◆ はじめに
大和葛城山【やまとかつらぎさん】(一般には葛城山とも呼ばれる)は、 奈良県御所市と大阪府南河内郡千早赤阪村の境にそびえる標高959メートルの山で、 大阪府の最高峰にあたり、日本三百名山にも選定されている。
この山は金剛生駒紀泉国定公園に属し、北の二上山、南の金剛山へと連なる金剛山地の一峰を成している。 古くは金剛山を含む一帯を総称して「葛城山」と呼んでいた時代もあり、 大和国では大和葛城山を「戒那山」【かいなさん】「天神山」「鴨山」などと呼んでいたと伝わる。
その大和葛城山の麓には、今も「葛城古道」が静かに息づいている。 古道沿いには、古代豪族・葛城氏や鴨氏ゆかりの古社が点在し、 歴史と神話が重なる独特の風景を形づくっている。 彼岸花(曼珠沙華)の名所として知られる九品寺や葛城一言主神社も、この古道沿いに位置している。
葛城古道
葛城古道【かつらぎこどう】は、葛城山の麓を南北に走る奈良県内の古道で、「葛城の道」とも呼ばれている。 奈良県葛城市の當麻【たいま】付近から御所市へと続く約20kmの道で、 大和平野を東西に走る「山辺の道」と対を成す“西の古道”として知られている。
この一帯は、5世紀末頃に奈良盆地西部で大きな勢力を誇った 古代豪族・葛城氏の本拠地があったとされる地域である。そのため古道沿いには、葛城氏や鴨氏ゆかりの古社が点在し、 歩くほどに古代氏族の記憶が静かに立ちのぼってくる。

葛城古道は、記紀に記された天照大御神が統治する天上界・ 高天原【たかまがはら】の伝承地とされる金剛山の台地へと通じる道でもある。 古代の神話世界と現実の地形が重なり合う、独特の霊性を帯びた道と言える。
さらに足を延ばせば、金剛山の麓に鎮座する高鴨神社【たかがもじんじゃ】に至る。 高鴨神社は全国の鴨(加茂)社の総社であり、 世界遺産にもなっている京都の下鴨神社・上賀茂神社の源流にあたる古社である。
葛城古道に点在する葛城氏・鴨氏ゆかりの古社、 とりわけ高天彦神社や高鴨神社を訪ねるなら、 悠久の歴史をより深く味わうためにも、 事前に葛城氏や鴨氏のルーツを少し学んでおくと、旅の理解がいっそう深まるだろう。
六地蔵石仏
御所市の北西端、櫛羅【くじら】地区の旧道の坂道の真ん中に通行を遮るくらいの大きな石が置かれている。この大きな石の表面には6体の地蔵が彫られ、「六地蔵石仏」と呼ばれている。

この大きな石は、伝承によれば室町時代に発生した土石流によってこの地に流れ着いたものであるらしい。この石に村人たちが仏教の六道をもって衆生を救うという、仏法の精神に照らし極楽浄土を願って、六地蔵を彫ったと伝えられている。
この辺りの地区は、かつて兄川の出水による水害などで度々被災したという。村人たちの祈りが込められた六地蔵が現在に至るまで大切に残されており、後世にも伝えられていくことだろう。

六地蔵は、向かって右から天上道(日光菩薩)・人間道(除蓋障菩薩)・修羅道(持地菩薩)・畜生道(宝印菩薩)・餓鬼道(宝珠菩薩)・地獄道(壇蛇菩薩)であるとされる。
| 名 称 | 六地蔵石仏 |
| 所在地 | 奈良県御所市櫛羅 |
| 駐車場 | なし |
| Link | 六地蔵 | 御所市 |
九品寺
九品寺【くほんじ】は、奈良県御所市楢原にある浄土宗の寺院である。山号は戒那山【かいなさん】で、御本尊は、阿弥陀如来である。九品寺は、「千体石仏」のある寺として知られているが、彼岸花の名所の一つとしても有名である。

