◆ はじめに
富士箱根伊豆国立公園は、神奈川・静岡・山梨の3県と東京都にまたがる広大な国立公園で、 富士山・箱根・伊豆半島・伊豆諸島の4つのエリアから構成されている。火山活動によって生まれた山々、湖、温泉、島々など、多様な自然景観が公園の核となっている。
この中でも富士山エリアは、ひときわ静かな気配をまとっている。 名峰を仰ぎながら歩くと、山肌を渡る風の音や、雲が形を変えながら流れていく様子が、 心の奥にそっと触れてくるようだ。 長い人生の歩みの中で何度も見てきたはずの富士山が、 今日だけは少し違う表情を見せてくれる── そんな穏やかな時間を求めて、ゆっくりと道を進むことにした。
本稿では、富士山エリアの景勝地の中でも、富士五湖を中心とした地域を取り上げたい。 湖越しに望む富士山の姿は、季節や時間帯によってまったく異なる表情を見せ、 歩くたびに新しい発見がある。 富士山を望む散策路の魅力と、そこで出会った静かな風景を、 シニアの旅目線でお届けしたい。
富士五湖の成り立ちと特徴
──火山が生んだ湖と名峰の物語
富士五湖は、富士山の北麓(山梨県側)に並ぶ 山中湖・河口湖・西湖・精進湖・本栖湖 の五つの湖の総称で、いずれも富士山の火山活動と深く結びついている。その成り立ちを知ると、湖越しに眺める富士山の姿が、より立体的に感じられる。富士五湖は、国の名勝に指定されている。

富士山は、約10万年前から続く火山活動によって形成された複合火山で、 古い山体(小御岳)に新しい山体(古富士)が重なり、さらにその上に現在の富士山(新富士)が成長した。 この三層構造が、富士山の均整の取れた美しい円錐形を生み出している。

富士五湖は、この新富士の噴火によって流れ出した溶岩流が谷をせき止め、水がたまって形成された湖、堰止湖【せきとめこ】である。 特に西湖・精進湖・本栖湖は、かつて一つの大きな湖だったとされ、 溶岩流によって分断されて現在の姿になった。そのため、この三湖は水質や透明度が似ており、どこか親密な雰囲気を漂わせている。
一方、山中湖と河口湖は比較的浅く、周囲の集落や観光施設と調和しながら、富士山の裾野の広がりを感じられる湖となっている。
湖ごとに富士山の見え方が異なり、「広がり」「静けさ」「深さ」「親密さ」など、 それぞれの湖が独自の表情を持っている。この多様性こそが、富士五湖を歩く旅の大きな魅力だ。

河口湖
──旅の拠点となる湖
河口湖【かわぐちこ】は、富士五湖の最北端に位置し、湖水面積は五湖では2番目に広い。一方、最大水深は14.6 mで、精進湖とほぼ同じである。五湖の中でも最も観光施設が整い、散策・文化・食事・宿泊のすべてが揃う旅の拠点となる湖だ。
湖畔には歩きやすい散策路が続き、 朝の光に照らされる富士山は、湖面に柔らかく映り込む。 風のない日には「逆さ富士」が現れ、その静かな姿は、まるで時間が止まったかのような感覚を与えてくれる。
周辺には美術館や文学館が点在し、歩き疲れたときにふらりと立ち寄る楽しみもある。夕暮れ時には、富士山の稜線が赤く染まり、湖畔のベンチに座って眺めるだけで心が整っていく。河口湖は、富士山の「日常の美しさ」を感じられる湖だ。

