◆ はじめに
比叡山の麓、坂本の町に静かに佇む日吉大社は、 古くから「方除けの神」として人々の暮らしを守ってきました。 境内に足を踏み入れると、杉木立の間を抜ける風がやわらかく、 長い年月を経た社殿の佇まいが、どこか懐かしい気配を漂わせています。
今日は、この比叡の麓に息づく古社をゆっくりと歩きながら、 山王の神が守ってきた祈りの時間に触れてみたいと思います。
日吉大社とは
──山王信仰の中心
日吉大社【ひよしたいしゃ】は、滋賀県大津市坂本に鎮座し、全国に約3,800社あるとされる日吉・日枝・山王神社の総本宮です。東本宮と西本宮を中心とする40万m2という広大な境内は国の史跡にも指定されています。
日吉大社の歴史は、約2,100年前まで遡り、崇神天皇7年に創祀されたと伝えられています。
日吉大社は、平安京遷都の際に都の表鬼門(北東)を守るために重要な役割を果たしました。また、伝教大師が比叡山に延暦寺を開いた以降は、天台宗の護法神として多くの人々から崇敬を受けてきたという歴史があります。
日吉大社は、かつては日吉社【ひえしゃ】と呼ばれていた神社で、通称として山王権現とも呼ばれます。

日吉大社は、2社の本宮(東本宮と西本宮)と5社の摂社(牛尾宮・樹下宮・三宮宮・宇佐宮・白山宮)から成ることから、日吉七社あるいは山王七社とも呼ばれます。
それぞれの宮で祀られている御祭神は、下記のようになります。日本の神様には別名が多いので理解が追い付かないことも多いです。
- 西本宮
- 大己貴神【おおなむちのかみ】
- 大国主命【おおくにぬしのみこと】の別名
- 出雲大社の主祭神(大国主大神)
- 国つくりを行った神として日本神話に登場
- 東本宮
- 大山咋神【おおやまくいのかみ】
- 比叡山や松尾山の地主神
- 農業や醸造の神としても知られる
- 大国主命(大己貴神・大国主大神)の子の一人
- 牛尾宮
- 大山咋神荒魂【おおやまくいのかみのあらみたま】
- 荒魂は、神の霊魂が持つ2つの側面の一つ
- 荒魂は、神の荒々しい側面、荒ぶる魂を指す
- 荒魂は、勇猛果敢や孤軍奮闘などの優れた働きを表す
- 荒魂は、新しい事象や物体を生み出すエネルギーを内包
- 荒魂は、神道の信仰において重要な役割を果たす
- 宇佐宮
- 田心姫神【たごりひめのかみ】
- 日本神話に登場する女神で、宗像三女神の一柱
- 天照大御神と須佐之男命の「誓約」によって生まれた神
- 海の神、道の神として信仰される
- 白山宮
- 菊理姫神【くくりひめのかみ】
- 日本神話にも登場する「縁結びの神」
- イザナギとイザナミが黄泉の国で口論している際に現れ、二神の仲裁をしたとされる女神
- 全国に約3,000社ある白山神社で祀られている
- 白山比咩神社(石川県白山市)は白山神社の総本社
- 樹下宮
- 三宮宮
- 鴨玉依姫神荒魂【かもたまよりひめのかみのあらみたま】
日吉大社の境内には約40のお社があり、その中心となるのが東西本宮をはじめとする山王七社である。日吉大社は、約2100年の歴史を持つ神社であるため、その間にはいろいろな変化を受け入れてきたのでしょう。特に、平安時代から延暦寺と深い関係を持ち、神仏習合の影響を受けてきたため、さまざまな神々が祀られるようになり、現在のような多様な信仰の形が形成されたと考えられています。
日吉大社は、その歴史と信仰の多様性から、多くの神々を祀ることで、さまざまなご利益を提供しているとも考えられています。
| 名 称 | 日吉大社 |
| 所在地 | 滋賀県大津市坂本5-1-1 |
| TEL | 077-578-0009 |
| 参拝時間 | 9:00 – 16:30 |
| 駐車場 | あり(有料) |
| Link | 日吉大社 | 平安京の表鬼門鎮座 方除・厄除の大社 |
東本宮・西本宮を歩く
──静けさの中の祈り
境内には東本宮・西本宮をはじめ多くの社殿が点在し、杉木立の間を抜ける風がやわらかく、歩くほどに静けさが深まっていきます。東本宮の御祭神は大山咋神【おおやまくいのかみ】、西本宮の御祭神は大己貴神【おおなむちのかみ】。どちらも土地を守る神として古くから崇敬され、その佇まいには、比叡の山気と古社の気配が静かに息づいています。

