる甲賀屈指の史跡である。
| 名 称 | 和田公方屋敷跡 |
| 所在地 | 滋賀県甲賀市甲賀町和田 |
| 駐車場 | 駐車スペースあり(数台分) 油日駅または油日神社の駐車場を推薦(徒歩約15分) |
| Link | 和田公方屋敷跡 – 日本遺産|忍びの里 伊賀・甲賀 |
小川城跡
──神君伊賀越え関連遺跡
滋賀県甲賀市信楽町にある 小川城跡 は、戦国時代に甲賀武士・多羅尾氏が本拠とした山城である。標高約470メートルの尾根上に築かれた城跡には、土塁や堀切、礎石建物跡などが良好な状態で残り、中世山城の姿を今に伝えている。
この城が広く知られる理由の一つが、徳川家康の「神君伊賀越え」との深い関わりである。本能寺の変の後、三河への帰還を目指した家康は、多羅尾氏の支援を受けながら甲賀の地を通過したと伝えられており、小川城はその歴史を語る重要な舞台の一つとなっている。
また、小川城は単独の城ではなく、小川中ノ城や小川西ノ城と連携した防衛網を形成していたと考えられている。山上から広がる信楽の風景を眺めながら歩けば、戦国武将たちが駆け抜けた激動の時代に思いを馳せることができるでしょう。
歴史ファンはもちろん、山城好きや歴史散策を楽しみたい人にもおすすめしたい、甲賀を代表する城跡の一つである。
| 名 称 | 小川城跡 |
| 所在地 | 滋賀県甲賀市信楽町小川字和田 |
| 駐車場 | 数台分の駐車スペースあり |
| Link | 小川城跡 | 滋賀県観光情報 |
多羅尾代官陣屋跡
──神君伊賀越え関連遺跡
滋賀県甲賀市信楽町の山あいに残る多羅尾代官陣屋跡は、江戸時代に幕府の直轄領(天領)を治めた多羅尾氏の居館兼代官所跡である。
多羅尾氏は、戦国時代には甲賀を代表する有力武士として活躍し、本能寺の変後に徳川家康が敢行した「神君伊賀越え」を支援したことで知られている。その功績により江戸幕府の代官に任じられ、代々世襲で地域の統治を担った。
現在は建物こそ残っていないが、美しい石垣や庭園跡、式台跡に残る信楽焼の大瓶などが往時の姿を今に伝えている。また、春には家紋「抱き牡丹」にちなむ牡丹が咲き誇り、秋には紅葉が石垣を彩るなど、四季折々の風景も楽しめる。
戦国武士から江戸幕府の代官へと歩んだ多羅尾氏の歴史に触れながら、「神君伊賀越え」を支えた甲賀武士たちの足跡をたどることができる、信楽を代表する歴史スポットの一つである。
| 名 称 | 多羅尾代官陣屋跡 |
| 所在地 | 滋賀県甲賀市 |
| 駐車場 | あり(無料)約10台 |
| Link | 多羅尾代官陣屋跡について/甲賀市 |
檜尾神社
──甲賀衆結束の鎮守の社
檜尾神社(ひのおじんじゃ)は、甲賀市甲南町池田に鎮座する古社で、主祭神に天津彦彦火瓊々杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)を祀る。社伝によれば、瓊々杵尊が青龍となって雲中に現れ、炎の尾を垂れたことから、かつては「火尾大明神」と称されたという。その後、「火尾」を「檜尾」に改めると火災が収まったと伝えられ、古くから火災除け・方除けの神として信仰を集めてきた。
中世には甲賀武士(甲賀衆)が合議や結束を図る場である「郡中惣」の鎮守として崇敬され、甲賀の自治と信仰を支える重要な存在であった。この歴史的価値から、日本遺産「忍びの里 伊賀・甲賀」の構成文化財にも位置付けられている。
現在の本殿は宝永4年(1707年)に再建された三間社流造・檜皮葺の社殿で、極彩色の彩色や精緻な彫刻が施されており、滋賀県指定有形文化財になっている。隣接する天台宗の古刹・檜尾寺とともに、神仏習合の歴史を今に伝える甲賀屈指の文化遺産である。
| 名 称 | 檜尾神社 |
| 所在地 | 滋賀県甲賀市甲南町池田54 |
| TEL | 0748-86-5878 |
| 駐車場 | あり(無料)約30台 |
| Link | 檜尾神社 | 甲賀市観光ガイド |
油日神社
──甲賀の総社
油日神社【あぶらひじんじゃ】は、甲賀の総社として古くから里の中心に立ち、忍びの里の精神的支柱ともいえる古社。境内に足を踏み入れると、静かな森が包み込むように広がり、油日岳を御神体とする山岳信仰の気配が漂う。境内の静けさは深く、忍者たちが祈りを捧げた気配がどこか残る。社殿の荘厳さと森の気配が、甲賀の歴史の厚みを静かに語る。甲賀武士や忍びたちも、この地で旅の安全や勝運を祈ったと伝わり、今も凛とした気配が残る。
| 名 称 | 油日神社 |
| 所在地 | 滋賀県甲賀市甲賀町油日1043 |