河口湖の南側は開け、そこに富士山が山容を見せ、湖面に写る「逆さ富士」は写真に撮る価値がある。
| 名 称 | 河口湖 |
| 所在地 | 山梨県富士河口湖町船津 |
| Link | 河口湖 | 富士五湖観光連盟 富士河口湖町の1年 |
山中湖
──水辺の広がりと風の道
山中湖【やまなかこ】は、富士五湖の最東端に位置し、最大の湖水面積(6.57km2)を有する湖である。その一方、水深は五湖の中で最も浅い(13.3m)が、相模川の源流でもある。
山中湖の湖面の大きな広がりが、富士山の雄大さを引き立てている。湖畔には白鳥が訪れ、水辺を歩くと、風が湖面を渡ってくるのが肌で感じられる。 湖岸の散策路は長く続き、歩くほどに視界が開け、富士山の姿が少しずつ変化していく。
特に早朝の山中湖は静けさが際立ち、薄い霧の向こうに富士山が浮かび上がる瞬間は、まるで絵画のような美しさだ。
山中湖は、広がりと風を感じる湖であり、歩く旅に「軽やかさ」を与えてくれる。
| 名 称 | 山中湖 |
| 所在地 | 山梨県山中湖村平野 |
| Link | 山中湖 | 富士五湖観光連盟 山中湖観光協会 |
西湖
──深い森に抱かれた静寂の湖
西湖【さいこ】は、最大水深は71.7 mで、2番目に深い湖である。湖水面積は4番目の広さで、富士五湖の中でも特に静けさが際立つ湖だ。 周囲には原生林に近い自然が残り、湖畔を歩くと、森の深い緑が視界を包み込む。
観光地化が進みすぎていないため、湖面の静けさがそのまま保たれており、風が止むと、水面は鏡のように滑らかになる。
近くには風穴・氷穴などの溶岩地形が点在し、富士山の火山活動の痕跡を間近に感じられる。 洞内のひんやりとした空気は、夏でも驚くほど冷たく、自然の力を静かに物語っている。西湖は、「静寂を味わう旅」に最も向いた湖だ。
| 名 称 | 西湖 |
| 所在地 | 山梨県富士河口湖町西湖西 |
| 駐車場 | あり(無料) |
| Link | 西湖 | 富士五湖観光連盟 西湖/山梨県公式観光情報 |
精進湖
──小さな湖が描く親密な風景
精進湖【しょうじこ】は本栖湖の東側に位置する湖である。最大水深は15.2 mで、河口湖と並び3番目の深さである。湖水面積は五湖の中で最も狭い(0.5 km2)が、その親密な雰囲気が歩く旅に心地よさを与えてくれる。
湖畔からは「子抱き富士」と呼ばれる景観が望める。 富士山の手前にある大室山が、まるで子どもを抱くように重なって見えることから名付けられた。この景観は精進湖ならではで、写真家たちが好んで訪れる理由の一つでもある。
湖畔の散策路は素朴で歩きやすく、観光地化されすぎていないため、静かな時間がそのまま流れている。精進湖は、富士山との距離が近く感じられる湖だ。
| 名 称 | 精進湖 |
| 所在地 | 山梨県富士河口湖町 |
| 駐車場 | あり(無料) |
| Link | 精進湖 | 富士五湖観光連盟 精進湖観光情報サイト |
本栖湖
──深い青と広がりの象徴
本栖湖【もとすこ】は、富士五湖の最西端に位置する湖で、湖水面積は3番目の広さである。五湖の中で最も深く(最大水深:121.6 m)、その透明度の高さから「本栖ブルー」と呼ばれる深い青が特徴だ。本栖湖と西湖の間には「青木が原樹海」と呼ばれる溶岩流の上に形成された森林もある。
千円札の裏面に描かれた富士山の撮影地として知られ、 湖越しに望む富士山は、凛とした美しさを湛えている。
湖畔では、かつて大学ワンダーフォーゲル部の合同ワンデルングが行われ、私が参加した思い出の場所でもある。 テント生活や仲間との語らいは、 本栖湖の静けさとともに心に刻まれている。
本栖湖は、富士山の「雄大さ」と「深さ」を最も感じられる湖である。
| 名 称 | 本栖湖 |
| 所在地 | 山梨県富士河口湖町本栖 |
| Link | 本栖湖 | 富士五湖観光連盟 本栖湖|山梨県身延町 |
青木ヶ原
青木ヶ原【あおきがはら】は、富士山の北西に位置する広大な原生林地帯で、「青木ヶ原樹海」とも呼ばれる。一手が加わっていない原生林であると考えられている。
周辺には溶岩洞が数多くあり、大きなものには富岳風穴、鳴沢氷穴、西湖蝙蝠穴など公開されている風穴もある。
青木ヶ原の中を国道139号が走っており、途中の三湖台に登ると頂上から青木ヶ原の樹海を見渡すことができる。
| 名 称 | 青木ヶ原 |
| 所在地 | 山梨県富士河口湖町西湖 |
| 駐車場 | あり(無料) |
| Link | 青木ヶ原樹海 青木ヶ原樹海散策コース |
富士山を仰ぎながら歩くということ
富士山(標高3776 m)は、静岡県と山梨県にまたがる活火山で、日本最高峰(剣ヶ峰)の独立峰として、その優美な風貌は国内は勿論のこと、海外でも日本のシンボル的存在として広く知られている。