詳細は不明であるが、奈良時代の僧・行基によって創建された寺院あると伝わる。中世には御所城主であった楢原氏の菩提所となり、永禄年間(1558年~1570年)に観誉弘誓によって現在の浄土宗に改宗したと言われている。
| 名 称 | 戒那山 九品寺 |
| 所在地 | 奈良県御所市楢原1188 |
| 駐車場 | あり(無料) |
| Link | 九品寺 | 御所市 |
葛城一言主神社
葛城一言主神社【かつらぎひとことぬしじんじゃ】は、奈良県御所市にある神社で、一言ならどんな願いも叶えてくれる霊験あらたかな「いちごんさん」の神様として親しまれている。

葛城一言主神社は、全国に点在する一言主神社の中でも 最も古い由緒を持つ社として総本社的な位置づけ にあり、 葛城の山麓に広がる自然とともに、今もなお深い信仰を集めている。

葛城古道に位置する一言主神社周辺は、彼岸花の名所として知られ、満開時はまさに絶景である。例年9月下旬になると、一言主神社へと続く参道脇の田んぼの畦にはたくさんの彼岸花が咲く。収穫前の稲穂と赤色の彼岸花のコントラストがとても鮮やかとなり、いわゆる「映える写真」が撮れるので人気が高い。
| 名 称 | 葛城一言主神社 |
| 所在地 | 奈良県御所市森脇432 |
| 駐車場 | あり(無料) |
| Link | 葛城一言主神社 | 御所市 葛城一言主神社 | 御所市 |
佛頭山極楽寺
極楽寺【ごくらくじ】は、浄土宗知恩院派の寺院である。一和上人によって創建された寺院であると伝わる。

極楽寺沿革の概略によれば、一和上人が修行修学のため静寂なる地を求めていたところ、あるときに金剛山の東麓に毎夜放つ不思議な光を見つけた。奇異に思い、その出所を探していたところ、生身の仏様のような仏頭(弥陀仏の頭)が発掘されたと伝わる。
一和上人はこの不思議なことに驚いたが、この地を有縁の地と考えて「仏頭山」と呼び、天暦5年(951年)に発掘した仏頭を本尊として草庵を結んで、「法眼院」と名付けたという。

一和上人はいよいよ善業【ぜんごう】を修め、念仏の功を積んだとされる。上人は正暦5年(993年)に大往生を逐げられたという。そのため、この寺院は「佛頭山法眼院極楽寺」と称されるようになった云えられている。
高天寺橋本院
高天寺橋本院【たかまでらはしもといん】は、奈良県御所市に位置する 高野山真言宗 の寺院で、山号を 宝宥山 【ほうゆうざん】と称する。金剛山の中腹に佇み、古代から霊地とされてきた高天原伝承の地にも近く、静寂と神秘性をあわせ持つ寺院である。
御本尊は 十一面観音菩薩立像。 高さ約 5.4メートル の堂々たる木造仏で、「生かせいのちの本像」として広く信仰を集めている。 その柔和な表情と大きな体躯は、訪れる人々の心を自然と鎮めてくれる。

高天寺の創建は、養老年間(717~724年;元正天皇【げんしょうてんのう】の時代)にまで遡るという。元正天皇(715~724年)は、行基の功徳を知り、高天が霊地であることを知って、寺地として与えたとされる。そして十一面観音菩薩の仏像を彫り、それを祀ることを許したとされる。それ以来、参拝者が増えて繁栄した。
高天寺は、孝謙天皇(749~758年)も深く帰依され、高天千軒と呼ばれるほどの格式の高い大寺院であったという。晩年を唐招提寺で過ごした鑑真和上(735年来日)も一時は住職に任命されたと伝わっている。このように高天寺は、金剛山転法輪寺七坊の一つとして石寺や朝原寺などと共にかつては権威を誇った寺院であったという。