古事記には「大山咋神【おおやまくいのかみ】、亦の名を山末之大主神。此の神は近淡海国の日枝の山に坐し」と記されています。これは、日吉社・東本宮の御祭神である大山咋神について記したものです。なお、日枝の山【ひえのやま】とは比叡山のことです。

東本宮は、比叡山の地主神である大山咋神を祀るために崇神天皇7年に日枝の山(比叡山)の山頂から現在の地に移されました。

東本宮は、大山咋神を祀る日吉大社の中心的な社殿です。拝殿は比叡の山気を受けて静かに佇み、杉木立の中に溶け込むような落ち着いた雰囲気があります。その奥に建つ本殿は、日吉造【ひえづくり】と呼ばれる独特の建築様式で、屋根の反りや柱の配置に古社らしい気品が漂います。長い年月を経ても変わらない佇まいが、この地で守られてきた祈りの深さをそっと伝えてくれます。

東本宮境内の各社は「大山咋神の家族および生活を導く神々」と説明されています。例えば「樹下神社」の御祭神は、大山咋神の妃神・鴨玉依姫神【かもたまよりひめのかみ】です。

西本宮の御祭神は大己貴神【おおなむちのかみ】です。近江大津宮(大津京)遷都の翌年にあたる668年に、大津京鎮護のために大神神社【おおみわじんじゃ】の主祭神である大物主神【おおものぬしのかみ】を大己貴神として勧請(分霊)し、新たに西本宮を建てて祀ったのがはじまりです。これは大己貴神の別名である大国主神【おおくにぬしのかみ】の和魂【にきたま】が大物主神であるとされ、両神が同じ神とみなされたためです。

西本宮が創建されて以降、東本宮・大山咋神よりも、西本宮・大己貴神の方が上位とみなされるようになり、「大宮」と呼ばれるようになったといいます。

794年の平安京遷都により、日吉社は京の鬼門(北東の方角)に位置することから、鬼門除け・災難除けの神社として国から崇敬されるようになりました。

また、788年に最澄が比叡山上に比叡山寺(後の延暦寺)一乗止観院(後の根本中堂)を建立し、比叡山の地主神を祀る日吉社を守護神として崇敬して以来、延暦寺の勢力が増すにつれて日吉社と神仏習合する動きが出てきました。

日吉社の御祭神は山王権現【さんのうごんげん】と呼ばれるようになり、延暦寺では山王権現に対する信仰と天台宗の教えを結びつけて山王神道【さんのうしんとう】を説いていくようになります。
このように日吉社は延暦寺と一体化していき、日吉社の参道沿いには延暦寺の里坊が立ち並ぶようになりました。天台宗が全国に広がる過程で、日吉社の山王信仰も広まって全国に日吉社が勧請・創建されました。

室町時代には山王神道が益々盛んとになり、境内に108社、境外にも108社もの摂社・末社が建ち並ぶなど隆盛を誇ったと伝えられています。

しかし、1571年に織田信長の比叡山焼き討ちによって日吉社も焼かれて全社殿は灰燼に帰しました。現在の建造物は安土桃山時代以降、1586年から1597年にかけて再建されたものです。信長の死後、豊臣秀吉と徳川家康が山王信仰に篤ったためであるとされます。

