大嶽山那賀都神社を訪ねて──日本武尊伝説と山岳信仰が息づく古社

<目次>
はじめに
大嶽山那賀都神社の由緒
大嶽山那賀都神社を歩く
あとがき

◆ はじめに



日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の足跡をたどる旅を続けていると、各地に残された伝説が単なる神話ではなく、その土地の人々の信仰や暮らしと深く結びついていることに気づかされる。

山梨県山梨市三富に鎮座する大嶽山那賀都神社も、そうした神社の一つである。

社伝によれば、日本武尊が東征の折、この地で神々の加護を受けたことへの感謝から三柱の神を祀ったことが起源とされている。その後は修験者たちの霊場として栄え、関東一円に広がる大嶽山信仰の中心地として、多くの人々の崇敬を集めてきた。

険しい山々と深い渓谷に囲まれた境内へ向かう道は、まさに古来の「祈りの道」である。渓流の音に耳を傾けながら山道を歩いていると、いつしか日常の喧騒は遠ざかり、山そのものを神として敬った人々の心に触れるような不思議な感覚を覚える。

本稿では、大嶽山那賀都神社を訪ね、日本武尊伝説の面影と修験道の歴史、そして今なお息づく山岳信仰の世界をたどってみたい。


大嶽山那賀都神社の由緒

山梨県山梨市三富に鎮座する大嶽山那賀都神社(だいたけさんながとじんじゃ)は、古代の神話伝承と山岳修験の歴史を今に伝える、由緒深い古社である。

社伝によれば、その起源は第十二代景行天皇の御代にさかのぼる。日本武尊が東国平定の途上、甲斐と武蔵の国境の険しい山々を越えようとした際、三柱の神々の加護を受けたという。そこで神恩への感謝を込めて、国司ヶ岳天狗尾根の岩窟に佩剣を納め、大山祇神(おおやまづみのかみ)・大雷神(おおいかづちのかみ)・高龗神(たかおかみのかみ)を祀ったことが、大嶽山信仰の始まりと伝えられている。現在、この地は「奥宮」とされている。

その後、天武天皇の御代には、修験道の祖として知られる役行者小角(えんのぎょうじゃ おづぬ)がこの地を訪れ、山の霊験の高さを感じて修験道場を開いたという。不思議なことに山が昼夜を問わず鳴動したため、この地は「大嶽山鳴渡ヶ崎(なるわたりがさき)」と呼ばれるようになったと伝えられている。

養老元年(717年)、元正天皇の御代に、奥宮から現在の山麓へ御祭神が勧請された。遷座の際にも山が鳴動したため、その伝承は今日まで語り継がれている。

さらに天平7年(735年)には、高僧行基がこの地を訪れ、観世音菩薩像を刻んで神歌を奉じたとされる。

赤の浦 鳴渡ヶ崎に那留神の
みゐづや高く 那賀都とは祈る

この歌にちなみ、社名を「大嶽山那賀都神社」と称するようになったと伝えられている。

また、社伝には伝教大師最澄や弘法大師空海も来山し、修行の跡を残したと伝えられている。境内周辺には「清浄ヶ滝」「座禅岩」「絵書石」など、両師ゆかりとされる史跡も残されている。

江戸時代から昭和初期にかけては、関東一円に講社が組織され、各地に遥拝所や祭祀碑が築かれるなど、「大嶽山信仰」の中心地として大いに栄えた。

現在の本殿は明治時代に再建されたもので、山梨市指定有形文化財に指定されている。社殿には、都留市谷村の名匠・福田俊秀による見事な木彫が施され、竹林の七賢をはじめとする数多くの彫刻が社殿を彩る。その精巧さと力強さは、山深い古社にふさわしい荘厳な雰囲気を今に伝えている。


大嶽山那賀都神社を歩く

深い山々と清流に抱かれた大嶽山那賀都神社は、山岳信仰の霊場としての厳かな雰囲気と、渓谷美あふれる自然が見事に調和した古社である。秩父多摩甲斐国立公園の豊かな自然の中に鎮座しており、まさに「秘境の神社」と呼ぶにふさわしい佇まいを見せている。

アクセスは車が便利で、甲府方面からは中央自動車道「甲府昭和IC」より約40分、東京方面からは「勝沼IC」から国道140号(雁坂みち)を経由して約35分で到着する。参道入口付近には参拝者用の無料駐車場が整備されている。

社殿は山中にあり、駐車場から拝殿までは約1kmの参道を歩く。所要時間は20分から30分ほどだが、それは単なる移動時間ではない。那賀都渓谷に沿って続く道は、修験者たちが心身を鍛えながら歩いた祈りの道でもある。渓流のせせらぎに耳を傾けながら歩いていると、日常の喧騒が次第に遠ざかり、心が静かに清められていくような感覚を覚える。


