◆ はじめに
滋賀県甲賀市にある水口岡山城跡は、豊臣秀吉が天下統一を進めるなかで築かせた山城である。築城からわずか15年ほどで廃城となったが、現在も石垣や堀切、曲輪などの遺構が良好に残り、豊臣政権の戦略を今に伝えている。
この城は単なる地方の山城ではない。甲賀を直接支配するとともに、東海道や鈴鹿越えを押さえることで東国への備えを担った重要拠点であった。関ヶ原の戦いを境に歴史の表舞台から姿を消したが、その遺構には戦国時代の躍動と、豊臣から徳川へと移り変わる時代の息吹が刻まれている。
今回は、国史跡に指定された水口岡山城跡を歩きながら、豊臣政権の足跡と戦国山城の魅力をたどってみたい。
水口岡山城跡の由緒
水口岡山城跡は、天正13年(1585年)頃、羽柴(豊臣)秀吉の命を受けた中村一氏によって、古城山(現・城山)に築かれた山城である。東海道や鈴鹿越えへ通じる交通の要衝を押さえる位置にあり、豊臣政権による甲賀の直接支配の拠点として、また東国への備えとなる重要な戦略拠点として築かれたと考えられている。
歴代城主には、豊臣政権を支えた重臣たちが名を連ねた。
- 中村一氏: 築城主であり初代城主。秀吉の信任を受け、甲賀支配の基盤整備と地域統治にあたった。
- 増田長盛: 豊臣政権の五奉行の一人。中村一氏の後に城主となり、政権の行政運営を担う重臣として活躍した。
- 長束正家: 同じく五奉行の一人。文禄4年(1595年)頃に城主となり、水口岡山城は豊臣政権の重要拠点としての性格をいっそう強めた。関ヶ原の戦いでは西軍に属したため、戦後に池田長吉ら東軍勢の攻撃を受けて開城した。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、長束正家の失脚により水口岡山城は接収され、その後まもなく廃城となった。築城からわずか15年ほどで姿を消したが、豊臣政権による甲賀支配と東国戦略を物語る貴重な城跡として高く評価されている。
江戸時代には幕府や水口藩によって管理され、御用林として保護されたため、遺構の保存状態は良好である。こうした歴史的価値が認められ、平成29年(2017年)2月9日には国史跡に指定された。現在も石垣や曲輪、堀切などの遺構が残り、豊臣期城郭の姿を今に伝えている。
| 名 称 | 水口岡山城跡 |
| 所在地 | 滋賀県甲賀市水口町水口 |
| 駐車場 | あり(無料)約7台 |
| Link | 水口岡山城跡 | 甲賀市観光ガイド |
水口岡山城跡を歩く
水口岡山城跡(古城山)を訪れる際は、国道307号線沿いの登城口の隣にある「水口岡山城址登山口駐車場(古城山観光駐車場)」を利用すると便利である。登城口から本丸までは約15〜20分で到着する。
一般的には、大手道をたどるコースがおすすめである。本丸まで往復するだけなら短時間で見学できるが、二の丸・三の丸・出丸や堀切、石垣などの主要遺構をじっくり巡る場合は、1時間以上の見学時間を確保したい。城域は広く、歩くほどに豊臣期山城の壮大な縄張りを実感できる。
近江鉄道「水口駅」から徒歩の場合は、駅から登城口まで約10分、そこから山道を登って約15~20分で本丸跡に到着する。全体で約25~30分を見込んでおくとよい。
山全体が国史跡「水口岡山城跡」として保存されており、発掘調査や整備によって戦国末期の山城遺構を間近に体感することができる。
● 残存石垣と「破城」の痕跡
本丸周辺には、当時の石垣の一部が今も残されている。発掘調査では、廃城に際して石垣を意図的に崩し埋め戻した「破城」の痕跡が確認されており、豊臣から徳川への政権交代を物語る貴重な歴史遺産となっている。
● 西の丸の模擬物見櫓・土塀
西の丸跡には木造の模擬物見櫓(展望台)と土塀が整備されている。往時の景観を再現したもので、水口岡山城の雰囲気を感じながら周囲の景色を楽しめる人気スポットである。
● 巨大な堀切と食い違い虎口
水口岡山城の最大の見どころは、良好に残る縄張りである。曲輪の間を断ち切る大規模な堀切や空堀、本丸周辺に設けられた食い違い虎口など、防御を重視した山城ならではの工夫を随所に見ることができる。戦国時代の緊張感を最も実感できる場所といえるだろう。
● 山頂からの絶景
標高約283メートルの本丸跡からは、水口の町並みや甲賀の田園風景を一望できる。晴れた日には近江の山々が連なり、豊臣政権の城主たちが見渡したであろう景色を想像しながら散策を楽しめる。
城跡見学の後は、車で数分の場所にある水口城跡にも足を延ばしたい。現在残る水口城は、江戸時代に徳川家光の上洛時の宿館として築かれた城で、水口岡山城の石材や部材が転用されたとも伝えられている。戦国の山城である水口岡山城と、徳川時代の平城である水口城をあわせて巡れば、豊臣から徳川へと移り変わる時代の流れをより深く感じることができるだろう。
◆ あとがき
水口岡山城跡を歩いてみると、この城が単なる防御施設ではなく、豊臣政権の甲賀支配と東国戦略を支えた重要な拠点であったことが実感できる。曲輪を巡り、堀切を越え、本丸から周囲を見渡すと、戦国の武将たちがこの地を重視した理由も自然に理解できるだろう。
築城からわずか15年で廃城となった城ではあるが、その短い歴史のなかに天下統一から関ヶ原、そして徳川の世への転換という激動の時代が凝縮されている。むしろ短命の城であったからこそ、豊臣政権の盛衰を今に伝える貴重な歴史遺産となっているのである。
近くに残る水口城跡とあわせて訪ねれば、戦国から江戸へと移り変わる日本の歴史の流れを、より立体的に感じることができる。甲賀の豊かな自然のなかに残る水口岡山城跡は、歴史好きにとってはもちろん、静かな山歩きを楽しみたい人にもおすすめしたい史跡である。歴史の舞台となった城山に立ち、約420年前の風景に思いを馳せるひとときは、きっと心に残る旅となるだろう。