| <目次> はじめに ふるさと芭蕉の森公園 公園内に設置された芭蕉句碑 雲とへだつ友かや雁の生きわかれ 野ざらしを心に風のしむ身かな 古池や蛙とびこむ水の音 旅人と我名よばれん初しぐれ 俤や姨ひとり泣く月の友 行春や鳥啼魚の目は泪 閑さや岩にしみ入る蝉の聲 此秋は何で年よる雲に鳥 行秋や手をひろげたる栗のいが 旅に病んで夢は枯野をかけ廻る あとがき |
◆ はじめに
紀行文『おくのほそ道』で知られる松尾芭蕉は、日本史上最高の俳諧師と称されることの多い人物である。寛永21年(1644年)、芭蕉は伊賀国阿拝郡(現在の三重県伊賀市)に生まれたと伝えられている。そのため伊賀市は芭蕉のふるさととして広く知られ、上野公園(伊賀上野城)には芭蕉翁記念館や俳聖殿など、芭蕉を顕彰する施設が点在している。
また、『おくのほそ道』の旅を終えた結びの地・岐阜県大垣市には、芭蕉が同書で詠んだ句碑が並ぶ「ミニ奥の細道」が整備されているが、芭蕉の生まれ故郷である伊賀市にも、多くの句碑が建立されている。
晩秋の風がそっと木々を揺らす頃、伊賀の里にある「ふるさと芭蕉の森公園」は、静けさと詩情に満ちた表情を見せる。ここは、俳聖・松尾芭蕉の足跡を身近に感じられる場所でもある。
紅葉が舞い落ちる森の小径で、芭蕉翁の句碑に寄り添いながら、言葉では言い尽くせない余韻を味わってみてはいかがだろうか。
ふるさと芭蕉の森公園
ふるさと芭蕉の森公園は、松尾芭蕉の生まれ故郷である伊賀市の市街を一望できる、景観に恵まれた山腹に位置し、市民の憩いの場として親しまれている。園内には展望台のほか、小さな子ども連れの家族が楽しめる遊具広場も整備されている。

(芭蕉翁の名に因んで芭蕉(バショウ)が植栽されているのが愉快である)
公園には散策用の遊歩道が巡らされ、カエデをはじめ四季を彩る樹木や草花が植栽されている。その遊歩道沿いには、芭蕉の句を刻んだ10基の句碑が点在し、訪れる人々に俳句の世界をそっと語りかけてくれる。まさに、芭蕉の精神を今に伝える静かな公園である。

木々に囲まれた遊歩道は季節ごとに表情を変え、特に晩秋には赤や黄色に染まった葉が風に舞い、森全体が詩情あふれる空間へと変わる。

訪れるのに最も適した時期は、11月下旬から12月初旬頃。ゆっくり歩いても所要時間はおよそ30〜45分ほどで、句碑を眺めながらひと息つく時間は、まるで芭蕉と静かに対話しているかのような心地よさがある。

展望台からは伊賀上野城をはじめ、伊賀市街を一望できる。気象条件が整えば、朝霧の中に浮かぶ天守の姿を目にすることもある。

ふるさと芭蕉の森公園へ向かう際は、下記の住所を車載ナビに設定すれば迷うことはない。
| 名 称 | ふるさと芭蕉の森公園 |
| 所在地 | 三重県伊賀市長田2384 |
| アクセス | 名阪国道・大内ICから約10分程度 |
| 駐車場 | あり(無料)常住寺の近く |
| Link | ふるさと芭蕉の森公園 |
もし、車載ナビで上手く場所が特定できない場合は、駐車場のすぐ隣に位置する常住寺の住所を設定しても良い。
| 名 称 | 常住寺 |
| 所在地 | 三重県伊賀市長田2378 |
公園内に設置された芭蕉句碑
公園の遊歩道沿いには、松尾芭蕉の句を刻んだ句碑が10基設置されている。今回この公園を訪れた目的は、紅葉が見頃を迎えた森を歩きながら、それらの句碑を一つひとつ眺めることだった。いずれも芭蕉翁の代表的な俳諧(俳句)ばかりで、在りし日の芭蕉の姿を思い浮かべながら散策を楽しむことができる。

遊歩道を歩いていると、ふと目に留まる石碑に刻まれた一句。句碑の前に立つと、森の静寂そのものが俳句になったかのような感覚に包まれる。足元には落ち葉の絨毯が広がり、自然とことばが溶け合う瞬間が訪れる。
なお、句碑に刻まれた俳句の句意については、公園内の案内板に記された内容を基本としている。

(遊具広場前にある芭蕉翁の句碑)
雲とへだつ友かや雁の生きわかれ
句意:北国の空に去りゆくあの雁たちは雲のように遠く隔たって行き別れになってしまう友なのか。だが仮の生き別れだ。また会える日もあろう。

寛文12年(1672年)春の作とされる。俳諧師を志して江戸に下る際の留別の句であると伝わる。季語は「帰雁」。

(俳句の庭にある芭蕉翁の句碑)
野ざらしを心に風のしむ身かな
句意:旅の途中で行き倒れて野晒しの白骨となる覚悟で、いざ出立しようとすると、ただでさえ肌寒く物悲し秋風がいっそう深くわが身にしみてくる。

貞亨元年(1684年)秋の作とされる。『甲子吟行(野ざらし紀行)』の旅への出立の際に詠んだ句であり、旅の不安からくる悲壮感がよく表現された句とされる。季語は「身にしむ」

