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  • 飛鳥寺を訪ねて──飛鳥大仏が伝える日本仏教のはじまり

    <目次>
    はじめに
    飛鳥寺の由緒
    飛鳥寺を歩く
    あとがき



    ◆ はじめに



    奈良県明日香村は、日本という国が形づくられた古代史の舞台である。聖徳太子や蘇我氏が活躍し、仏教という新しい思想がもたらされたこの地には、日本の原点ともいえる歴史と文化が今も息づいている。

    その飛鳥の中心に佇むのが飛鳥寺である。

    飛鳥寺は、日本最初の本格的な仏教寺院として知られ、百済から伝わった最新の技術や文化を取り入れながら建立された。当時の日本にとって、仏教は単なる信仰ではなく、国家のあり方そのものを変える大きな出来事であった。

    寺に安置される飛鳥大仏は、1400年以上の歳月を経た今もなお、人々の祈りを受け止めながら静かに坐している。その穏やかな眼差しは、日本仏教の黎明期から現代に至るまでの長い歴史を見つめ続けてきた証人ともいえるだろう。

    今回の旅では、日本仏教発祥の地とも呼ばれる飛鳥寺を訪ね、飛鳥大仏や創建当時の面影を残す史跡を巡りながら、日本仏教のはじまりに思いを馳せてみたい。


    飛鳥寺の由緒

    奈良県高市郡明日香村にある飛鳥寺(あすかでら)は、崇峻天皇元年(588年)に蘇我馬子が発願し、推古天皇4年(596年)に完成した、日本最初の本格的な仏教寺院である。『日本書紀』によれば、蘇我馬子は物部守屋との戦いに際して仏法興隆を誓願し、その勝利後に寺院の建立を進めたという。

    寺の造営には百済から寺工、瓦博士、画工など多くの技術者が招かれ、当時の先進文化と建築技術が導入された。飛鳥寺は、日本で初めて本格的な伽藍配置を備えた寺院として知られ、中塔を中心に東・西・北の三金堂を配する「一塔三金堂式」という壮大な伽藍を誇った。

    飛鳥寺は法興寺(ほうこうじ)とも呼ばれ、後に元興寺(がんごうじ)の名を与えられた。養老2年(718年)、平城京の建設に伴って主要伽藍は奈良へ移され、現在の元興寺へと発展した。しかし、飛鳥の旧寺院も「本元興寺」として存続し、飛鳥大仏をはじめとする重要な文化財はこの地に残された。

    現在の飛鳥寺は、正式には鳥形山安居院(あんごいん)と称する真言宗豊山派の寺院であり、日本最古の寺院の法灯を今に伝えている。

    本尊の飛鳥大仏(銅造釈迦如来坐像)は、鞍作止利(くらつくりのとり、止利仏師)の作と伝えられる重要文化財である。創建当時の飛鳥寺金堂の本尊として造られ、現存する日本最古の金銅仏として知られる。度重なる火災によって損傷を受けたものの、顔の一部や左耳、右手の指の一部には飛鳥時代当初の姿が残されているという。

    また、寺の西側には蘇我入鹿首塚と呼ばれる五輪塔が建っている。乙巳の変(645年)で討たれた蘇我入鹿の首がここまで飛んできたという伝説に由来するもので、飛鳥の歴史ロマンを今に伝える史跡として知られている。

    今日の飛鳥寺は、日本仏教黎明の舞台を今に伝える貴重な寺院である。飛鳥大仏の穏やかな眼差しは、仏教伝来の時代から約1400年にわたり、日本の歴史を静かに見守り続けてきたのである。


    飛鳥寺を歩く

    日本最初の本格的仏教寺院である飛鳥寺は、のどかな田園風景が広がる明日香村の中心部に静かに佇んでいる。

    飛鳥寺跡は、2026年にユネスコ世界遺産「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」を構成する資産の一つとして登録され、日本古代国家誕生の舞台としての歴史的価値が改めて世界に認められた。

