◆ はじめに
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)ゆかりの社を訪ねる旅を続けていると、地域ごとに異なる信仰の姿に出会う。
ある社では国土平定の英雄として、またある社では祖神として崇敬されているが、山梨県上野原市の軍刀利神社は少し趣が異なる。
この神社は、もともと軍茶利夜叉明王を祀る修験道の霊場として栄え、武将たちから「軍神」として厚く信仰されてきた歴史を持つ。ところが明治時代の神仏分離を経て、日本武尊を祭神とする神社へと姿を変えた。
つまり軍刀利神社は、「武神信仰」と「日本武尊信仰」が一つの場所で交差する、たいへん珍しい神社なのである。
深い森に囲まれた境内を歩いていると、修験者たちの祈りや武士たちの願い、そして日本武尊の伝説が折り重なるように感じられる。
本稿では、三国山の麓に静かに鎮座する軍刀利神社を訪ね、その歴史と信仰の変遷をたどりながら、日本武尊伝説が受け継がれてきた背景を探ってみたい。
軍刀利神社の由緒
山梨県上野原市棡原(ゆずりはら)に鎮座する軍刀利神社(ぐんだりじんじゃ)は、武蔵・相模・甲斐の国境に近い山あいに佇む由緒ある古社である。
創建の詳細は明らかではないが、社伝によれば平安時代中期の永承3年(1048年)頃に創立されたと伝えられている。もとは三国山の山頂付近に鎮座し、武州桧原・相州佐野川・甲州棡原の三郷の総鎮守として崇敬を集めていたという。
『甲斐国志』には「軍茶利夜叉明王社(ぐんだりやしゃみょうおうしゃ)」として記されており、永正8年(1511年)の銘を刻んだ鰐口の存在も伝えられている。近世までこの地は修験道と深く結びつき、別当寺である大正院によって護持される神仏習合の霊場であった。
軍茶利夜叉明王は五大明王の一尊であり、悪を打ち砕く武神として信仰された。そのため軍刀利神社は古くから「軍神」として名高く、戦国時代には武田信玄や岩殿城主小山田氏ら武門の厚い崇敬を受けたと伝えられている。特に小山田氏は歴代にわたり社領を寄進し、神社の保護に努めたという。
明治維新後の神仏分離によって軍茶利夜叉明王信仰は廃され、社号は現在の「軍刀利神社」と改められた。そして、武神としての性格を受け継ぐ形で、祭神に日本武尊が祀られるようになった。
社伝によれば、日本武尊は東国平定の帰路、この地の三国山山頂で草薙剣を神体として祀ったとされる。その伝承は現在も受け継がれており、境内には巨大な剣のモニュメントが建てられ、参拝者の目を引いている。
また、かつて三国山にあった社殿は火災によって焼失し、その後、現在の井戸地区へ遷座したと伝えられている。以来、軍刀利神社は山岳信仰と武神信仰、そして日本武尊伝説が交わる神社として、今日まで人々の信仰を集め続けている。

軍刀利神社を歩く
軍刀利神社は、山梨県上野原市の山深い谷あいに鎮座する。武蔵・相模・甲斐の三国が接する山々に抱かれたその佇まいは、まさに山岳信仰の霊場にふさわしい静寂に満ちている。
公共交通機関を利用する場合は、JR中央本線上野原駅南口から富士急バス「井戸」行きに乗車し、終点の井戸バス停で下車する。そこから井戸川沿いの道をたどり、徒歩20分ほどで神社へ到着する。
車の場合は中央自動車道上野原ICから約30分。棡原方面へ向かい、案内板に従って進むと参拝者用駐車場に到着する。境内周辺は深い森に包まれ、車を降りた瞬間から澄み切った空気と静けさに迎えられる。
境内に足を踏み入れると、そこには武神を祀る社らしい凛とした気配と、長い歳月を生きてきた森の生命力が共存している。古くは修験者たちが行き交った霊場であったことを思えば、この独特の空気にも納得がいく。
● コケに覆われた厳かな石段の参道
社務所を過ぎると、杉やヒノキの巨木に囲まれた石段の参道が現れる。
長い年月を経た石段には苔が薄く広がり、どこか神秘的な雰囲気を漂わせている。その姿は、かつて修験者たちが山中修行へ向かう際に通った古道を思わせる。
木々の間から差し込む柔らかな光を浴びながら石段を登っていると、次第に心が静まり、神域へ導かれていく感覚を覚える。
● 拝殿と巨大な剣のモニュメント
石段を登り切ると、落ち着いた佇まいの拝殿が姿を現す。
まず目を引くのが、拝殿前にそびえる巨大な剣のモニュメントである。これは日本武尊と草薙剣の伝承を象徴するもので、軍刀利神社の歴史を視覚的に表現した存在といえる。
武神として信仰されてきた神社らしく、その力強い姿は参拝者に強い印象を与える。山中の静寂の中に立つ巨大な剣は、まるで今も神話と歴史を見守り続けているかのようである。
● 額殿に並ぶ巨大な木刀
拝殿の脇に建つ額殿には、多くの参拝者によって奉納された巨大な木刀が納められている。
なかには大人が数人がかりで運ばなければならないほど大きなものもあり、その迫力には思わず目を見張る。古くから軍神として信仰を集めたこの神社ならではの奉納品といえるだろう。
これらの木刀からは、勝負運の向上や災厄除けを願った人々の切実な祈りが伝わってくる。
● 奥の院と大カツラ
拝殿の左手から山道を進むと、約10分ほどで奥の院へとたどり着く。そこには山梨県指定天然記念物である「軍刀利神社のカツラ」がそびえている。