| TEL | 0748-88-2107 |
| 駐車場 | あり(無料)約10台 |
| Link | 油日神社公式HP |
大鳥神社
──甲賀衆結束の鎮守の社
大鳥神社【おおとりじんじゃ】は、主祭神として素盞鳴命(すさのおのみこと)、相殿神として大己貴命(おおなむじのみこと)と奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)が祀られている。祇園信仰を伝える古社で、甲賀の文化が京の信仰と交わる場所として興味深い。
京都八坂神社西門を模した朱塗りの楼門・回廊を配した大鳥神社は、旧大原村の氏神として信仰を集めている。 毎年7月23・24日に斎行される「大原ぎおん」は、その華麗さと荒々しさで知られる祭礼。歴史は古く、すでに応永22年(1415年)から行われ、その壮観・華麓さは、夏をいろどる風物詩として親しまれている。
| 名 称 | 大鳥神社 |
| 所在地 | 滋賀県甲賀市甲賀町鳥居野782 |
| TEL | 0748-88-2008 |
| 駐車場 | あり(無料)約50台 |
| Link | 滋賀県甲賀市 大鳥神社 |
矢川神社
──甲賀衆結束の鎮守の社
矢川神社【やがわじんじゃ】は、奈良時代・天平宝字六年(762年)に杣川中流の矢川津へ鎮座したと伝わる古社で、『延喜式』に記された 甲賀八座 の一つとして知られる式内社である。主祭神として大己貴命、配祀神に 矢川枝姫命 を祀る。
杣川流域二十二ヶ村の総社として「杣一ノ宮」と称され、 中世には甲賀五十三家を中心とする自治組織「甲賀郡中惣」の寄り合いが行われた。 また、雨乞いの霊験で名高く、文明四年(1472年)には 大和国布留郷五十ヶ村から返礼として楼門の寄進を受けている。甲賀の歴史と祈りを今に伝える、静かな山里の古社である。
| 名 称 | 矢川神社 |
| 所在地 | 滋賀県甲賀市甲南町森尻310 |
| TEL | 0748-86-3141 |
| 駐車場 | あり(無料)約30台 |
| Link | 矢川神社 > 滋賀県神社庁 矢川神社 矢川神社 | 滋賀県観光情報 |
柏木神社
──甲賀衆結束の鎮守の社
柏木神社【かしわぎじんじゃ】は、白鳳期以前の創祀と伝わる古社である。 大己貴命を主祭神とし、誉田別命・川島皇子を祀るこの社は、 中世には柏木御厨の本郷として栄え、 近世には柏木荘十六ヶ村の総社として地域の信仰を支えてきた。
源頼朝の合祀による若宮八幡宮の歴史や、 飛鳥井家が祠官として仕えた文化的な背景も残り、 素朴な楼門と長い参道が甲賀らしい静けさを今に伝えている。厄除け・病気平癒の祈願が多く、 芸能の神としても厚く崇敬される、 山里の風景に溶け込む古社である。
| 名 称 | 柏木神社 |
| 所在地 | 滋賀県甲賀市水口町北脇189 |
| TEL | 0748-62-3339 |
| 駐車場 | あり(無料)約30台 |
| Link | 柏木神社 > 滋賀県神社庁 柏木神社 | 甲賀市観光ガイド |
新宮神社
──甲賀衆結束の鎮守の社
新宮神社(しんぐうじんじゃ)は、滋賀県甲賀市甲南町新治に鎮座する古社で、旧新宮郷九ヶ村の鎮守として古くから地域の人々の信仰を集めてきた。
創建は天平4年(732)と伝えられ、紀伊国熊野から勧請した神を祀ったことに始まる。その後、異なる由緒をもつ三つの宮が合祀されたことから、「新宮神社」と称されるようになった。境内には一の宮・二の宮・三の宮の本殿が並び、中世には矢川神社、日吉神社とともに「杣三社大明神」の一社として広く崇敬された。
また、戦国時代には甲賀郡中惣を支えた甲賀衆の信仰の拠点としても知られ、地域の自治と結束に深く関わった神社である。
境内入口に建つ茅葺きの表門は文明17年(1485年)建立の国指定重要文化財で、日本遺産「忍びの里 伊賀・甲賀」の構成文化財にもなっている。もともと楼門として計画されながら上層部分が完成しなかったと考えられる全国的にも珍しい建築で、新宮神社を代表する見どころとなっている。
静かな境内には、中世甲賀の歴史と人々の信仰の記憶が今も息づいており、神社と周辺の城跡をあわせて訪ねることで、甲賀衆の足跡を身近に感じることができる。
| 名 称 | 新宮神社 |
| 所在地 | 滋賀県甲賀市甲南町新治1172 |
| 駐車場 | あり(無料) |
| Link | 構成文化財・新宮神社表門|忍びの里・甲賀 |
甲賀流忍術屋敷
──旧望月家・旧藤林家・旧岡田家
