◆ はじめに
滋賀県甲賀市の山中に、ひっそりと佇む古刹がある。「山上の庚申さん」として親しまれてきた庚申山広徳寺である。
延暦年間の創建と伝わるこの寺は、修験道の霊場「甲賀三霊山」の一つとして栄えただけでなく、日本における真鍮精錬発祥の伝承を今に伝える寺としても知られている。さらに、甲賀流忍者とも深い関わりをもつことから、日本遺産「忍びの里 伊賀・甲賀」の構成文化財にも数えられている。
晩秋になると、静かな山寺は鮮やかな紅葉に包まれる。境内を彩るモミジの錦、甲賀の里を見渡す大パノラマ、そして千年以上受け継がれてきた信仰の歴史。そのすべてが溶け合い、他の紅葉名所とはひと味違う趣を見せてくれる。
本稿では、晩秋の庚申山広徳寺を訪ね、古刹に息づく歴史と美しい紅葉をたどってみたい。
庚申山広徳寺の由緒
庚申山広徳寺の歴史は、平安時代初期の延暦2年(783年)に始まると伝えられている。寺伝によれば、比叡山延暦寺の建立にあたり用材を求めて諸国を巡歴していた伝教大師・最澄が、庚申山の山頂に光明が輝き、紫雲がたなびく不思議な光景を目にしたという。
最澄が山頂へ登ると、丈余(一丈余り)の大岩に稲妻が走り、その光の中に大青面金剛童子(だいしょうめんこんごうどうじ)の霊姿が現れた。そして、「天地和順、生物育成、悪病除災、開運守護」の本願を説き、自らの姿を後世に伝えるよう告げたとされる。最澄は身を清めたのち、その尊姿を刻んで祀った。これが広徳寺の起こりと伝えられている。
広徳寺は古く「金成山広徳寺」とも称され、飯道山・岩尾山とともに修験道の霊場である甲賀三霊山の一つとして栄えた。山伏たちの修行の場として知られ、後には甲賀流忍者とも深く関わったことから、現在は日本遺産「忍びの里 伊賀・甲賀」を構成する文化財の一つにもなっている。
もう一つの重要な由緒が、広徳寺に伝わる真鍮精錬発祥の伝承である。
文禄2年(1593年)正月、庚申山の麓の山上村に藤左衛門という貧しい農民が住んでいた。生活に苦しんだ藤左衛門は故郷を離れる決意をするが、深く信仰していた広徳寺の本尊・青面金剛尊に最後のおすがりをしようと寺に籠もり、断食して家運隆盛を祈願した。すると17日間の満願の夜、童子が忽然と現れ、「銅に亜鉛を混ぜる合金の法」を授けたという。これが真鍮の製法であったと伝えられている。
藤左衛門は慶長4年(1599年)に京都へ上り、その製法を試みて黄金色に輝く合金の製造に成功した。広徳寺では、これを日本における真鍮精錬の始まりと伝えている。その後、財を成した藤左衛門は、感謝のしるしとして元和2年(1616年)に広徳寺の堂宇を再建した。以来、広徳寺は「真鍮元祖」「真鍮祖神」として全国の真鍮・非鉄金属関係者の信仰を集めるようになった。
なお、本堂は2013年4月の漏電による火災で焼失したが、多くの支援を受けて再建事業が進められ、2017年3月に新しい本堂が完成している。現在も「山上の庚申さん」として親しまれるとともに、紅葉の名所として多くの参拝者を迎えている。
広徳寺の境内を歩く
滋賀県甲賀市にある「山上の庚申さん」こと庚申山広徳寺は、車でのアクセスが便利である。ただし、寺へ続く道は山道のため、運転には十分注意したい。
山麓には無料駐車場(約50台)が整備されており、そこから広徳寺までは森林に囲まれた参道を歩いて約30分。自然を楽しみながら参拝できる散策コースとなっている。安全運転を優先するなら、この駐車場を利用するのがおすすめだ。
公共交通機関を利用する場合は、JR草津線「貴生川駅」から徒歩で約90分。また、コミュニティバスを利用して「山上」停留所で下車し、そこから徒歩約40〜60分で登ることもできる。
静かな山中に佇む境内には、甲賀の里を見渡す展望台をはじめ、日本遺産「忍びの里」の歴史を伝える史跡など見どころが点在する。歴史・自然・眺望の三拍子が揃った、知る人ぞ知る隠れた名所である。
● 本堂と真鍮の祖神
本堂には、伝教大師最澄が自ら刻んだと伝わる本尊・青面金剛尊が祀られている。
また広徳寺は、真鍮精錬発祥の伝承を今に伝える寺として知られ、古くから全国の真鍮・非鉄金属関係者の信仰を集めてきた。境内には、金物商らが奉納した三猿(見ざる・聞かざる・言わざる)の石造道標なども残されており、庚申信仰の歴史を今に伝えている。
● 庚申山展望台
標高約420メートルの山頂付近には展望デッキが整備されている。
晴れた日には甲賀盆地の田園風景が広がり、その向こうに鈴鹿山脈の稜線を望むことができる。条件が良ければ琵琶湖方面まで見渡せることもあり、広徳寺参拝の大きな楽しみの一つとなっている。
● 忍びの里の修練場(日本遺産)
広徳寺は飯道山、岩尾山とともに「甲賀三霊山」に数えられる修験道の霊場である。
