◆ はじめに
岐阜県には、深い渓谷と清流が織りなす風景が広がる飛騨木曽川国定公園がある。木曽川の源流域にあたるこの地域は、険しい岩肌と澄んだ水の流れが美しく、歩くほどに自然の静けさが心に染み込んでくる。そして、その南側には日本三名泉のひとつとして知られる下呂温泉が湧き、古くから旅人の疲れを癒してきた。
渓谷の風景と名湯のぬくもり── この二つが一日の中で自然につながる旅は、心と身体の両方をゆっくりと整えてくれる。シニア世代となった今、こうした「静けさのある旅」がいっそう深く胸に響くようになった。
本稿では、飛騨木曽川国定公園の渓谷美を歩き、下呂温泉で湯に浸かったときの印象を、私自身の視点から静かに記してみたい。
飛騨木曽川国定公園とは
飛騨木曽川国定公園は、岐阜県下呂市から美濃加茂市にかけて広がる飛騨川流域と、岐阜県瑞浪市から愛知県犬山市にかけて続く木曽川中流域を中心に指定された国定公園である。飛騨川・木曽川という二つの大河が深い谷を刻み、渓谷美・奇岩・清流が連続する風景が特徴で、岐阜県南部から愛知県北部にかけて広い範囲を含んでいる。
公園の指定区域には、日本三名泉のひとつとして知られる下呂温泉も含まれている。泉質はアルカリ性単純泉で、肌ざわりが柔らかく「美人の湯」として古くから親しまれてきた。関西方面からも比較的アクセスしやすく、観光地としての人気も高い。
飛騨川の渓谷美と、下呂温泉の名湯── この二つが同じ国定公園の中に収まっていることは、旅の楽しみを大きく広げてくれる。険しい谷を歩いた後に温泉で身体を休めるという、自然と湯の魅力が一日の中で自然につながる地域である。
渓谷美を求めて歩く
渓谷を歩く旅には、山の静けさとも海の広がりとも異なる、独特の深みがある。岩肌を削りながら流れ続ける水の音、谷あいにこだまする風の気配、そして長い年月をかけて刻まれた地形の造形──それらが重なり合い、渓谷はいつ訪れても心を静かに整えてくれる場所となる。
飛騨木曽川国定公園の指定区域内には、そんな渓谷美を味わえる場所が数多く点在している。飛騨川の急流がつくり出した飛水峡、藤倉川の透明な流れが続く藤倉峡、奇岩と滝が連なる横谷峡、木曽川の深い谷を一気に駆け抜ける中山七里、巨大な柱状節理がそびえる巌立峡、花崗岩の巨岩が点在する鬼岩公園──いずれも自然の力がそのまま形となった、個性豊かな渓谷である。
これらの渓谷を歩いていると、同じ「谷」でありながら、風景の表情がまったく異なることに気づかされる。水の色、岩の質感、谷の深さ、光の差し込み方──その違いが、旅を重ねるほどに渓谷美の奥行きを広げてくれる。心に残った風景や静けさを思い返しながら、「渓谷美を求めて歩く」というテーマでその魅力を記してみたい。
鬼岩公園
鬼岩公園【おにいわこうえん】は、木曽川の支流である可児川の源流付近に位置する公園である。花崗岩が数百万年にわたって浸食されてできた巨岩や奇石があり「鬼岩」と呼ばれている。鬼岩は国の名勝および天然記念物に指定されている。

鬼岩公園は、花崗岩の巨岩が谷沿いに点在する独特の景観が特徴である。巨岩の間を縫うように散策路が続き、岩の表面に刻まれた風化の模様が自然の時間を感じさせる。鬼岩伝説が残る場所でもあり、歴史と自然が重なる風景が魅力。渓谷というより「岩の庭園」といった趣があり、歩くほどに岩の造形の面白さが際立つ。

蓮華岩の近くには「鬼の一刀岩」と呼ばれる奇岩もある。まるで日本刀で一刀断ちにされたかのような花崗岩の巨岩である。逆光のため正面からの写真が撮れなかったのは残念である。
| 名 称 | 鬼岩公園 |
| 所在地 | 瑞浪市日吉町可児郡御嵩町 |
| 駐車場 | あり(無料)(鬼岩ドライブイン) |
| Link | 鬼岩公園|瑞浪市 |
飛水峡
飛水峡【ひすいきょう】は、飛騨川流域に位置し、岐阜県七宗町から白川町までの全長約12kmにわたる峡谷である。エメラルドグリーンの水面がとても綺麗である。

飛騨川の急流が長い年月をかけて岩盤を削り、深いV字谷をつくり出したのが飛水峡である。川の流れは激しく、場所によってはエメラルド色の深い淵が現れ、荒々しい岩肌との対比が美しい。

