◆ はじめに
琵琶湖の北部に浮かぶ竹生島は、古くから「神の住む島」と呼ばれてきた。 湖上にぽつりと佇むその姿は、遠くから眺めるだけでも神秘的で、 近づくにつれて島全体が静かな気配をまとっているのが分かる。
今回の旅では、琵琶湖国定公園の雄大な景観を巡ったあと、 その締めくくりとして竹生島を訪れた。船で湖を渡る時間は、日常から少し離れ、 心をゆっくりと整えるための「静かな移行」のように感じられた。
竹生島に上陸すると、そこには弁才天を祀る聖地・厳金山 宝厳寺があり、 島の霊性を象徴するような風景が広がっていた。 湖に浮かぶ島を歩くという体験は、 旅の中でも特に印象深いひとときとなった。
湖に浮かぶ竹生島への船旅
竹生島へは、今津港や長浜港から船で向かう。 湖上を進む船の上では、風が心地よく頬を撫で、 遠くに見える島影が少しずつ大きくなっていく。
船旅はわずか数十分だが、 その短い時間が「聖地へ向かう心の準備」のように感じられる。 湖面は穏やかで、周囲の山々が水面に映り込み、 静かな風景が旅人を迎えてくれる。
島の入口に漂う「聖地の気配」
竹生島に上陸すると、まず目に入るのは石段と鳥居である。島の入口からすでに「ここは特別な場所だ」という気配が漂い、歩き始めると、周囲の空気が少しひんやりと感じられるほどだ。
島全体が信仰の対象であり、 自然と人の祈りが長い年月をかけて重なり合ってきたことが伝わってくる。 観光地としての賑わいがありながらも、 どこか静かな緊張感が保たれているのが竹生島の魅力である。宝厳寺は、竹生島の霊性を象徴する存在であり、 島を訪れる人の心を自然と内側へ向けてくれる。
厳金山 宝厳寺の歴史と信仰
竹生島の中心にある厳金山 宝厳寺【がんこんさん ほうごんじ】は、 奈良時代に行基によって開かれたと伝えられる古刹である。現在は、真言宗豊山派の寺院となっている。
宝厳寺は、724年に聖武天皇の勅願により、行基が開創したと伝えられている。伝承によれば、天照皇大神が聖武天皇の夢枕に立ち、「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。さすれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう」と告げたという。そこで、聖武天皇は行基に命じて、堂塔を開基させたのが宝厳寺の創建とされている。行基は、弁才天像(大弁才天)を御本尊として本堂に安置したという。
それ以来、天皇の宝厳寺への行幸が続いたという。また伝教大師最澄や弘法大師空海らも訪れ、修業したと伝えられている。
現代においても竹生島は弁才天信仰の聖地として知られ、日本三大弁天の一つに数えられている。
本堂へ続く石段は急だが、 登るたびに視界が開け、湖と島の風景が少しずつ広がっていく。
本堂には大弁才天が祀られ、 芸能・財運・知恵の守護神として多くの人が参拝に訪れる。 堂内は薄暗く、静けさが満ちており、 祈りの空間としての重みが感じられる。
宝厳寺は、豊臣秀吉との関係も強く、多く宝物が寄贈され、多くの書状も残されているという。1602年には、太閤秀吉の遺命により豊臣秀頼が豊国廟から観音堂や唐門などを移築させたという。
その観音堂には、千手千眼観世音菩薩像が安置されている。御本尊として千手観世音菩薩を祀る観音堂は、西国三十三所の第30番札所として知られている。
宝厳寺には多くの重要な建築物がある。特に、唐門(国宝)、観音堂(重要文化財)や舟廊下(重要文化財)が見どころである。

宝厳寺では、年間を通じて様々な行事が行われているが、特に有名なのは、毎年春と秋に行われる「蓮華会」や「天女ご縁日」である。
| 名 称 | 厳金山 宝厳寺【竹生島宝厳寺】 |
| 御本尊 | 千手観音菩薩 |
| 所在地 | 滋賀県長浜市早崎町 |
| TEL | 0749-72-5255 |
| Link | 竹生島・宝厳寺 ~西国第三十番札所~ |
都久夫須麻神社と弁才天の祈り
宝厳寺の参拝を終えたら、都久夫須麻神社(竹生島神社)へと向かう。都久夫須麻神社と宝厳寺は、どちらも竹生島にある別の宗教施設(神社と寺院)である。 もともとは神道と仏教が融合した「神仏習合」のひとつの聖地であったが、明治時代の神仏分離令によって神社(都久夫須麻神社)と寺院(宝厳寺)に分かれたという。
ここは日本三弁才天のひとつとして知られ、 古くから湖上の守り神として信仰されてきた。弁才天を祀るこの神社は、 宝厳寺とともに竹生島の信仰の中心であり、 訪れる人は自然と手を合わせてしまうほどの静けさがある。

