◆ はじめに
京都の神社仏閣は国際的にも広く知られ、世界文化遺産「古都京都の文化財」として17か所が登録されている。 しかし、世界遺産に指定されていない寺社にも、静かな佇まいと深い歴史を湛えた名所が数多く存在する。むしろ、そうした場所にこそ京都本来の魅力が息づいていると言えるだろう。
本能寺【ほんのうじ】も、その一つである。本能寺は、1582年に起きた「本能寺の変」で広く知られる寺院である。 この事件では、織田信長が家臣の明智光秀に急襲され、最終的に自害へと追い込まれた。 本能寺の変は、日本の戦国時代の大きな転換点となり、その後の歴史の流れを決定づけた重要な出来事である。
本能寺
本能寺【ほんのうじ】は、法華宗本門流の大本山にあたる寺院である。山号は持たず、御本尊は本門八品上行所伝の南無妙法蓮華経である。
この寺は、1582年に明智光秀が謀反を起こし、滞在中の織田信長を急襲した「本能寺の変」の舞台として広く知られている。

当時の本能寺は、現在の境内よりもはるかに広大で、寺域の周囲には土塀や堀が巡らされ、ある程度の防備を備えた寺院であったと伝わる。 そのため信長は、少数の供回りだけを連れて安土城から本能寺に入り、比較的安心して滞在していたと考えられる。 結果として光秀の急襲に対し備えが手薄となり、信長が自害へと追い込まれる悲劇へつながったのであろう。権勢の絶頂にあったがゆえの油断であったのかもしれない。
| 名 称 | 本能寺 |
| 所在地 | 京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町522 |
| TEL | 075-231-5335 |
| 駐車場 | なし |
| Link | 法華宗大本山 本能寺 |
◆ あとがき
本能寺の変は、日本史の中でも特に有名な事件であり、多くの日本人が学校教育を通じてその名を知っている。 戦国時代の権力構造を大きく揺るがし、その後の歴史の流れを決定づけた出来事であったことを思えば、その知名度の高さも当然と言えるだろう。
本能寺が広く知られる寺院となったのも、この事件の舞台となったことが大きい。私自身も、本能寺という名を初めて意識したのは、この歴史的事件を学んだときであった。
本能寺の変から10年後の1592年、日衍聖人(第14代貫首)によって本能寺は再建され、豊臣秀吉の命により現在の地へと移転した。こうした歴史的経緯は、意外と知られていない。
かつて信長が最期を迎えた本能寺跡は、現在の京都市中京区小川通蛸薬師元本能寺町に位置する。 京都の街中を歩いていると、堀川高校(堀川高本能学舎)の周辺にひっそりと建つ小さな石碑に気付くことがある。 その静かな佇まいは、かつてこの地で歴史の大きな転換点が生まれたことを、そっと語りかけてくれるようである。