◆ はじめに
奈良市西ノ京に佇む唐招提寺は、唐の高僧・鑑真和上が759年に創建した律宗の総本山である。
日本仏教の発展に大きな役割を果たした鑑真は、幾度もの渡航失敗や失明という苦難を乗り越え、66歳でようやく日本の地を踏んだ。その命懸けの来日は、日本に正式な授戒制度をもたらし、後の日本仏教の礎を築くこととなった。
境内には、奈良時代の姿を今に伝える金堂や講堂をはじめ、多くの国宝や重要文化財が残されている。そこには単なる古建築の美しさだけではなく、日本の仏教文化を支えた人々の祈りと志が息づいている。
本稿では、鑑真和上ゆかりの名刹・唐招提寺を訪ね、その歴史と見どころをたどってみたい。
唐招提寺の由緒
唐招提寺(とうしょうだいじ)は、律宗の総本山であり、山号を持たない。本尊は盧舎那仏である。唐の高僧鑑真和上によって創建され、鑑真が晩年を過ごした寺として広く知られている。
唐招提寺は、天平宝字3年(759)、鑑真が天武天皇第七皇子・新田部親王の旧宅地を朝廷から下賜され、戒律を学ぶための道場として開いたことに始まる。寺名は当初「唐律招提」と称された。
「招提」とは、本来、四方から集まる僧たちのための修行道場を意味する語であり、「唐律招提」とは「唐の戒律を学ぶ道場」の意味である。のちに官額を賜り、「唐招提寺」と称されるようになったと伝えられている。
鑑真は、仏教者に戒律を授ける「伝戒の師」として日本へ招かれた。8世紀前半の日本では正式な授戒制度が十分に整備されておらず、正式な僧となるための「具足戒」を授ける資格を持つ高僧も不足していた。
そこで遣唐使に随行して唐へ渡った留学僧の普照と栄叡は、日本には正式な伝戒の師がいないため、ふさわしい高僧を推薦してほしいと鑑真に願い出た。しかし弟子たちは渡航の危険を理由に誰も名乗り出なかったため、鑑真自身が渡日を決意したのである。
当時、唐からの出国は容易ではなく、しかも日本への航海は命懸けであった。鑑真は渡日を目指して五度にわたり失敗を重ね、五回目の渡航では嵐によって海南島へ漂着するという苦難に遭遇した。その帰途、同行していた栄叡や高弟祥彦を失い、自らも失明したと伝えられる。さらに困難を乗り越え、六回目の渡航でようやく来日に成功した時、鑑真はすでに66歳になっていた。
753年12月、鑑真は薩摩国に上陸し、翌754年2月に難波津へ到着した。同年4月には東大寺大仏殿前で、聖武太上天皇、光明皇太后、孝謙天皇らに菩薩戒を授け、多くの僧に具足戒を授けて、日本の正式な授戒制度確立に大きく貢献した。
鑑真は755年から東大寺唐禅院に住し、759年に現在の唐招提寺の地を与えられた。大僧都に任じられ、後に「大和上」の尊称を贈られた鑑真は、763年5月、日本の地で波乱の生涯を閉じた。享年76(数え年)であった。来日後の約10年間は短いものであったが、日本仏教の歴史に残した足跡は計り知れない。
鑑真の在世中に建立された主要建築は講堂である。現在の講堂は平城宮の東朝集殿を移築したもので、奈良時代の宮殿建築を今に伝える極めて貴重な遺構として知られる。
一方、金堂の建立は鑑真没後と考えられている。年輪年代測定の結果、781年伐採の木材が使用されていることが判明しており、8世紀末の建立であることがほぼ確実視されている。
金堂の須弥壇中央には本尊の盧舎那仏坐像、向かって右に薬師如来立像、左に千手観音立像が安置されている。盧舎那仏・薬師如来・千手観音という三尊の組み合わせは極めて珍しく、その典拠は明らかになっていない。これについては、東大寺、下野薬師寺、筑紫観世音寺の「天下三戒壇」を象徴したものではないかとの説もあり、古くから注目されている。