奇岩・怪石が連続し、甌穴(ポットホール)が多数残ることでも知られ、地質学的にも貴重な渓谷だ。水の力がそのまま形になったような風景は、訪れるたびに自然の迫力を感じさせてくれる。
| 名 称 | 道の駅・ロックガーデンひちそう |
| 所在地 | 岐阜県七宗町中麻生1169-3 |
| 駐車場 | あり(無料) |
| Link | 道の駅 ロックガーデンひちそう |
藤倉峡
藤倉峡【ふじくらきょう】は、飛騨川と馬瀬川の合流地点(岐阜県下呂市金山町金山)に位置する金山橋の下流から七宗ダムに至るまでの峡谷である。特に、金山橋の下流約300m付近より、飛騨川がS字状に屈曲する所付近の景色が素晴らしい。

藤倉川の透明度の高い流れが続く静かな渓谷。大規模な奇岩や断崖は少ないが、清流の美しさと森の深い緑が調和し、歩くほどに心が落ち着いていく。川面に光が差し込むと、水が淡い翡翠色に輝き、静けさの中に柔らかな美しさがある。観光地化されすぎていないため、自然本来の姿をゆっくり味わえる渓谷である。

ちょうど良い駐車場を見つけることができれば、素晴らしい藤倉峡をゆっくりと堪能することができたかも知れない。

結局、駐車スペースを見つけられなかったので藤倉峡をゆっくりと鑑賞することはできなかった。カメラのシャッターを押す程度の停車しかできなかったのは残念である。
| 名 称 | 藤倉峡 |
| 所在地 | 岐阜県下呂市金山町金山 |
| 駐車場 | なし |
横谷峡
横谷峡【よこたにきょう】は、下呂市金山町に位置する、馬瀬川の支流の横谷川にある峡谷である。横谷峡には下流から順に白滝【しらたき】、二見滝【ふたみたき】、紅葉滝【もみじたき】、鶏鳴滝【けいめいたき】と呼ばれる4つの滝があり、横谷峡「四つの滝」【よつのたき】として名勝に指定されている。
これら4つの滝の表情は、豊かで歩いていて飽きることがない。岩壁に沿って流れ落ちる水が白い筋となり、谷に響く水音が心地よい。秋には紅葉が渓谷を彩り、黄金色の葉が水面に舞う風景は格別である。滝と渓谷美が一体となった、変化に富む散策路が魅力である。
白滝【しらたき】は、最下流に位置する、落差17mの滝である。エメラルドグリーンの滝壺をもつ直瀑の美しい滝である。横谷川には天然記念物のオオサンショウウオが生息しており、白滝の近くには文化庁の許可を受けた飼育池があるという。

鶏鳴滝【けいめいたき】は、最上流に位置する、落差33mの滝である。落差は四つ滝で最も大きい。エメラルドグリーンの滝壺に落下する落差33mの直瀑はさすがに迫力がある。

鶏鳴滝には「黄金姫伝説」が残されている。「鶏鳴滝」の名の由来は、「黄金姫伝説」によるものとされる。現地では、鶏の鳴き声など聞こえないほどに滝の落下音が大きい。
| 名 称 | 横谷峡 |
| 所在地 | 岐阜県下呂市金山町金山 |
| 駐車場 | あり(無料) |
| Link | 横谷峡四つの滝 – 下呂市 横谷峡(四つの滝)の駐車場 |
中山七里
中山七里【なかやましちり】は、急峻な山地を木曽川支流の飛騨川による浸食でできた渓谷で、飛騨川中流に位置する。帯雲橋【たいうんきょう】(下呂市三原)から境橋(下呂市金山町金山)にかけて続く、全長約28kmの渓谷である。

中山七里は、川が山地を一気に削り取ったような豪快な渓谷である。深い谷と荒々しい岩肌が続き、川の流れは場所によって激流となる。かつては交通の難所として知られたが、今ではその険しさが渓谷美として評価されている。山と川がつくり出したダイナミックな風景は、訪れる者に自然の力強さを感じさせる。
| 名 称 | 中山七里 |
| 所在地 | 下呂市三原〜金山 |
| 駐車場 | なし |
| Link | 中山七里|下呂温泉観光協会 |
巌立峡
巌立峡【がんだてきょう】は、下呂市小坂町落合を流れる濁河川と椹谷【さわらたに】が合流する付近の渓谷をいう。合流地点にある絶壁は、巌立【がんだて】と呼ばれ、岐阜県指定の天然記念物である。

巌立峡の象徴は、巨大な柱状節理がそびえる「巌立」である。高さ72m、幅120mにも及ぶ溶結凝灰岩の絶壁は、まるで大地が垂直に割れたかのような迫力がある。火山活動の痕跡がそのまま残された地形で、自然の造形美として圧倒される。

近くには三ツ滝などの清流もあり、荒々しさと静けさが同居する渓谷である。
| 名 称 | 巌立峡・巌立 |
| 所在地 | 岐阜県下呂市小坂町落合 |
| 駐車場 | あり(無料) |
| Link | 巌立峡 – 飛騨小坂観光協会 |
下呂温泉の歴史と魅力
下呂温泉【げろおんせん】は、開湯から1,000年以上の歴史をもつ古い温泉郷である。平安時代の文献にもその名が見え、有馬温泉(兵庫県)・草津温泉(群馬県)と並び「日本三名泉」の一つに数えられてきた名湯である。

