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  • 新宮神社を歩く──甲賀衆結束の鎮守の社を訪ねて

    目次
    はじめに
    新宮神社の由緒
    新宮神社の境内を歩く
    新宮城跡・新宮支城跡
    あとがき

    はじめに

    滋賀県甲賀市甲南町新治に鎮座する新宮神社は、旧新宮郷九ヶ村の鎮守として長く信仰を集めてきた古社である。

    境内に一歩足を踏み入れると、まず目を引くのは室町時代に建立された茅葺きの表門だ。国の重要文化財にも指定されるこの表門は、日本遺産「忍びの里 伊賀・甲賀」を構成する文化財の一つでもあり、甲賀の中世史を今に伝えている。

    しかし、新宮神社の魅力は古い社殿や文化財だけではない。中世には甲賀武士(甲賀衆)の信仰の中心として崇敬され、地域の結束や自治を支えた重要な存在であった。さらに周辺には、甲賀郡中惣遺跡群を構成する新宮城跡新宮支城跡が残されており、神社と城跡をあわせて訪ねることで、戦国時代の甲賀の姿をより深く感じることができる。

    今回は、甲賀衆ゆかりの鎮守の社である新宮神社を中心に、その歴史と見どころ、そして周辺に残る城跡を巡ってみたい。


    新宮神社の由緒

    甲賀市甲南町新治に鎮座する新宮神社は、旧新宮郷九ヶ村の鎮守(産土神)として古くから厚い崇敬を集めてきた古社である。

    「新宮神社」という社号は、異なる由緒をもつ三つの宮を合わせて祀ったことに由来する。

    • 一の宮 伊弉冉命(いざなみのみこと)
    • 二の宮 速玉之男命(はやたまのおのみこと)
    • 三の宮 天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)

    創建は天平4年(732)と伝えられ、紀伊国熊野から伊弉冉命の分霊を勧請したことにはじまる。当初は倉治村字熊尾に祀られていたが、延暦年間(782〜806)に現在地へ遷座し、このとき「新宮大明神」と称された。

    その後、長和2年(1013)には常陸国鹿島より速玉之男命を勧請して二の宮とし、さらに承応年間(1652〜1655)には矢川神社の境内社であった勝手大明神を迎えて三の宮とした。こうして三社が並び祀られる現在の新宮神社の姿が形づくられた。

    中世、この地域は「杣荘(そまのしょう)」と呼ばれる荘園地帯であった。新宮神社は、甲南町森尻の矢川神社、水口町三大寺の日吉神社とともに「杣三社大明神」と称され、杣荘一帯の有力な守護神として広く信仰を集めた。

    また、新宮神社は中世の甲賀武士(甲賀衆)にとって重要な信仰の拠点でもあった。元亀2年(1571年)、新宮神社と矢川神社が飯道寺との境界問題などをめぐって争った際には、甲賀郡の地侍たちによる自治組織「甲賀郡中惣」から選ばれた奉行衆が仲裁にあたったことが『山中文書』に記されている。この記録は、新宮神社が甲賀衆の結束や地域自治と深く関わっていたことを示す貴重な史料として知られている。

    境内北側の馬場に建つ茅葺きの表門は、文明17年(1485年)建立の国指定重要文化財である。室町時代後期の優れた建築技術を今に伝える遺構で、地元では「新治の楼門」の名でも親しまれている。

    昭和の解体修理で発見された痕跡から、この門はもともと二階建ての楼門として計画されたものの、何らかの事情で上層部分の工事が中断され、完成に至らなかったことが判明した。そのため現在は「三間一戸楼門(二階を欠く)」という全国的にも珍しい姿を残している。