さらに須弥壇には、梵天立像・帝釈天立像、四隅には持国天・増長天・広目天・多聞天の四天王立像が配されている。これらの仏像群はいずれも国宝に指定されている。
現在の唐招提寺には、奈良時代建立の金堂や講堂をはじめ、多数の国宝・重要文化財が伝えられている。その価値が高く評価され、1998年には「古都奈良の文化財」の構成資産の一つとしてユネスコ世界遺産に登録された。
幾多の困難を乗り越えて来日した鑑真和上の志は、1250年以上を経た今日も唐招提寺の静かな伽藍の中に息づいている。金堂や講堂に身を置くと、戒律を重んじた鑑真の精神と天平文化の気品に触れることができるだろう。
| 名 称 | 唐招提寺 |
| 所在地 | 奈良県奈良市五条町13-46 |
| TEL | 0742-33-7900 |
| 駐車場 | あり(有料) 60分 550円(以降30分ごと110円) |
| 拝観料 | 大人1,000円 |
| 拝観時間 | 8:30〜17:00(受付は16:30まで) |
| Link | 唐招提寺 |
唐招提寺を歩く
唐から来日した高僧・鑑真和上が天平宝字3年(759)に創建した古刹、唐招提寺。最寄りの近鉄橿原線「西ノ京駅」から徒歩約10分で到着する。また、JR奈良駅・近鉄奈良駅から奈良交通バスを利用して訪れることもできる。
境内に足を踏み入れると、まず目を引くのが国宝の金堂である。金堂は、奈良時代に建立された現存唯一の寺院金堂として知られ、天平建築の優美な姿を今日に伝えている。堂内には本尊の盧舎那仏坐像をはじめ、千手観音立像や薬師如来立像など、国宝に指定された天平彫刻の傑作が安置されている。
金堂の北側に建つ講堂も国宝である。もとは平城宮の東朝集殿として造営された建物を移築・改造したもので、奈良時代の平城宮建築を伝える唯一の現存遺構として極めて高い価値を有している。
さらに境内西側には、国宝の経蔵と宝蔵が並び立つ。いずれも奈良時代を代表する校倉造の建築であり、日本最古級の校倉造建築として知られる。木組みが織りなす端正な姿は、正倉院を思わせる古代建築の美しさを今に伝えている。
境内の奥にある開山堂は、唐招提寺を開いた鑑真和上を祀るお堂である。堂内には、日本肖像彫刻の最高傑作とも評される国宝の鑑真和上坐像(乾漆像)が安置されている。通常は非公開で、参拝者は御影堂に安置された複製像を拝観するが、毎年初夏の特別公開期間には実像を拝することができる。鑑真の穏やかな表情を前にすると、幾多の苦難を乗り越えて日本に戒律を伝えた強い意志と深い慈悲が静かに伝わってくる。
金堂、講堂、経蔵・宝蔵、そして鑑真和上坐像。それぞれが1200年以上の歴史を語りかける唐招提寺は、単なる名刹ではなく、日本仏教の原点に出会える特別な場所である。静かな伽藍を歩けば、鑑真和上が命を懸けて伝えた志が、今も境内に息づいていることを実感できるだろう。
◆ あとがき
唐招提寺を歩いていると、壮麗な伽藍や優れた仏像群に目を奪われる。しかし、この寺の真の魅力は、それらの文化財の背後にある鑑真和上の揺るぎない志にあるのかもしれない。
渡航を阻む幾多の困難、失明という試練、そして異国の地での布教活動。その生涯は決して平坦なものではなかった。それでもなお人々に戒律を伝え、日本仏教の発展に尽くした鑑真の姿には、時代を超えて人の心を動かす力がある。
千二百五十年以上の歳月を経た今日も、唐招提寺の静かな境内には鑑真和上の精神が確かに息づいている。金堂や講堂を眺めながら往時に思いを馳せれば、この寺が単なる観光名所ではなく、日本文化の原点の一つであることを実感できるだろう。
奈良を訪れる機会があれば、ぜひゆっくりと境内を歩き、天平の面影と鑑真和上の志に触れてみていただきたい。静寂の中で過ごすひとときは、きっと心に深い余韻を残してくれるはずである。