◆ はじめに
滋賀県甲賀市の油日地区には、「和田公方屋敷跡」と呼ばれる静かな史跡が残されている。
一見すると素朴な館跡に過ぎないが、ここは後に室町幕府第15代将軍となる足利義昭が、兄・義輝を失った戦国動乱の中で身を寄せた場所として知られている。
永禄の変によって将軍家が危機に陥ったとき、義昭(当時は覚慶)は奈良を脱出し、甲賀武士・和田惟政の保護を受けながら再起の機会をうかがった。その舞台となったのが、この和田公方屋敷跡である。
また周辺には、和田城跡や支城群からなる「和田城館群」が良好な状態で残されており、戦国時代の甲賀武士たちが築いた独特の防衛システムを今に伝えている。
今回は、将軍への道を歩み始めた足利義昭ゆかりの地を訪ねながら、和田公方屋敷跡と和田城館群を歩いてみたい。
和田公方屋敷跡の由緒
和田公方屋敷跡は、室町幕府第13代将軍・足利義輝の弟で、のちに第15代将軍となる足利義昭が、出家時代の名である覚慶(かくけい)を名乗っていた頃に一時身を寄せた館跡である。室町幕府再興の拠点となった場所として知られている。
永禄8年(1565)、将軍・足利義輝が三好三人衆らによって討たれる「永禄の変」が起こった。兄を失った覚慶は奈良の興福寺一乗院に幽閉されたが、幕臣の和田惟政や細川藤孝らの支援によって脱出に成功した。
その後、覚慶が身を寄せたのが、甲賀の有力武士であり幕府奉公衆でもあった和田惟政の館である。山々に囲まれた甲賀は複雑な地形を有し、自治性の高い甲賀武士団が勢力を保っていたため、追手の目を逃れるには格好の地であったとされる。
覚慶はこの地で将軍家の後継者としての立場を表明し、諸国の大名や有力者に支援を求めて幕府再興への歩みを始めた。後に還俗して義秋と名乗り、さらに義昭と改名したのち、織田信長の支援を受けて上洛し、第15代将軍に就任している。
この地に将軍家の血筋を引く覚慶が滞在したことから、館跡は「公方屋敷」と呼ばれるようになったと伝えられている。
現在、敷地内には庭園跡が残り、周囲には土塁や平坦地など、中世の館城(やかたじろ)の構造を今に伝える遺構を見ることができる。また、和田城館群を構成する重要な史跡の一つとして保存されている。
その歴史的価値から甲賀市指定史跡となっているほか、日本遺産「忍びの里 伊賀・甲賀」を構成する文化財の一つにも選定されている。
静かな山里に残るこの館跡は、流浪の身であった覚慶が将軍への道を歩み始めた歴史の舞台なのである。
| 名 称 | 和田公方屋敷跡 |
| 所在地 | 滋賀県甲賀市甲賀町和田 |
| 駐車場 | 駐車スペースあり(数台分) 油日駅または油日神社の駐車場を推薦(徒歩約15分) |
| Link | 和田公方屋敷跡 – 日本遺産|忍びの里 伊賀・甲賀 |
和田公方屋敷跡を歩く
和田公方屋敷跡は、JR草津線「油日駅」または油日神社から徒歩約15〜20分の場所にある。
● 庭園跡──義昭も目にしたかもしれない景観
館跡の中央部には、中世のものと考えられている庭園跡が残っている。奈良から脱出した足利義昭(当時は覚慶)が、この地で身を潜めながら幕府再興の機会をうかがっていたことを思うと、静かな空間の中にも歴史のドラマを感じずにはいられない。戦国の動乱の只中で、義昭もまたこの庭園を眺めていたのかもしれない
● 和田惟政の供養塔(五輪塔)
屋敷跡の一角には、義昭の脱出を助け、この地に迎え入れた和田惟政の供養塔と伝わる古い五輪塔がひっそりと建っている。
室町幕府再興を目指した義昭を支えた人物の存在を今に伝える貴重な史跡である。
● 周辺の「和田城館群」をあわせて巡る
和田公方屋敷跡の周辺には、本城である和田城跡をはじめ、複数の支城跡が密集している。
公方屋敷跡だけでなく、これらの城館群をあわせて巡ることで、中世甲賀武士の防衛システムをより深く理解できる。
和田城館群を歩く
和田城館群は、室町・戦国時代にこの地を治めた和田氏一族によって築かれた城館群である。
