はじめに
善峯寺【よしみねでら】は、京都市西京区に位置する善峯観音宗の天台系単立の寺院で、山号を西山【にしやま】と称する。御本尊は十一面千手観世音菩薩である。西国三十三所観音霊場の第二十番札所でもある。
善峯寺は、1029年に恵心僧都・源信の弟子である源算上人が自作の千手観音を本尊として小堂に安置したことが始まりとされ、1034年に後一条天皇から「善峯寺」の寺号を賜ったという。

平安時代から鎌倉時代にかけて、善峯寺は多くの信仰を集め、全盛期には山全体に52もの堂宇を持つ大伽藍を誇っていたという。しかし、応仁の乱(1467~1477)で多くの建物が焼失し、衰退した。しかしながら、江戸時代に再興され、現在のような美しい境内が整備されたという。
善峯寺の境内には樹齢約600年の五葉松「遊龍の松」が生育している。この松は、横に37mも伸びている姿が特徴的で、訪れる私たちを魅了する。
善峯寺
善峯寺の楼門(山門)は、1716年に建立された三間一戸の楼門形式のお堂である。楼門の下には、源頼朝の寄進とされる運慶作の金剛力士像が安置されている。楼上にはかつて文殊菩薩と脇侍二天が安置されていたが、今は宝物館に所蔵されているらしい。この楼門は、善峯寺の歴史と美しさを象徴する建物の一つと言えるかも知れない。

観音堂(本堂)は、1692年に桂昌院の寄進により再建された入母屋造のお堂で、御本尊は十一面千手観世音菩薩である。

多宝塔は、1621年に建立され、国の重要文化財に指定されていいる。御本尊として愛染明王が祀られている。
阿弥陀堂は、1673年に建立され、常行堂とも呼ばれている。
鐘楼は、1686年に桂昌院により建立され、徳川綱吉公の厄年に寄進されたことから「厄除けの鐘」と呼ばれている。
護摩堂は、1692年に桂昌院により建立され、御本尊として五大明王が祀られている。
経堂は、1705年に建立され、鉄眼版一切経が納められているという。
釈迦堂は、1885年に建立され、御本尊として釈迦如来が祀られている。
遊龍の松
善峯寺は、国の天然記念物に指定されている「遊龍の松」で有名である。このマツは、推定樹齢が600年以上の五葉松(ゴヨウマツ)で、全長37mにわたって横に伸びる姿が特徴的である。

回遊式庭園
善峯寺は、アジサイ(紫陽花)の名所としても知られている。

境内の回遊式庭園では四季折々の花が楽しめるが、特に6月には紫陽花も観ることができる。

善峯寺は、歴史的な建造物や美しい自然景観が調和した場所で、訪れるたびに何か新しい発見がある素晴らしい所である。
名 称 | 西山 善峯寺 |
所在地 | 京都府京都市西京区大原野小塩町1372 |
TEL | 075-331-0020 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 京都・西山 西国第二十番札所 善峯寺 |
あとがき
善峯寺は、桂昌院【けいしょういん】にゆかりのある寺としても知られている。桂昌院は、江戸幕府3代将軍・徳川家光の側室となった女性で、5代将軍・綱吉の生母でもある。本名は光子であるが、通称で玉と呼ばれることが多い。玉の輿【たまのこし】の語源になった人物でもある。
身分階級が厳格であった時代にあって、京都の小さな八百屋の娘として生まれたにも関わらず、将軍家光の側室になった女性だからである。通常ではあり得ない出来事だと当時の人々は思っていたのだろう。玉という女性が神輿に乗って京から江戸へ嫁いでいったことから「玉の輿」という言葉が生まれたと言われている。
実際は、春日局に従い江戸に下り、徳川家に仕えていた際、徳川家光の寵を得て、1646年に綱吉を産んだようだ。1651年に家光が亡くなると、桂昌院と号したという。この時、桂昌院は25歳であったらしい。
善峯寺は、そんな桂昌院の寄進によって江戸時代に大きく発展したという。京都生まれの桂昌院は、地元の京都に対して多くの恩返しをしたという。その中の一つが善峯寺への寄進であったという。