しかしながら、高天寺の修験僧高天行秀らが南朝方に陰から援助して味方していた事が北朝方にばれて、元弘の変(1331年)以降の1333年に北朝方の畠山基国、1348年に高師直らに攻められ、大規模な伽藍が焼き打ちされたと伝わる。その後は、橋本院として復興するまでのおよそ350年あまりは衰退の一途をたどっていたらしい。高天寺 橋本院は、延宝5年(1677年)に当時の住職、頼勇の手によって高天寺に付属する小寺院として橋本院が復興したという。
| 名 称 | 高天寺橋本院 |
| 所在地 | 奈良県御所市高天350 |
| 駐車場 | あり(無料) |
| Link | 高野山真言宗 高天寺橋本院 高天寺橋本院 | 御所市 |
高天彦神社
高天彦神社【たかまひこじんじゃ】は金剛山系の白雲岳の麓に鎮座する古社である。葛城山・金剛山系は、古代より「神宿る山」としての信仰を集めてきたという。
高天彦神社は、神代からの永い信仰の歴史と由緒を持つ地に鎮座する神社で、主祭神として高皇産霊神【たかみむすひのかみ】が祀られている。高皇産霊神は、天地開闢の時に現れた造化三神の一柱であり、日本神話(日本書紀版)ではニニギノミコト(瓊々杵尊;天孫)の祖父として、ニニギノミコトのために出雲の大国主命に国譲りを要求した神として描かれている。

高天【たかま】の広大な大地は、日本神話の天孫降臨の舞台となったところではないかと言い伝えられている。一般的には、天孫降臨の舞台は「高千穂の峰」 (宮崎県)とされているが、金剛山(奈良県/大阪府)にもその伝説が残されているという。

金剛山腹の台地の一帯は、天照大御神が統治した天上界 「高天原」【たかまがはら】の伝承地となっている場所である。高天原とは、日本神話において天照大御神をはじめとする天津神【あまつかみ】が住むとされた場所である。
ヤマト王権誕生の地とされる奈良盆地を眼下に見下ろす場所に高天彦神社が鎮座していることからも、この地が天津神が住む高天原であったと考えても不思議なことではないように思われる。

大神神社【おおみわじんじゃ】(桜井市)と同じように高天彦神社の御神体は山(白雲岳)であり、本殿は建造されていない。
神社の境内には神聖な「磐座」【いわくら】が鎮座している。この磐座は御神体山である白雲岳の中腹にあった磐座を神社創建の際に移されたものであるという。太古の昔には、山にあったこの磐座の周辺(聖林)で祭祀が執り行われていたと伝わっている。
主祭神の高皇産霊神は、大和朝廷が成立する以前の時代にこの山麓一帯を中心に居住し、葛城王朝を築いたとされる有力豪族・葛城氏の祖神であったと伝わっている。高天彦神社が葛城氏ゆかりの神社とされる所以である。
| 名 称 | 高天彦神社 |
| 所在地 | 奈良県御所市北窪158 |
| 駐車場 | あり(無料) |
| Link | 高天彦神社 | 御所市 |
葛城氏のルーツ
葛城氏【かつらぎうじ】は、古墳時代に大和葛城地方(現在の奈良県御所市・葛城市)を本拠とした有力豪族である。『日本書紀』などの記述によれば、葛城氏の始祖は葛城襲津彦【かつらぎのそつひこ】とされる(一般的な学説・伝承に基づく)。
葛城襲津彦は、4世紀末から5世紀前半頃にかけて対朝鮮半島外交で活躍したと伝えられる人物で、しばしば「伝説的人物」と位置づけられる。当時、葛城の地には襲津彦が朝鮮半島から捕虜として連れてきた渡来系の人々が居住し、製鉄などの技術に従事していたとされる。葛城地域が古代における鉄生産の拠点であったことは、考古学的にも一定の裏付けがある。
また襲津彦は、履中天皇(第17代)、反正天皇(第18代)、允恭天皇(第19代)の外祖父であったと伝わり、葛城氏が早くから王権中枢と深い姻戚関係を築いていたことがうかがえる。
襲津彦の後の氏人としては、葦田宿禰【あしたのすくね】、蟻臣【ありのおみ】、円大臣【つぶらのおおおみ】らの名が知られる。葦田宿禰は襲津彦の子で、その娘は履中天皇の妃となり押磐皇子を生んだ。さらに押磐皇子の妃は蟻臣の娘とされ、円大臣の娘は雄略天皇の妃となり清寧天皇の母となった。
驚くべきことに、仁徳天皇から仁賢天皇に至る9代のうち、安康天皇を除く8天皇が葛城氏の娘を后妃あるいは母として迎えている。これは、葛城氏がヤマト王権において圧倒的な婚姻ネットワークを築いていたことを示す。
◆ 葛城氏の権勢とその背景
当時のヤマト王権は、まだ中央集権的な国家体制には至っておらず、各地の有力首長の連合体としての性格が強かった。その中で、葛城氏は 外交・軍事・技術(製鉄)・婚姻関係 を通じて王権に大きな影響力を及ぼしていたと考えられる。
特に、朝鮮半島との外交・軍事関係を担った氏族は王権にとって不可欠であり、葛城氏はその役割を担うことで政治的地位を確立したとみられる。
◆ 葛城氏の没落
しかし、強大な権勢を誇った葛城氏も、やがて天皇による中央集権化の進展とともに「王権に対抗しうる勢力」と見なされ、粛清されていく。特に雄略天皇(第21代)の時代に葛城円大臣が誅殺された事件は、葛城氏没落の決定的な転機とされる。
この結果、葛城氏が担っていた政治的・外交的・経済的役割は、6世紀以降、蘇我氏へと引き継がれていく。蘇我氏は葛城氏と同様に渡来系技術者との結びつきや対朝鮮外交を掌握し、天皇家との婚姻関係を深めて権勢を振るうが、最終的には中大兄皇子(天智天皇)らによって滅ぼされる。まさに「歴史は繰り返す」というべきであろう。
高鴨神社
高鴨神社【たかがもじんじゃ】は、大和の名門豪族であった鴨氏一族の守護神を祀った神社で、日本最古の神社の一つでもある。
高鴨神社の本殿には阿遅志貴高日子根命【アヂシキタカヒコネ】(迦毛之大御神【カモノオオミカミ】)が祀られている。