単独の巨大な城を築くのではなく、一族がそれぞれの城館を連携させて防衛網を形成していた点に大きな特徴がある。こうした共同防衛の仕組みは、戦国期の甲賀郡にみられた自治的な結合組織「甲賀郡中惣」を背景として発達したものと考えられている。
現在も高い土塁や空堀、堀切などが良好な状態で残されており、石垣の近世城郭とは異なる、中世城郭本来の姿を間近に見ることができる。
木々の間に残る土塁や空堀を歩いていると、戦国時代の甲賀武士たちがどのように地域を守っていたのか、その一端を体感できる。
なお、一部は竹林や雑木林の中にあり、あぜ道や斜面を歩くため、動きやすい服装と歩きやすい靴で訪れるのがおすすめである。
● 和田城跡(本城)
和田惟政の本拠とされる城で、和田城館群の中心的存在である。
主郭を囲む土塁、敵の侵入を制限する虎口、主郭の周囲に設けられた腰曲輪など、中世城郭の構造が良好な状態で残っている。
和田公方屋敷跡は和田城跡に隣接しており、義昭がきわめて重要な存在として保護されていたことをうかがわせる。
● 和田支城 Ⅱ遺跡
本城を守る支城の一つである。高い土塁や横堀、尾根を断ち切るように掘られた堀切などが良好に残り、防御を重視した構造を観察できる。
和田城の東側には支城Ⅰ・Ⅲが並び、さらに奥に位置する支城Ⅱは、背後の山地からの侵入を防ぐ重要な役割を担っていたと考えられている。
● 殿山城跡
JR油日駅側から歩く場合、最初に現れるのが殿山城跡である。和田集落の入り口に位置し、監視と防衛の役割を担っていたと考えられている。
現在は展望台への階段が整備されており、大規模な堀切や竪堀などを見ることができる。尾根地形を巧みに利用した中世山城の姿を実感できる見どころである。
● 和田支城 Ⅰ遺跡
周辺では比較的大規模な支城で、主郭と副郭から構成される。
東西約25メートル、南北約35メートルの主郭をもち、一族の居館や防衛拠点として重要な役割を果たしていたと考えられている。
● 和田支城 Ⅲ遺跡
丘陵地形を利用して築かれた支城である。楕円形の主郭を囲む高い土塁が特徴で、和田城館群における防衛網の一角を担っていた。
● 効率的でおすすめの散策ルート
油日駅から出発する場合は、次の順番で巡ると効率よく見学できる。
- JR油日駅
- 殿山城跡
- 和田公方屋敷跡
- 和田城跡(本城)
- 和田支城Ⅱ遺跡
- 和田支城Ⅰ・Ⅲ遺跡
全体の移動距離はそれほど長くないが、土塁や空堀の内部までじっくり見学する場合は、所要時間は約1時間半〜2時間を見込んでおきたい。
和田公方屋敷跡と和田城館群は、戦国の動乱の中で足利義昭を守り抜いた甲賀武士たちの足跡を今に伝える貴重な史跡である。静かな里山を歩けば、将軍への道を歩み始めた若き義昭の息遣いが聞こえてくるようだ。
◆ あとがき
和田公方屋敷跡は、華やかな天守や壮大な石垣を持つ城ではない。しかし、この静かな館跡には、将軍家再興という大きな歴史の転換点が刻まれている。奈良から脱出した若き義昭は、この甲賀の地で身を守られながら未来を模索し、やがて上洛して室町幕府最後の将軍となった。
また、この史跡を歩いていると、義昭を支えた和田惟政をはじめとする甲賀武士たちの存在の大きさにも気付かされる。和田城館群に残る土塁や空堀は、戦国の不安定な時代を生き抜いた人々の知恵と覚悟を今も静かに語り続けているようだ。
和田公方屋敷跡は、日本遺産「忍びの里 伊賀・甲賀」を構成する文化財の一つである。周辺の城館群とあわせて歩けば、忍者のイメージだけでは語れない甲賀の歴史の奥深さを実感できるだろう。
静かな里山に佇む館跡に立ち、将軍への道を歩み始めた足利義昭と、それを支えた甲賀武士たちの姿に思いを馳せてみてはいかがだろうか。
静かな里山に残る公方屋敷跡。その佇まいの中に、戦国の激動を生き抜いた人々の息遣いを感じながら、ゆっくりと歴史散策を楽しんでいただきたい。