この巨木は推定樹齢約500年、高さ約33メートル、根回り約14メートルを誇り、県内最大級のカツラとして知られている。
無数のひこばえを従えたその姿は圧倒的で、まるで大地から生命力が噴き上がっているかのようだ。根元からは絶えることなく清水が湧き出ることから、「水の木」とも呼ばれている。
修験道の霊場として栄えた軍刀利神社の中でも、この奥の院はとりわけ神秘的な空間である。巨木と湧水、そして奥宮が織りなす景観は、訪れる者に深い感動を与えてくれる。
● 三国山・生藤山への登山道と富士山
奥の院のさらに先には、三国山や生藤山へ続く登山道が伸びている。
この尾根道は、かつて軍刀利神社が鎮座していたと伝えられる三国山方面へ至る道でもある。修験者たちが往来した古道に思いを馳せながら歩けば、この神社が山岳信仰と深く結びついていたことを実感できるだろう。
また、天候に恵まれれば尾根沿いから富士山を望むこともできる。神社参拝だけでなく、自然と歴史を楽しめるハイキングコースとしても人気を集めている。
三国山は旧鎮座地と伝わる場所である。
| 名 称 | 軍刀利神社 |
| 所在地 | 山梨県上野原市棡原4134 |
| 駐車場 | あり(無料)約10〜15台分 |
| アクセス | 中央自動車道「上野原IC」から約25〜30分。 県道521号線(棡原方面)を進み、 上野原カントリークラブの手前を左折して 案内板に従い鳥居をくぐる。 |
| Link | 軍刀利神社|山梨県神社庁. 軍刀利神社/山梨の歴史を旅するサイト |
日本武尊伝説と草薙剣の記憶
軍刀利神社には、日本武尊が東国平定の帰路、この地の三国山に立ち寄り、草薙剣を祀ったという伝承が残されている。
三国山は武蔵・相模・甲斐の境に位置する交通の要衝であり、古くから人々が行き交う場所であった。険しい山々を越えて旅を続けた日本武尊の姿は、この地域の人々の記憶の中で語り継がれ、やがて神格化されていったのであろう。
境内に建つ巨大な剣のモニュメントは、その伝承を象徴する存在である。現在では多くの参拝者が日本武尊ゆかりの神社として訪れているが、ここに伝わる草薙剣の物語は、熱田神宮の伝承ともどこか響き合うものがある。
各地に点在する日本武尊ゆかりの神社を巡ってきたが、日本武尊は単に一人の英雄として語り継がれただけではない。それぞれの土地で地域の歴史や信仰と結びつきながら、多様な姿で受け継がれてきた。
軍刀利神社に伝わる草薙剣伝説もまた、その一つなのである。
武神信仰から日本武尊信仰への変遷
軍刀利神社の歴史を振り返ると、この神社が現在とは異なる姿で信仰されていたことが分かる。
近世までの祭神は、日本武尊ではなく「軍茶利夜叉明王」であった。軍茶利夜叉明王は五大明王の一尊であり、武力によって邪悪を打ち払い、人々を守護する仏教の尊格である。
戦国時代には武田氏や小山田氏ら武将たちの崇敬を集め、「勝利を授ける軍神」として信仰された。境内に残る巨大な木刀の奉納も、その名残といえるだろう。
しかし明治維新後の神仏分離によって、全国の神社は仏教色を取り除くことになった。軍茶利夜叉明王を祀っていたこの社も、新たに日本武尊を祭神として迎えることになる。
興味深いのは、祭神が変わっても「武神」としての性格は受け継がれたことである。
軍茶利夜叉明王が武力によって人々を守る存在であったように、日本武尊もまた東国平定を成し遂げた英雄として広く信仰されていた。そのため、神仏分離後も地域の人々にとって大きな違和感はなかったのかもしれない。
軍刀利神社の歩みは、日本の近代化の中で起こった神仏分離の歴史を物語ると同時に、人々の信仰が時代に応じて姿を変えながら受け継がれてきたことを教えてくれる。
◆ あとがき
軍刀利神社を訪ねて最も印象に残ったのは、この神社が時代とともに姿を変えながらも、人々の祈りを受け止め続けてきたことである。
かつてここでは軍茶利夜叉明王が祀られ、武将たちは戦勝や武運長久を願った。やがて明治維新による神仏分離を経て、祭神は日本武尊へと改められる。しかし、その根底に流れる「困難に立ち向かう力を授けてほしい」という願いは、昔も今も変わっていないように思える。
境内に奉納された巨大な木刀や剣のモニュメントは、そうした武神信仰の名残を今に伝えている。一方で、奥の院の大カツラや静かな森は、山岳信仰の聖地としてのもう一つの顔を見せてくれる。
日本武尊ゆかりの社を巡る旅では、しばしば英雄の伝説そのものに目を向けがちである。しかし軍刀利神社では、その伝説が地域の信仰や歴史と結びつきながら受け継がれてきた過程を感じることができた。
武蔵・相模・甲斐の境を見守る山々の中で、人々は時代ごとに祈る対象を変えながらも、変わらぬ敬虔な心を伝えてきたのである。
軍刀利神社は、日本武尊の足跡をたどる場所であると同時に、日本人の信仰が時代の変化の中で受け継がれてきた姿を静かに物語る貴重な古社であった。
深い森の静寂の中に身を置きながら、その長い歴史に思いを巡らせるひとときは、忘れかけていた祈りの心をそっと呼び覚ましてくれることだろう。