古より霊峰とされ、山頂部には浅間大神【あさまのおおかみ】が鎮座するとされたため、神聖視されてきた。

富士山は標高の高い独立峰であるため前方に障害となるような山やビルがなければ視界の限りはどこからでも望むことができる。
富士山を仰ぎながら歩く旅は、 ただ景色を眺めるだけではなく、 自分自身と向き合う時間でもある。歩くほどに心が整い、大きな山の静けさが、 人生のざわめきをそっと鎮めてくれる。
富士五湖は、富士山の多様な表情を映し出す鏡のような存在であり、その日の天気や光、そして自分の心の状態によって、まったく違う姿を見せてくれる。歩く旅の豊かさが、ここには確かにある。
◆ あとがき
富士山は眺める山であって、登る山ではない──大学時代の私はそう思っていた。しかし社会人になってから、会社の同僚に誘われて二度ほど富士登山に挑戦したことがある。 どちらも台風の影響で雨中の登山となり、御来光を見ることは叶わなかった。 富士山の登山シーズンは台風の季節と重なるとはいえ、二度続けて荒天に見舞われると、さすがにがっかりした記憶が残っている。
三度目の登山を計画した際も、事前に台風接近が予見できたため、急遽取りやめた。私はよほど富士山に嫌われているのかもしれない── そんな冗談めいた思いが頭をよぎることもある。 登山の計画が立てやすかった大学時代に登っておかなかった“ツケ”が、 今になって回ってきたのかもしれない。
富士五湖の一つ、本栖湖では、関東の大学ワンダーフォーゲル部が合同ワンデルング(Wanderung)を行い、私も参加したことがある。湖畔でのテント生活や仲間との語らいは、今でも懐かしい思い出だ。
また、富士山麓には富岳風穴をはじめとする風穴(溶岩洞)が点在しており、 幼い娘たちを連れて風穴めぐりをした記憶もよみがえる。ひんやりとした洞内の空気に驚く娘たちの表情が、今でも目に浮かぶ。
富士サファリパークでは家族で大いに盛り上がり、富士山麓のクマ牧場も娘たちには思いのほか好評だった。 富士山の周辺には、家族の思い出が静かに積み重なっている。
富士山を仰ぎながら歩く時間は、ただ景色を眺めるだけの旅ではない。 大きな山の静けさに包まれると、心の中のざわめきがゆっくりと沈み、 歩くほどに自分自身が整っていくのを感じる。人生の後半に差し掛かった今だからこそ、 富士山の姿はより深く、より優しく響いてくるのかもしれない。
最近は、この国立公園内の富士山エリアを訪れる機会が減ってしまったが、今回の旅を機に、まだ歩いたことのない場所にも足を運んでみたいと思う。次にこの道を歩くとき、また違う表情の富士山に出会えることを楽しみにしている。