    さらに表門は、日本遺産「忍びの里 伊賀・甲賀」の構成文化財の一つにも位置付けられており、中世以来の甲賀衆の歴史と文化を象徴する貴重な文化遺産となっている。

    甲賀武士たちは、この神社を共通の信仰の拠り所としながら互いの結束を深めていったと考えられている。

    名 称新宮神社
    所在地滋賀県甲賀市甲南町新治1172
    駐車場あり(無料)
    Link構成文化財・新宮神社表門|忍びの里・甲賀

    新宮神社の境内を歩く

    新宮神社 表門(国指定重要文化財・日本遺産構成文化財)

    境内入口でまず目を引くのが、堂々とした姿を見せる新宮神社表門である。地元では古くから「新治の楼門」の名で親しまれている。

    この門は文明17年(1485年)に建立された茅葺きの門で、国の重要文化財に指定されている。文化庁の調査によれば、その構造は「三間一戸楼門(二階を欠く)」とされており、もともとは二階建ての楼門として計画されたものの、何らかの事情で上層部分の工事が中断されたと考えられている。

    太く力強い柱と重厚な木組み、そして茅葺き屋根が織りなす姿は、室町時代後期の風格を今に伝えている。完成しなかったがゆえに残された独特の姿は、まさに「未完成の美」を感じさせる貴重な文化財である。

    また、この表門は日本遺産「忍びの里 伊賀・甲賀」の構成文化財の一つにもなっており、甲賀の歴史を象徴する遺構として高く評価されている。


    三つの本殿に見る匠の技

    表門をくぐって拝殿の奥へ進むと、一の宮・二の宮・三の宮の三つの本殿が並んで建っている。

    一の宮は主祭神・伊弉冉命を祀る本殿で、三間社流造。正面には「千鳥破風」と「軒唐破風」が設けられ、三社の中でもひときわ華やかな印象を与える。棟や懸魚には精巧な彫刻が施されており、近世神社建築の見どころの一つとなっている。

    これに対して、二の宮三の宮は軒唐破風を主体とした落ち着いた構成で、それぞれ異なる意匠を見ることができる。三棟を見比べながら参拝すると、社殿ごとの個性や建立年代の違いを感じられるだろう。

    また、入母屋造の拝殿や本殿を飾る瓦、彫刻、木組みにも職人の優れた技が息づいている。歴史好きや建築好きなら、ぜひ細部にも注目したい。


    愛嬌たっぷりの狛犬

    境内には、どこか親しみを感じさせる狛犬が鎮座している。

    一般的な狛犬に比べると顔立ちはやや平面的で、素朴で柔らかな表情をしている。厳かな社殿の中にあって、思わず微笑みたくなるような存在であり、参拝者の心を和ませてくれる隠れた見どころである。


    春を彩る桜並木

    新宮神社を訪れるなら、春もおすすめの季節である。

    表門へと続く道路沿いには桜並木が続き、開花の頃には淡い桜色のトンネルが現れる。茅葺きの表門と満開の桜が織りなす景色は実に美しく、多くの写真愛好家が訪れる春の名所として親しまれている。


    新宮城跡(国史跡・甲賀郡中惣遺跡群)

    新宮神社の近くには、国史跡「甲賀郡中惣遺跡群」を構成する新宮城跡新宮支城跡が残されている。

    これらは戦国時代の甲賀郡を支えた地侍集団、いわゆる甲賀衆の城館跡であり、甲賀流忍者の母体となった人々の暮らしや防衛体制を今に伝える貴重な遺構である。

    土塁や堀切などの遺構が比較的良好に残されており、中世甲賀の自治組織「甲賀郡中惣」の実像を知るうえでも重要な史跡として評価されている。

    新宮神社とあわせて訪ねれば、甲賀衆の信仰と暮らし、そして地域の結束を支えた歴史をより立体的に感じることができるだろう。


    表門をくぐり、三つの本殿に手を合わせ、新宮城跡へ足を延ばすと、この神社が単なる地域の鎮守ではなく、甲賀衆の信仰と結束を支えた歴史の舞台であったことが実感できる。新宮神社は、静かな境内の中に甲賀の中世を今も語り続ける貴重な史跡なのである。