かつては山伏たちが厳しい修行を積み、甲賀忍者もまた山中で心身を鍛えたと伝えられている。参道沿いには巨岩や険しい山道が残り、往時の修行の厳しさを今に感じさせる。歩いていると、忍びの里・甲賀ならではの歴史の気配が漂ってくるようだ。
● 紅葉の名所
広徳寺を訪れるなら、最も美しい季節は晩秋であろう。
例年11月中旬から下旬にかけて、境内や周囲の山々は赤や黄の鮮やかな紅葉に彩られる。名高い紅葉寺ほど観光客で混み合うことが少なく、静寂のなかでゆっくりと秋の風景を味わえるのも魅力である。
紅葉に包まれた本堂や参道を歩いていると、古刹の歴史と山岳信仰の息吹が今なおこの地に受け継がれていることを実感できるだろう。
紅葉に彩られた古刹を歩けば、庚申信仰と真鍮精錬発祥の伝承が息づく歴史の山であることを、あらためて実感させられる。
庚申山広徳寺の紅葉
庚申山広徳寺の紅葉の魅力は、山岳信仰の歴史を秘めた古刹の佇まいと、甲賀の里を見渡す雄大な眺望が、鮮やかな秋色と美しく調和するところにある。
紅葉の見頃は例年11月中旬から下旬頃。境内を取り囲むモミジや雑木林が赤や黄に色づき、静かな山寺ならではの趣深い風景をつくり出す。
訪れるなら午前から昼過ぎにかけてがおすすめである。山の斜面から差し込む柔らかな陽光に照らされ、モミジの葉が透き通るような鮮やかさを見せてくれる。また夕暮れ時には、西日に染まる山並みと紅葉が織りなす幻想的な情景を楽しむことができる。
京都の名刹や湖東三山のような紅葉名所に比べると人出は少なく、落ち着いた雰囲気の中でゆっくりと秋の景色を味わえるのも広徳寺ならではの魅力である。
● 紅葉に包まれる本堂
2017年に再建された木造本堂は、周囲を彩る紅葉との調和が美しい。
赤く染まったモミジや黄金色のイチョウに囲まれた本堂は、山上の霊場らしい厳かな雰囲気を漂わせる。新しい建物でありながら、千二百年以上にわたり受け継がれてきた信仰の歴史を感じさせる風景である。
● 錦に染まる参道と山肌
山麓から境内へ続く参道は、秋になると紅葉に彩られた美しい散策路となる。
山を登るにつれて木々の色彩が少しずつ変化し、緑から黄、そして赤へと移ろう景色を楽しめる。山寺ならではの立体的な紅葉の美しさは、平地の寺院ではなかなか味わえない魅力である。
● 展望台からの眺望と紅葉の共演
標高約420メートルの山頂付近に設けられた展望デッキからは、甲賀盆地の広々とした風景を一望できる。
眼下に広がる里山の景色と、手前を彩る紅葉が織りなす眺めは実に見事である。秋の澄んだ空気の中では遠くの山並みまでくっきりと見渡せ、広徳寺を訪れた際にはぜひ立ち寄りたい絶景スポットとなっている。
● 晩秋を彩る敷きモミジ
11月下旬になると、境内では落葉したモミジが石畳や参道を覆い、鮮やかな敷きモミジの風景が広がる。
赤い絨毯を敷き詰めたような景観は、紅葉が盛りを過ぎた後だけに見られる晩秋の贈り物である。木々を見上げるだけでなく、足元にも広がる秋の彩りに目を向けながら歩きたい。
山上の静寂の中で紅葉に包まれた境内を巡っていると、庚申信仰や修験道の歴史が息づく古刹ならではの趣を、より深く味わうことができるだろう。
| 名 称 | 庚申山広徳寺 |
| 所在地 | 滋賀県甲賀市水口町山上 |
| TEL | 0748-62-3458 |
| アクセス | 新名神高速道路「信楽IC」または 「甲南IC」から約10分 |
| 駐車場 | あり(無料) 山の下の広場駐車場(約50台) 本堂横の駐車場(3〜5台) |
| Link | 庚申山広徳寺 – 日本遺産|忍びの里・甲賀 |
◆ あとがき
庚申山広徳寺は、華やかな観光寺院ではない。しかし、山中に静かに佇むその姿には、修験道の霊場として栄えた歴史、人々の信仰を集めてきた庚申信仰、そして真鍮精錬発祥の伝承など、長い歳月の積み重ねが息づいている。
晩秋の紅葉は美しい。けれども、この寺の魅力は単なる紅葉の美しさだけではない。参道を歩き、本堂に手を合わせ、展望台から甲賀の里を見渡していると、自然と歴史、人々の祈りが一つに重なり合った山寺ならではの奥深さを感じることができる。
私たちは旅先で名勝や絶景を求めることが多い。しかし、ときには広徳寺のような静かな古刹を訪ね、その土地に受け継がれてきた物語に耳を傾けるのもまた旅の醍醐味ではないだろうか。
紅葉に彩られた境内を後にするとき、この山が育んできた歴史と信仰のぬくもりが、心のどこかに静かに残り続ける。そんな余韻を味わわせてくれる一寺であった。
紅葉に包まれた山上の古刹を歩きながら、遠い昔から受け継がれてきた人々の祈りに思いを馳せる。 そんな静かな時間こそ、人生を豊かにしてくれる旅の喜びなのかもしれません。