日吉社は、1681年頃に神仏習合や山王神道(山王一実神道)を改めようと延暦寺と争いになりますが、論争に敗れ、延暦寺から山王神道を守るように厳命され、それに従いました。しかし、明治元年(1868年)、神仏分離令が出ると率先して仏教色を一掃し、延暦寺から独立して社名を日吉大社に変えたという経緯があります。
方除けの神社として
日吉大社は「方除けの神社」として知られ、方角や方位による災いを除けるご利益があると信じられています。
方除け【かたよけ】は、厄除け【やくよけ】とは異なります。 方除けは、凶方位に向かって何か物事をなすとき、凶の作用を防ぐためのお祓いのことです。 この方除けのお祓いは、日本で独自に発展した九星気学という占いを基に、陰陽道、中国思想などが複雑に組み合わさっています。
九星気学には9つの星(実在の星ではない)があり、日時によって9つの星の配置が変わりますが、そのとき自分の星(=本命星)にとっての凶方位や吉方位が変化します。誤って自分の星にとっての凶方位に進むと、災いが起こると考えられていました。そこで方除けをすることで、災いを防ぐことができると考えました。
方除けは、元々は陰陽道や古来からの民間信仰の色彩が強いものであり、特殊なものと言えます。神社や寺院ならどこでも扱っているというものではありません。日吉大社ならではのオリジナリティがここにあると言ってよいでしょう。
ちなみに、厄除けとは、息災(災い)を取り除くことであり、いろんな障害を取り除き、各人のその年の運気が下がることにより起こるであろう精神的な不調和(バランスのくずれ)を改善するためのお祓い(お祈り)を指します。厄除けの方法は、それぞれの神社や寺院によって多少は異なっていますが、目的は一つであり、神職や住職が在住する神社や寺院ではわりと一般的に行なわれているものです。
神使の神猿
日吉大社の社殿の随所には神猿【まさる】が祀られています。「魔が去る」「勝る」に通じる縁起の良い神使で、その素朴な姿が境内の雰囲気をやわらかくしてくれます。
西本宮の楼門屋根下の四隅には猿の彫刻が施されています。棟持猿【むなもちざる】といい、屋根を支え、見張りもしていると言います。四隅の猿はそれぞれ違うポーズをしています。




また、東本宮参道沿いには猿の顔に見えるという猿岩があります。

境内の一角に神猿舎があり、ニホンザル2匹が飼育されています。

坂本の町並みと日吉大社
──比叡の麓に残る静けさ
比叡山の麓に広がる坂本の町は、古くから延暦寺の門前町として栄えてきました。その中心に鎮座する日吉大社は、全国の日吉・日枝・山王神社の総本宮であり、山王信仰の中心として長い歴史を歩んできました。
参道を抜けて坂本の町並みに出ると、石垣と古い家並みが続き、
比叡山の歴史とともに歩んできた町の静けさが感じられます。この町をゆっくり歩く時間もまた、日吉大社の旅の一部と言えるでしょう。
◆ あとがき
日吉大社は、比叡の麓に静かに息づく古社です。 方除けの祈りは今も変わらず続き、 境内を歩くほどに、心の奥にやわらかな安心感が広がっていきます。
日吉大社の御神木で、特に有名なのは、西本宮にあるカツラ(桂)の巨樹です。この御神木は愛染桂【あいぜんかつら】とも呼ばれ、縁結びの御神木として信仰を集めています。伝説によれば、大己貴命(=大国主大神;出雲大社の主祭神)が奈良の大神神社からここに来た際に携えていた桂の御杖を地面に挿しておいたところ、このような桂の巨樹になったと伝わっています。
日吉大社の広い境内には約3,000本のモミジが植栽されているので、秋には美しい紅葉が楽しめるはずです。一度、秋の紅葉の季節に参拝したいものです。
賑わいの観光地とは異なる、「守られる静けさ」を感じられる場所── それが日吉大社の魅力だと、歩きながらしみじみ思いました。この古社で過ごしたひとときは、 成熟した旅の記憶として、静かに胸の中に残り続けるでしょう。