    新宮城跡・新宮支城跡

    新宮神社表門の脇には数台分の駐車スペースがあり、そこから新宮城跡の登城口までは徒歩約8分である。せっかく訪れたなら、新宮神社とあわせて新宮城跡・新宮支城跡も巡ってみたい。

    新宮城跡は、戦国時代に甲賀郡中惣を支えた有力地侍の一族である服部氏の居城跡として知られる。周辺には服部城、新宮城、新宮支城が近接して築かれており、谷を隔てて南側約50mに新宮支城跡、西側約200mには本城とされる服部城跡が残る。

    このように複数の城館を至近距離に配置し、互いに連携しながら防衛する構造は、甲賀地域の城館群にみられる特徴の一つであり、甲賀武士たちの自治と防衛体制を今に伝えている。

    これらの城跡は、国史跡「甲賀郡中惣遺跡群」を構成する重要な遺跡として保存されており、中世甲賀の実像を知るうえで欠かせない存在である。


    圧倒される巨大な土塁

    新宮城跡の見どころは、城館の周囲を取り囲む巨大な土塁である。主郭を囲む土塁は現在も良好な状態で残されており、その規模の大きさに驚かされる。敵は急斜面の土塁をよじ登らなければ内部へ侵入できず、防御力の高さを実感できる。

    また、新宮支城跡では切り込むように築かれた土塁がよく残り、場所によっては高さが10m近くに達する箇所もある。現地に立つと、戦国時代の緊張感を肌で感じることができる。


    甲賀武士の防衛技術桝形虎口

    新宮城跡では、城の出入口である虎口(こぐち)の遺構も見逃せない。虎口には「桝形」と呼ばれる四角い空間や、「食い違い虎口」と呼ばれる屈折構造が巧みに取り入れられている。侵入した敵は直進できず、一度内部で動きを制限されるため、その間に周囲の土塁上から攻撃を受ける仕組みである。

    こうした防衛設備からは、甲賀武士たちが高い軍事知識と築城技術を備えていたことがうかがえる。


    雛壇状に連なる曲輪群

    甲賀地域の城館には単郭構造の館跡も多いが、新宮城跡はそれとは異なる特徴を持つ。

    主郭の周辺には複数の曲輪(郭)が連続して設けられ、斜面を削って造られた雛壇状の構造を形成している。これらの曲輪が段階的な防御線として機能することで、城全体の守備力を高めていたと考えられている。

    単なる地侍の居館を超えた、地域の重要拠点にふさわしい規模と構造を備えており、甲賀郡中惣を担った有力勢力の本拠地であったことを物語っている。


    新宮神社が甲賀衆の信仰と結束の中心であったならば、新宮城跡と新宮支城跡は彼らの暮らしと防衛を支えた実践の舞台であった。神社と城跡をあわせて巡ることで、中世甲賀の自治と結束の姿をより身近に感じることができるだろう。


    あとがき

    新宮神社を歩いていると、ここが単なる地域の鎮守ではなかったことに気づかされる。

    荘厳な表門や三つの本殿には、人々が積み重ねてきた信仰の歴史が刻まれている。そして神社の近くに残る新宮城跡や新宮支城跡を訪ねれば、甲賀衆と呼ばれた地侍たちがこの地で暮らし、地域を守り、互いに結束していた姿が見えてくる。

    甲賀といえば「忍者」のイメージが先行しがちだが、その背景には地域社会を支えた武士たちの自治と信仰の文化があった。新宮神社は、その歴史を今に伝える貴重な存在である。

    表門の茅葺き屋根を見上げ、静かな境内を歩き、城跡の土塁に立つと、約五百年前の甲賀の人々の息遣いが聞こえてくるような気がする。甲賀の歴史をより深く知りたい方には、ぜひ新宮神社と城跡をあわせて訪ねていただきたい。

    歴史の舞台となった静かな里山には、今もなお甲賀衆の記憶が息づいている。これこそが、新宮神社を訪ねる旅の大きな魅力なのである。


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