竹生島の絶景
──「竜神拝所」と湖上の風景
都久夫須麻神社の奥へ進むと、 湖へ突き出すように設けられた「竜神拝所」がある。ここから眺める琵琶湖の風景は圧巻で、 湖面が光を受けてきらめき、 遠くの山々が静かに連なっている。
竜神拝所は、竹生島でも特に人気のある場所であり、 湖と空がひとつにつながるような景色が広がる。 風が吹くと、湖面が揺れ、 その音が祈りの空間をさらに深めてくれる。

島を歩くという体験
竹生島は小さな島だが、歩くたびに風景が変わり、信仰と自然が重なり合う独特の空気が漂う。石段を登り、堂を巡り、湖を眺める── その一つひとつの動作が、旅人の心を静かに整えていく。観光地としての賑わいがありながらも、島の中心には変わらない静けさがあり、歩くことでその静けさを深く味わうことができる。
● ルートに沿った境内見どころ案内
- 竹生島港(船着場)
- 船を下りるとすぐに「拝観受付(入島料の支払い)」がある
- 最初の鳥居(分岐点)
- 正面には宝厳寺へ続く165段の急な石段(祈りの階段)がある
- この石段を登ってまず宝厳寺の「本堂(弁才天堂)」へ参拝
- 「三重塔」、「雨宝堂」や「宝物殿」などを巡る
- 西国三十三所の第30番札所である「観音堂」に参拝
- 上から神社側へ下りていくルートが一般的である
- 舟廊下(重要文化財) 【宝厳寺から神社への架け橋】
- 宝厳寺の「観音堂」と都久夫須麻神社の「本殿」を結ぶ、約30メートルの屋根付きの渡り廊下である
- 豊臣秀吉の御座船「日本丸」の船櫓【ふなやぐら】の部材を使って建てられたため、中を歩くと船底のような構造を見ることができる
- ここを渡ると自動的に神社の境内に入る
- 都久夫須麻神社 本殿(国宝)
- 舟廊下を抜けた正面に鎮座する
- 伏見城の遺構を移築したとされる桃山文化のきらびやかな建築である
- 竜神拝所(かわらけ投げ)
- 本殿のすぐ目の前、琵琶湖に突き出た断崖にある
- ここから湖面に立つ鳥居に向かって、願い事を書いたかわらけ(土器の小皿)を投げる
- 下り階段(神社専用参道)
- 竜神拝所のすぐ横から港へと下りる階段があり、そのまま船着場に戻ることができる
参拝の所要時間は約70分〜80分あれば、神社とお寺の両方をじっくり一周して船の出発時間に間に合う。島内は階段が非常に多いため、歩きやすい靴での訪問が必須である。
弁才天について
弁才天は、本来、神道ではなく仏教の守護神であ天部【てんぶ】の一尊である。天部とは、天界に住む神々やその眷属の総称で、天人・天衆とも呼ばれる。インド古来の神々が仏教に取り入れられ、仏法を守護する善神となった存在であり、弁才天もその一柱である。七福神の中で唯一の女神として知られ、芸能・財運・知恵の神として広く信仰されてきた。
やがて日本では神仏習合によって神道にも取り込まれ、神道では市杵嶋姫命【いちきしまひめ】と同一視されるようになった。市杵嶋姫命は、天照大神と須佐之男命が天眞名井で行った誓約【うけひ】の際、アマテラスがスサノオの剣を噛み砕き、吹き出した霧から生まれた宗像三女神の一柱である。『古事記』では市寸島比売命、『日本書紀』では市杵嶋姫命と表記される。
市杵嶋姫命は絶世の美女として伝えられ、 商売繁盛・芸能・金運・勝負・豊漁・交通安全・五穀豊穣・海上安全など、 多岐にわたるご利益を持つとされる。芸能の神としても信仰され、芸能人が参拝する神社としては奈良県の天河大弁財天社が特に有名である。
また、市杵嶋姫命を主祭神とする市杵島神社では、次のような伝承が伝えられているという。 「市杵島姫命は、天照大御神の孫である邇邇芸命(ニニギ)が天孫降臨する際、養育係として付き添い、邇邇芸命を立派に育て上げた。そのため、子守の神・子供の守護神として崇敬されている。」
この伝承は、弁才天(市杵嶋姫命)が持つ母性的な守護の側面を示しており、芸能・財運の神としての華やかなイメージとは異なる、静かで深い信仰の広がりを感じさせる。
◆ あとがき
琵琶湖国定公園の旅は、湖・山・里を巡る壮大なものだ。その旅の最後に竹生島を訪れると、自然と信仰がひとつにつながっていることを感じられる。竹生島の祈りの風景を歩くと、 旅の余韻がやわらかく整えられていく。竹生島は、琵琶湖の旅を締めくくるのにふさわしい、 静かな聖地である。
湖に浮かぶ竹生島を歩いていると、 自然と信仰が長い年月をかけて重なり合ってきたことが、 風景の中から静かに伝わってくる。宝厳寺の祈りの空間、 都久夫須麻神社の朱色の社殿、 竜神拝所から眺める湖上の絶景── どれも心に深く残る風景だった。
琵琶湖国定公園の旅の最後にこの島を訪れたことで、 旅の流れがひとつにまとまり、 静かな余韻がそっと心に残った。また季節を変えて訪れれば、 竹生島は違った表情で迎えてくれるだろう。