◆ はじめに
滋賀県甲賀市信楽町の山あいに、ひっそりと佇む多羅尾代官陣屋跡。この場所は、江戸時代を通じて幕府の直轄領を治めた多羅尾氏の居館兼代官所が置かれていた史跡である。多羅尾氏はもともと甲賀の有力国人として活躍した一族であり、本能寺の変後に徳川家康が敢行した「神君伊賀越え」を支えた功績によって、江戸幕府から厚い信任を得たと伝えられている。
明治維新まで約270年にわたり世襲代官として地域の統治を担った多羅尾氏の歴史は、戦国武士が近世の地方行政へと役割を変えていった歩みそのものといえるだろう。
現在、建物は失われているものの、美しい石垣や庭園跡が残されており、往時の面影を今に伝えている。今回は、多羅尾代官陣屋跡を訪ねながら、家康を支えた甲賀武士たちの足跡をたどってみたい。
多羅尾代官陣屋跡の由緒
多羅尾代官陣屋跡は、江戸時代を通じて幕府の直轄領(天領)を支配した信楽代官・多羅尾氏の居館兼代官所跡である。多羅尾氏は、徳川家康の「神君伊賀越え」を助けた功績によって幕府から厚く遇され、初代・多羅尾光太が慶長5年(1600)に代官に任じられた。以後、明治維新まで10代にわたり代官職を世襲し、近江・河内・伊勢・大和の幕府直轄領を治めた。
多羅尾氏の起源は中世にさかのぼる。京都の摂関家である近衛家の荘園「信楽荘」の現地代官(荘官)として活動し、次第に在地領主として勢力を拡大していった。16世紀後半には、畿内に進出した織田氏や松永久秀との取次役を務めるなど、甲賀を代表する有力国人として存在感を示していた。
天正10年(1582)の本能寺の変では、堺に滞在していた徳川家康が三河への帰還を目指して「神君伊賀越え」を敢行した。その際、多羅尾氏は家康一行の道案内や護衛、宿泊地の提供などに協力したと伝えられている。この功績が後の代官任命につながったとされる。
代官陣屋は、行政・年貢収納・裁判などを行う地域統治の拠点として機能した。江戸時代を通じて世襲代官が認められた例は全国でも少なく、多羅尾氏は韮山代官の江川氏などと並ぶ稀有な存在であった。
現在、建物は残されていないものの、江戸時代後期に整備された石垣や庭園跡が良好な状態で保存されている。かつての主屋や蔵、代官所の配置もおおよそ判明しており、近世の旗本屋敷・代官屋敷の面影を今に伝える貴重な史跡となっている。
静かな山里に残る多羅尾代官陣屋跡は、戦国の動乱を生き延びた多羅尾氏と、「神君伊賀越え」を支えた甲賀武士たちの歴史を今に伝える貴重な史跡である。
| 名 称 | 多羅尾代官陣屋跡 |
| 所在地 | 滋賀県甲賀市 |
| 駐車場 | あり(無料)約10台 |
| Link | 多羅尾代官陣屋跡について/甲賀市 |
多羅尾代官陣屋跡を歩く
多羅尾代官陣屋跡は信楽町南部の山間部に位置しており、車での訪問がおすすめである。敷地正面には約10台分の無料駐車場が整備されている。満車の場合は、近くの「多羅尾公民館(多羅尾地域市民センター)」の駐車場を利用できる。
なお、陣屋跡は通常時には入口の門が閉じられており、春(4月〜5月頃)と秋(10月〜11月頃)の一般公開期間に見学することができる。訪問前には最新の公開情報を確認しておきたい。
● 精緻な切石積みの石垣(上段敷地)
代官陣屋の中心部へ続く坂道沿いには、「切込み接ぎ(きりこみはぎ)」による美しい石垣が残されている。
自然石ではなく加工した石材を隙間なく組み上げたもので、江戸時代後期の高い石工技術を今に伝えている。往時の代官所の格式を感じさせる見どころの一つである。
● 床下の音響施設(式台の信楽焼大瓶)
かつて主屋の正面玄関(式台)があった場所には、信楽焼の大瓶を埋設した石組遺構が残されている。
これは建物内部の音の響きを整えるための工夫と考えられており、能舞台などにも見られる技法に通じるものとされている。代官陣屋が単なる行政施設ではなく、格式ある武家屋敷として整備されていたことをうかがわせる興味深い遺構である。
● 庭園跡と橋の遺構
敷地内には表庭園と北庭園(裏庭園)の跡が残されている。
現在も水路や窪地などの痕跡が確認でき、往時の庭園の姿を想像しながら散策を楽しめる。また表門付近には、滝川に架けられていた橋の部材とされる花崗岩が保存されている。かつては川が外郭の堀の役割を果たしていたとも考えられている。
● 家紋にちなんだ牡丹園(春)と紅葉(秋)
多羅尾氏の家紋「抱き牡丹」にちなみ、地元有志によって敷地内には多数の牡丹が植栽されている。
春の一般公開期間には色鮮やかな牡丹が咲き誇り、歴史遺跡と花の美しい競演を楽しむことができる。一方、秋には庭園跡や石垣を彩る紅葉が見事で、落ち着いた山里の風情を味わえる。
● 小川城跡とあわせて訪ねたい
近隣には、多羅尾氏の戦国時代の本拠地であった小川城跡がある。
小川城は徳川家康の「神君伊賀越え」ゆかりの城として知られ、多羅尾代官陣屋跡とは時代こそ異なるものの、多羅尾氏の歴史を語るうえで欠かせない史跡である。両者をあわせて巡ることで、戦国の国人領主から江戸幕府の世襲代官へと歩んだ多羅尾氏の歴史をより深く理解することができるだろう。
◆ あとがき
多羅尾代官陣屋跡には、華やかな天守や壮大な城郭は残されていない。しかし、静かな山里に残る石垣や庭園跡からは、この地を治めた多羅尾氏の長い歴史を感じ取ることができる。戦国時代には甲賀の有力国人として乱世を生き抜き、江戸時代には幕府の代官として地域の発展を支えた一族の歩みは実に興味深い。
また、本能寺の変後の混乱の中で徳川家康を助けたという「神君伊賀越え」の物語は、多羅尾氏を語るうえで欠かせない歴史の一場面である。静かな陣屋跡に立つと、戦国の危機を乗り越えた人々の決断や覚悟に思いを馳せずにはいられない。
近隣には、多羅尾氏の中世の本拠地であった小川城跡も残されている。両者をあわせて訪ねれば、戦国の山城から江戸時代の代官陣屋へと続く歴史の流れを、より深く理解できるだろう。
山里の静けさに包まれた多羅尾代官陣屋跡。石垣や庭園に残る歴史の面影をたどりながら、家康を支えた甲賀武士たちの物語に思いを馳せるひとときを楽しんでいただきたい。