● 参道「行の坂」と不動の滝

拝殿へと続く参道は、「行の坂」と呼ばれる修験の道である。緩やかな坂道が続くが、周囲には豊かな森と渓流が広がり、歩みを進めるごとに霊場へ向かう高揚感が増していく。

道中には「不動の滝」があり、その傍らには不動明王が祀られている。古くから修験者たちの滝行の場として知られ、現在も神聖な雰囲気に包まれている。滝音に耳を澄ませていると、雑念が洗い流されるような爽快感を味わうことができる。


● 姿見の真澄鏡(ますみががみ)

参道を登り切ると、手水舎に据えられた大きな円形の鏡が目に入る。これは「姿見の真澄鏡」と呼ばれるもので、参拝者が神前に進む前に身なりを整え、自らの心を見つめるための鏡である。

神社の鏡は神聖な象徴として社殿内に納められていることが多いが、ここでは参拝者自身が鏡に向き合うことができる。鏡に映る自分の姿を見つめながら、心を静めて神前へ向かうひとときは、この神社ならではの体験といえるだろう。


● 随神門

境内に入ると、山岳信仰の聖地らしく天狗の存在感が色濃く感じられる。立派な随神門には天狗像と烏天狗像が配され、神域を守護している。

大嶽山那賀都神社では、天狗は神々の使いであり、修験道の守護者として信仰されてきた。門をくぐると、一段と空気が変わり、聖域へ足を踏み入れたことを実感する。

また、拝殿の周辺には天狗ゆかりの奉納品も見られ、古くから続く大嶽山信仰の一端をうかがうことができる。


● 神気石とつぶて占い

境内には「神気石」と呼ばれる大きな霊石がある。案内には「手に触れて気を感じてください」と記されており、多くの参拝者が手を当てて祈りを捧げている。

また、「飛礫(つぶて)」を用いた願掛けも人気である。小石を占い岩に向かって投げ、見事に乗れば願いが叶うと伝えられている。運試しを兼ねた素朴な信仰は、古くから人々に親しまれてきた山岳信仰の面影を今に伝えている。


● 本殿と彫刻

拝殿の奥、一段高い場所に建つ本殿は、山梨市指定有形文化財に指定されている歴史的建造物である。明治時代に再建された社殿には、都留市谷村の名工・福田俊秀による見事な木彫が施されている。

その中でも目を引くのが、「竹林の七賢」をはじめとする精巧な彫刻群である。龍や人物、さまざまな吉祥の意匠が社殿全体を彩り、その技術の高さには思わず息をのむ。深い山中にありながら、これほど壮麗な社殿が建てられた背景には、かつて関東一円から篤い信仰を集めた大嶽山信仰の隆盛があったことを物語っている。


社殿を見上げながら耳を澄ませると、聞こえてくるのは風に揺れる木々のざわめきと渓流の音だけである。大嶽山那賀都神社は、山そのものを神として敬ってきた日本の山岳信仰の世界を、今なお静かに伝える貴重な聖地なのである。

名 称大嶽山那賀都神社
所在地山梨県山梨市三富上釜口617
TEL 0553-39-2825
駐車場あり(無料)
アクセス中央自動車道「甲府昭和IC」より約40分
Link大嶽山那賀都神社

◆ あとがき

大嶽山那賀都神社への参拝は、単に一社を訪ねる旅ではなかった。

そこには、日本武尊の伝説に始まり、役行者や行基をはじめとする修験者たちの祈り、さらに関東各地から参拝者を集めた大嶽山信仰の歴史が幾重にも積み重なっていた。

特に印象的だったのは、社殿の壮麗さ以上に、そこへ至るまでの道のりである。渓流沿いの参道を歩き、森の香りに包まれながら山を登る時間は、現代の私たちが忘れかけている「自然への畏敬の念」を思い出させてくれるようだった。

日本人は古くから、山や森、滝や岩に神の存在を感じ、その恵みに感謝しながら生きてきた。大嶽山那賀都神社には、その原初的な信仰の姿が今も色濃く残されているように思う。

日本武尊ゆかりの社を巡る旅を続けるなかで、私は英雄の足跡だけでなく、その土地に根付く人々の祈りや信仰にも出会うことができた。大嶽山那賀都神社は、そうした日本人の精神文化の奥深さを静かに語りかけてくれる貴重な聖地である。

もし機会があれば、ぜひ自らの足で山道を歩き、清らかな渓流の音に耳を澄ませながら、この神秘的な古社を訪ねてみてほしい。きっとそこには、古代から受け継がれてきた祈りの世界が今も息づいていることを感じられるだろう。


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