弥生時代中期、この地から鴨氏の一族はひろく全国に移住してゆき、各地で鴨氏一族の守護神を祀った。そのために高鴨神社は全国の鴨(加茂) 社の総社である。京都にある世界遺産にも登録されている下鴨神社【しもがもじんじゃ】や上賀茂神社【かみがもじんじゃ】の総社もこの高鴨神社であるという。

高鴨神社の神域は鉱脈の上と重なり、多くの「気」が出ていることでも有名らしい。「気」は身体に大変よく、神域を巡ることで心身が共にリフレッシュされると言われている。
| 名 称 | 高鴨神社 |
| 所在地 | 奈良県御所市鴨神1110 |
| 駐車場 | あり(無料) |
| Link | 高鴨神社|全国鴨社元宮 |
鴨(賀茂)氏のルーツ
賀茂(加茂・鴨・加毛)を氏とする氏族には、 ① 天神系、② 地祇(ちぎ)系、③ 備前鴨氏 の三系統が知られている。本稿では、葛城の地との関係が深い地祇系鴨(賀茂)氏 のルーツをたどる。
地祇系鴨氏は、大鴨積命【おおかもつみのみこと】(大賀茂津美命・大賀茂都美命)を始祖とする。
『日本書紀』などの伝承によれば、大鴨積命は 大物主神(三輪明神)の子または後裔である大田田根子【おおたたねこ】の孫 とされ、さらに 速須佐之男命の十一世孫 と伝えられる。 こうした系譜は神話的要素を含むが、鴨氏が古墳時代における有力豪族であったことを示す象徴的な伝承といえる。
鴨(加茂)氏は、大和国葛上郡(現・奈良県御所市)の
- 高鴨神社
- 鴨都波神社
- 葛木御歳神社
周辺を本貫(本拠地)としていた。
高鴨神社と鴨都波神社の御祭神である
- 阿遅志貴高日子根命【あじすきたかひこねのかみ】(迦毛之大御神)
- 積羽八重事代主命【つみはやえことしろぬしのかみ】
は、いずれも鴨氏の祖神とされる(一般的な伝承)。
大鴨積命と「鴨君」の成立
大鴨積命は、鴨の地に祖神・事代主神を祀る 鴨都波神社 を創建したと伝えられる。 この功績により、朝廷から 「鴨君(かものきみ)」 の姓(かばね)を賜ったとされる。
その後、子孫は「鴨」の姓を名乗ったが、飛鳥時代後期、鴨蝦夷(かものえみし) が壬申の乱(672年)で功績を挙げ、684年に 「賀茂朝臣」(かものあそん) の姓を賜与された。 これにより、鴨氏は中央貴族としての地位を確立する。
賀茂氏の中央政界での活躍
鴨蝦夷の子である 賀茂吉備麻呂(かものきびまろ) は、遣唐使として二度渡唐したと伝えられる。吉備麻呂は、唐の制度や文化を日本に伝える役割を担い、奈良時代の国際交流に大きく貢献した。
平安時代中期には、
- 賀茂忠行(かものただゆき)
- 賀茂保憲(かものやすのり)
の父子が陰陽道の最高位である 陰陽頭(おんようのかみ) を務めた。 保憲の弟子である 安倍晴明 が安倍氏を興し、賀茂氏と並んで陰陽道の二大宗家となる。
さらに、保憲の子・賀茂光栄(かものみつよし) は暦道(こよみづくり)を継承し、以後、賀茂氏は代々 暦道の家 として朝廷に仕えた。この系譜は、後の土御門家(陰陽道の名門)へと連なっていく。
鴨都波神社
鴨都波神社【かもつばじんじゃ】も鴨氏一族の守護神を祀った神社で、主祭神として積羽八重事代主命【つみはやえことしろぬしのみこと】と 下照姫命【したてるひめのみこと】の二柱の神を祀っている。この神社は、高鴨神社(「上鴨社」と称される)に対して「下鴨社」とも呼ばれる。