(俳句の庭にある芭蕉翁の句碑)
古池や蛙とびこむ水の音
句意:春日遅々たる春の昼下がりで、水の淀んだ古池は森閑と静まり返っている。そう思った瞬間、ポチャッと蛙が飛びこんだ水音がして、そのあとは再び元の静寂のままである。

貞享3年(1686年)春の作とされる。この古池は江戸深川の芭蕉庵の傍にあったものでないかと解されている。いずれにせよ芭蕉翁の代表作であるこの句は、芭蕉が推進する蕉風と呼ばれる俳諧の作風の展開の句として、閑寂幽玄の句風を打ちたてる基になったとされている。季語は「蛙」。誰ものがよく知っている芭蕉の代表句であり、私も学校の教科書で学び、覚えやすい句であると思う。

(俳句の庭にある芭蕉翁の句碑)
旅人と我名よばれん初しぐれ
句意:潔い初時雨にぬれながら、道々で「もうし旅のお人よ」と呼ばれる身に早くなりたいものだ。

貞亨4年(1687年)冬の作とされる。『笈の小文』の旅への歓送の句会で詠まれた句である。季語は「初しぐれ」。

(展望広場にある芭蕉翁の句碑)
俤や姨ひとり泣く月の友
句意:姨捨山の月を眺めていると、月夜に捨てられてひとり泣き暮したという老婆の俤【おもかげ】が浮かんでくる。しかし、今宵はその老婆の俤(面影)を偲んで月を友としてみよう。

貞享5年(1688年)秋の作とされる。中秋の名月の夜、更科で詠まれた句であると言われている。季語は「月」。

(展望広場にある芭蕉翁の句碑)
行春や鳥啼魚の目は泪
句意:今まさに過ぎ去ろうとする春に別れを惜しむかのように、鳥は啼き、魚は目に涙を湛えている。

元禄2年(1689年)春の作とされる。『おくのほそ道』への旅立ちに際して、見送りの人々への留別の句であるとされる。季語は「行く春」。

(ふるさと芭蕉の森公園・展望広場の芭蕉句碑)
閑さや岩にしみ入る蝉の聲
句意:全山静寂の中で、苔むした岩に滲み透るような細く澄んだ蝉の声が、いっそう静寂感を深める。

元禄2年(1689)夏の作とされる。『おくのほそ道』の旅中、宝珠山の山腹に位置する天台宗の立石寺を昼過ぎに訪れた際に詠んだ句とされる。季語は「蝉」。芭蕉翁の代表作の一つとして、私も好きな句である。

(展望広場にある芭蕉翁の句碑)
此秋は何で年よる雲に鳥
句意:思えば多年、漂泊の旅を重ねてきたが、この秋はなんでこうも深く老いの衰えを感ずるのか。孤独な思いでふり仰ぐと、遠くはるかな雲間に消えてゆく鳥の姿が、たまらなく寂しい。

元禄7年(1694年)秋の作とされる。年齢を重ねると自ずと体力も衰えてくるものである。気力があっても体力が追い付いてこないということはシニアになる確かにある。私自身もシニアになり、芭蕉のこの句が沁みるようになった。季語は「秋」。

(ふるさと芭蕉の森公園・観察の園の芭蕉句碑)
行秋や手をひろげたる栗のいが
句意:晩秋の山道には栗の毬が大きく割れたまま梢に残っている。それはまるで去り行く秋を惜しみ、手のひらをいっぱいに広げて秋を押し戻そうとでもするかのようだ。

元禄7年(1694)秋の作とされる。伊賀の地で詠まれた句とされている。季語は「行秋」と「毬栗」。

(ふるさと芭蕉の森公園・俳句の森の芭蕉句碑)
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
句意:旅先で死の床に臥しながらも、見る夢はあの野この野と知らぬ枯野を駆け廻る夢ばかりだ。

元禄七年(1694年)冬の作とされる。芭蕉翁が病床中に詠んだ句とされる。季語は「枯野」。芭蕉翁が死の床でも元気に旅をしていた頃を想い出して詠んだ句であるかと思うと切なくて自然に目頭が熱くなるのを禁じ得ない。
◆ あとがき
久しく俳句に触れる機会がなかったが、芭蕉翁の俳諧に向き合ったことで、改めて俳句の魅力を思い出すことができた。ふるさと芭蕉の森公園には10基の句碑があり、いずれも芭蕉の代表作と呼べるほどよく知られた句ばかりである。そんな句碑に感じ入りながら、紅葉に染まる遊歩道をゆっくりと歩く時間は、まさに贅沢なひとときだった。

季節が変われば、きっと句の響き方も違ってくるだろう。次は秋以外の季節にも訪れ、芭蕉が詠んださまざまな季語の世界に触れてみたいと思う。
ふるさと芭蕉の森公園は、ただ紅葉が美しいだけではなく、自然とことばが静かに響き合う場所である。句碑に刻まれた一文字一文字が、晩秋の風景とともに心に染み渡っていく。
日々の喧騒から少し離れ、芭蕉の世界に身をゆだねる森の散歩は、心をそっと癒してくれる。あなたも、秋色の詩に包まれるひとときを過ごしてみてはいかがだろう。
なお、公園の近くには射手神社もある。時間にゆとりがあれば、ぜひ参拝してみてほしい。