    かつての飛鳥寺は、中塔を中心に三つの金堂が並ぶ壮大な伽藍を誇り、飛鳥文化の象徴ともいえる大寺院であった。しかし度重なる火災や戦乱によって往時の建物の多くは失われ、現在は安居院(あんごいん)として静かに法灯を伝えている。


    ● 飛鳥大仏(釈迦如来坐像)

    飛鳥寺の本尊である飛鳥大仏は、609年に完成したと伝えられる重要文化財の銅造釈迦如来坐像である。

    鞍作止利(止利仏師)が手がけたとされるこの仏像は、現存する日本最古の金銅仏として知られている。幾度もの火災によって補修が重ねられてきたが、顔の上部や左耳、右手の指の一部などには飛鳥時代当初の部分が残されているといわれる。

    1400年以上の歳月を経たとは思えないほど穏やかな表情をたたえ、その眼差しは飛鳥の歴史を静かに見守り続けているように感じられる。


    ● 創建当時を伝える礎石

    飛鳥大仏の大きな魅力の一つは、創建以来ほぼ同じ場所で祀られてきたことである。

    現在も本堂の床下には、飛鳥時代の伽藍に用いられた礎石が残されている。聖徳太子や蘇我馬子らが目にしたであろう場所と同じ空間に立ち、日本仏教の黎明期に思いを馳せることができるのは、飛鳥寺ならではの醍醐味といえる。


    ● 蘇我入鹿首塚

    境内の西方には、「蘇我入鹿首塚」と呼ばれる五輪塔が建っている。

    645年、乙巳の変で中大兄皇子と中臣鎌足らによって討たれた蘇我入鹿の首が、この地まで飛んできたという伝説に由来する塚である。

    もちろん史実を示すものではないが、飛鳥の地に数多く残る伝説の一つとして、今も多くの歴史愛好家の関心を集めている。


    飛鳥寺の周辺には、日本の原風景ともいえる田園風景が広がり、春には桜、秋には黄金色の稲穂が訪れる人々の目を楽しませてくれる。

    また、聖徳太子生誕の地として伝わる橘寺や、日本最大の塑像である如意輪観音坐像を安置する岡寺、さらに巨石で知られる石舞台古墳なども自転車で巡れる距離にある。

    飛鳥寺を起点に周辺の史跡を訪ね歩けば、日本という国が形づくられていった時代の息吹を、より身近に感じることができるだろう。

    名 称飛鳥寺(鳥形山安居院)
    所在地奈良県高市郡明日香村飛鳥682
    TEL0744-54-2126
    駐車場あり(有料)
    アクセス南阪奈道路「葛城IC」から
    高田バイパス経由で約30分。
    Link飛鳥寺|奈良県観光

    ◆ あとがき

    飛鳥寺を訪れてまず感じたのは、「日本仏教の原点」が今も静かに息づいているということであった。

    豪壮な伽藍が残されているわけではない。広大な境内が広がっているわけでもない。しかし、この地には飛鳥時代から受け継がれてきた歴史の重みが確かに存在している。

    飛鳥大仏の前に立つと、仏教が初めて日本に根づこうとしていた時代の人々の思いや願いが、不思議なほど身近に感じられる。蘇我馬子や聖徳太子、そして名もなき工人たちが築き上げた文化の礎は、1400年を超える年月を経た現在も私たちに語りかけてくるようである。

    飛鳥の地には、飛鳥寺をはじめ橘寺や岡寺、石舞台古墳など、日本の古代を物語る史跡が数多く残されている。そのなかでも飛鳥寺は、日本仏教の出発点として特別な意味を持つ場所ではないだろうか。

    もし明日香村を訪れる機会があれば、ぜひ飛鳥大仏の穏やかな眼差しに触れてみてほしい。そこで過ごすひとときは、教科書の中の歴史ではなく、今につながる日本の原点を身近に感じる貴重な時間となるはずである。


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