事代主神【ことしろぬしのかみ】は、元来「鴨氏」一族が信仰していた神であり、大神神社(奈良県桜井市)に祀られる大物主大神(=大国主神)の子にあたることから、「大神神社の別宮」とも称されるという。
| 名 称 | 鴨都波神社 |
| 所在地 | 奈良県御所市宮前町513 |
| 駐車場 | あり(無料) |
| Link | 鴨都波神社 | 葛城鴨大明神 |
葛木坐火雷神社(笛吹神社)
葛木坐火雷神社【かつらきにいますほのいかづちじんじゃ】は、奈良県葛城市笛吹にある神社で、通称で笛吹神社と呼ばれる。
主祭神は、火雷大神【ほのいかづちのおおかみ】と天香山命【あめのかぐやまのみこと】である。
明治7年(1874年)、笛吹神社の末社であった 火雷社 を笛吹神社に合祀し、社名を現在の「葛木坐火雷神社」に改めた。このため、現在の社名には両社の歴史が重ねられている。もともと火雷社の祭神は火雷大神で、笛吹神社の祭神が天香山命である。

笛吹神社は、この地を拠点とした 笛吹連【ふえふきのむらじ】 によって創建されたとみられ、 天香山命は笛吹連の祖神とされる。
本殿背後には古墳があり、 笛吹連の祖・櫂子【かじし】の父である 建多析命【たけたおりのみこと】の墓と伝えられている。 このことからも、当地が笛吹連の本拠地であったことがうかがえる。
| 名 称 | 葛木坐火雷神社(笛吹神社) |
| 所在地 | 奈良県葛城市笛吹448 |
| 駐車場 | あり(無料) |
| Link | 葛木坐火雷神社(笛吹神社) |
◆ あとがき
葛城古道に点在する葛城氏や鴨氏ゆかりの古社を訪ねるには、 やはり両氏族のルーツをあらかじめ学んでおく必要があると感じた。 古代氏族の背景を知ることで、社寺の佇まいや祭神の意味が立体的に見えてくる。
実際に葛城氏や鴨氏の歴史を学び、 高天彦神社や高鴨神社を訪ねてみると、 そこには悠久の時間が静かに積み重なっており、 古代から続く信仰の息づかいを肌で感じることができた。
さらに、葛城古道からは少し離れるものの、 鴨都波神社や葛木坐火雷神社(笛吹神社)を参拝したことで、 ヤマト王権が成立する以前、あるいは神代の時代にまで遡る “古代ミステリー”への興味がいっそう深まった。 歴史と神話が交差するこの地域を、 次はゆっくりと徒歩で歩いてみたい―― そんな思いが自然と湧き上がってきた。