泉質は アルカリ性単純温泉。無色透明・無臭の柔らかな湯で、pH値は9.2と高く、角質や皮脂をやさしく落とす作用があるとされる。湯上がりの肌がすべすべになることから「美人の湯」として古くから親しまれ、特に女性に人気が高い。
源泉温度は約84℃と高く、湧出量も豊富であるため、下呂温泉の宿の多くが「源泉かけ流し」を採用している。効能としては、神経痛・筋肉痛・肩こり・関節痛・疲労回復・ストレス性の諸症状などに良いとされ、温泉療養の地としても評価が高い。温泉を利用した病院や研究施設が設置されている点からも、その泉質の確かさがうかがえる。

温泉街には、白鷺【しらさぎ】が湧出場所を知らせたという伝説が残されており、街のあちこちに白鷺をモチーフにした意匠が見られる。こうした伝承が温泉街の風情をより深いものにしている。
飛騨川の両岸から山の中腹にかけて旅館・土産物店・飲食店が広がり、温泉街はほどよい規模で落ち着いた雰囲気を保っている。旅館の密集度が高すぎないため、宿ごとに異なる景観が楽しめるのも魅力の一つである。中心部には賑わいがあるが、少し歩けば静かな山里の風情が漂い、四季折々の自然が旅人を迎えてくれる。

温泉街には無料の足湯が点在し、散策の途中でも気軽に湯を楽しめる。こうした「温泉との距離の近さ」も、下呂温泉の人気を支える理由だろう。宿では、飛騨牛をはじめとする地元食材を使った料理が供され、湯と食の両方で旅の満足度を高めてくれる。
渓谷美を歩いたあと、下呂の湯に身を沈めると、身体の奥に残っていた緊張がゆっくりほどけていく。名湯とは、ただ温まるだけではなく、心の静けさを取り戻す場所なのだとあらためて感じさせてくれる。
| 名 称 | 下呂温泉 |
| 所在地 | 岐阜県下呂市下呂温泉 |
| Link | 日本三名泉|下呂温泉 |
湯に浸かるひととき
渓谷を歩き終え、宿の湯に身を沈める瞬間ほど、心と身体が同時にほどけていく時間はない。飛騨木曽川国定公園の渓谷美を歩いたあと、下呂温泉の湯に浸かると、身体の奥に残っていた緊張がゆっくりと溶けていき、まるで湯そのものが旅の続きを語りかけてくるようだった。
湯は無色透明で柔らかく、肌を包み込むように静かに寄り添ってくる。アルカリ性単純泉特有のなめらかさが心地よく、湯面に揺れる湯気を眺めているだけで、渓谷の水音がまだ耳の奥に残っているような気がした。歩き疲れた足がじんわりと温まり、深い呼吸が自然と戻ってくる。

露天風呂に出ると、夜の山の気配が静かに広がっていた。遠くで川の音がかすかに響き、湯気の向こうに山の稜線がぼんやりと浮かぶ。昼間に歩いた渓谷の風景が、湯のぬくもりと重なり合い、旅の時間がひとつにまとまっていくような感覚があった。
湯に浸かるという行為は、単なる疲労回復ではなく、心の奥にあるざわつきを静かに沈める儀式のようなものだ。シニア世代となった今、こうした「何もしない時間」がいかに大切であるかを、湯の中であらためて思い知らされる。

湯上がりの肌はすべすべとし、身体は軽く、心は静かに整っている。渓谷の風景と名湯のぬくもり── その二つが旅の中で自然につながることで、忘れかけていた自分のリズムがそっと戻ってくる。この「湯に浸かるひととき」は、旅の締めくくりであり、次の旅への静かな入口でもあるのだろう。

◆ あとがき
飛騨木曽川国定公園の指定区域は、予想していたより広域にわたっていた。その分、自然公園内の景勝地はそれぞれに特徴があって大いに楽しむことができた。特に飛水峡、横谷峡、巌立峡や鬼岩公園についてはゆっくりと大自然を満喫しながら散策できたことから印象深く記憶に残っている。
下呂温泉へは久し振りに行くことができた。下呂温泉の宿の露天風呂に浸かり、夜空の星を眺めているとつい長風呂になってしまうが、湯あたりをすることなく、癒されていることを実感する。あまり期間をおかずに再訪したいものである。
渓谷の水音と、温泉の湯気── 飛騨木曽川国定公園と下呂温泉を歩いた旅は、自然の静けさと人の営みが穏やかに重なる時間だった。渓谷の深い緑に包まれると、日常の雑念がすっと薄れ、湯に浸かると身体の奥に残っていた緊張がゆっくりほどけていく。
旅とは、遠くへ行くことだけではなく、心の奥にある静かな場所を再び見つける行為なのだと感じた。これからも、こうした「自然と自分がゆっくり重なる旅」を大切にしていきたいと思う。