甲賀流忍術屋敷は、甲賀忍者五十三家の筆頭格とされる望月家に伝わる旧邸で、忍者の暮らしを今に伝える貴重な史跡である。一見すると静かな茅葺き農家だが、館内には落とし穴やどんでん返しなど数々のからくりが隠されている。戦乱の時代を生き抜いた忍びの知恵に触れながら、歴史ロマンを体感できる見どころ満載の忍者屋敷である。
| 名 称 | 甲賀流忍術屋敷 |
| 所在地 | 甲賀市甲南町竜法師2331番地 |
| TEL | 0748-86-2179 |
| 駐車場 | あり(無料)約50台 |
| Link | 甲賀流忍術屋敷(甲賀望月氏本家旧邸)公式HP |
旧藤林家と旧岡田家は、ともに甲賀の里 忍術村(テーマパーク)に移築されて公開されている。
旧藤林家(からくり忍者屋敷)は、忍術秘伝書『萬川集海』を著した藤林一族の子孫の邸宅(1842年建築)である。外見は一般的な平屋の民家であるが、内部は三層構造になっている。「どんでん返し」「抜け道」「隠し部屋」といった外敵に備えた多彩なからくりが公開されている。
一方、旧岡田家は、昔の甲賀の民家様式を残す古い古建築であるが、こちらは忍者の史料展示室(甲賀忍術博物館)として使用されている。忍者が実際に使っていた道具や武器、膨大な史料を見ることができる。
甲賀忍術博物館
──甲賀忍者の実像に迫る資料館
甲賀の里 忍術村の中心施設である甲賀忍術博物館は、甲賀忍者の歴史や暮らし、そして忍術の実態を知ることができる貴重な資料館である。昭和58年(1983年)、甲賀忍者の正しい姿と歴史を後世に伝えることを目的として開館した。館内には、甲賀忍者ゆかりの古文書や忍具、武具などが数多く展示されている。
博物館の建物は、甲賀忍者に縁のある茅葺き民家(旧岡田家)を移築・改装したもので、館そのものが歴史的な見どころとなっている。展示では、手裏剣や忍び装束をはじめ、忍術の秘伝書として知られる『万川集海(ばんせんしゅうかい)』関連資料や、戦国武将と甲賀武士との関わりを示す史料などを通じて、甲賀忍者の活動の実態を学ぶことができる。
映画や小説で描かれる超人的な忍者像とは異なり、ここで紹介されるのは、乱世を生き抜くために情報収集や警戒活動に長けた「リアル忍者」の姿である。館内を見学すると、忍者が単なる伝説上の存在ではなく、この地域に暮らした人々の知恵と工夫から生まれた存在であったことがよく理解できる。
また、博物館を見学した後は、隣接する「からくり忍者屋敷」(旧藤林家)や手裏剣道場を訪れるのもおすすめである。知識として学んだ忍者の世界を、実際に見て、触れて、体験することで、甲賀忍者への理解がさらに深まるだろう。
日本遺産『忍びの里 伊賀・甲賀』の構成文化財群の一角を担う施設として、甲賀忍者の歴史を体系的に学べる場所である。
| 名 称 | 甲賀の里 忍術村 |
| 所在地 | 滋賀県甲賀市甲賀町隠岐394 |
| TEL | 0748-88-5000 |
| 駐車場 | あり(無料) 普通車 約600台 / 大型バス 約20台 |
| Link | 甲賀の里忍術村【オフィシャル】 |
◆ あとがき
──静けさの中に残る忍びの余韻
日本遺産「忍びの里 伊賀・甲賀」を歩く旅は、社寺や史跡を巡るだけではなく、山里の静けさの中に息づく人々の祈りや記憶に触れる時間でもあった。
甲賀の地に残る神社や寺院、城館跡を訪ねると、忍者とは決して伝説や物語の中だけの存在ではなかったことに気づかされる。彼らはこの地に暮らし、地域を守るために知恵を磨き、仲間と力を合わせながら乱世を生き抜いた人々であった。
今日、忍者は世界中で知られる日本文化の象徴となっている。しかし、その原点には、華やかな英雄譚とは異なる、名もなき人々の日々の営みと努力があった。社寺の静かな境内や古城の跡地に立つと、戦国武将の歴史の陰に隠れがちな、もう一つの歴史の流れを感じることができる。
日本遺産「忍びの里 伊賀・甲賀」は、そうした先人たちの記憶を今に伝える貴重な文化遺産である。訪れる際には、建物や史跡を見るだけでなく、その土地に伝わる物語や風景にも目を向けてみたい。そこには、長い歳月を経ても失われることのない地域の誇りと文化が息づいている。
甲賀の里に点在する社寺と史跡は、今も静かに旅人を迎えてくれる。本記事が、皆さまの次の歴史散策や滋賀の旅のきっかけとなれば幸いである。そして現地を歩くときには、ぜひ忍びたちも見上げたであろう山並みや里山の風景に足を止めてみてほしい。風が木々を揺らし、鳥の声が響くその静けさの中にこそ、時代を超えて受け継がれてきた甲賀の魅力と、忍びの里の余韻が静かに息づいているのである。