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神仏混淆の信仰形態を残す「高塚愛宕地蔵尊」

はじめに

高塚愛宕地蔵尊【たかつかあたごじぞうそん】は、大分県日田市天瀬町に位置する、歴史ある地蔵尊である。神仏混淆【しんぶつこんこう】の信仰形態(祭祀形式)をそのまま残している珍しい地蔵尊として知られる。地蔵菩薩を本尊としながらも、神社のように鳥居を有し、社殿には鐘とともに鈴が下がっている。

高塚愛宕地蔵尊拝殿

高塚愛宕地蔵尊は、奈良時代の天平12年(740年)に行基によって開山されたと伝えられている。行基が聖武天皇の命を受けて筑紫の国を巡った際に、豊後の国日田郡に立ち寄り、霊地として開山したとされる。行基は、金色の光を放つ三個の玉を見つけ、その一つを宝珠として地蔵菩薩を彫り、祀ったと伝えられている。

高塚愛宕地蔵尊境内

高塚愛宕地蔵尊は、諸事祈願成就に大変ご利益があるとされ、多くの参拝者が訪れる。特に受験シーズンには合格祈願の名所としても知られている。

高塚愛宕地蔵尊境内に立ち並ぶ摂社

高塚愛宕地蔵尊は、その伝説と歴史、そして美しい自然環境で多くの参拝者や観光客を魅了している。


<目次>
はじめに
高塚愛宕地蔵尊
あとがき

高塚愛宕地蔵尊

高塚愛宕地蔵尊【たかつかあたごじぞうそん】は、神仏混淆の信仰形態を残す珍しい地蔵尊として知られる。このため、地蔵菩薩を本尊としながらも、神社のように鳥居や社殿(拝殿・神殿)を有する。拝殿には、鐘とともに鈴が下がり、境内には天照大御神の摂社もある。

高塚愛宕地蔵尊鐘堂

高塚愛宕地蔵尊は、地元では「高塚さん」の愛称で呼ばれている。元々は、乳の出をよくする地蔵として知られていたが、次第に、病気平癒、学業成就、商売繁盛などの諸願成就にご利益があるとされ、多くの参拝客を集め、現在では、年間200万人を越す参拝客があるという。

高塚愛宕地蔵尊拝殿神殿(右手奥)

境内にある御神木大イチョウは、乳のような突起がたくさんあるために「乳銀杏」と呼ばれるようになり、子宝を恵み、乳の出をよくする霊木として信仰を集めるようになったという。この霊木は、現在では推定樹齢千三百年超の巨樹に成長し、大分県の天然記念物に指定されている。

乳銀杏」と呼ばれる御神木樹齢1300年超と推定)

名 称高塚愛宕地蔵尊
所在地大分県日田市天瀬町馬原【まばる】3740
駐車場あり(無料)
Link高塚愛宕地蔵尊 | 祈願成就の参詣 (takatukasan.com)

あとがき

神仏混淆【しんぶつこんこう】とは、日本の古来からの土着の神祇信仰(神道)と大陸から入ってきた仏教信仰が融合し、一つの信仰体系として再構成された日本独自の宗教現象(信仰形態)を指す用語である。

神仏混淆は、日本の宗教文化に大きな影響を与え、独自の信仰体系を形成した。私は、この神仏混淆あるいは神仏習合の考えが日本人らしく好きである。つまり、一見異質と思われるものでも一度は受け入れようとする寛容な心が存在すると信じるからである。今日的に言えば、ダイバーシティ(多様性)に対する寛容性に近い考え方であると私は思う。

神仏混淆の歴史と特徴について、要点を下記にまとめてみた。

  • 仏教の伝来
    • 仏教は、6世紀に朝鮮半島の百済を経て日本に伝来した
    • 仏教を蕃神【となりのくにのかみ】として受け入れる
    • 仏教は、日本古来の神と同質の存在と認識された
  • 神仏同体説
    • 仏教が日本に伝来した初期の頃から既に存在した考え方
    • 神道の神々と仏教の仏が同一の存在であるとする思想
    • 日本固有の神と仏教の仏菩薩を同一視した
    • そのため、両者を同じ場所で祀る信仰形式も許容される
  • 神宮寺の建立
    • 奈良時代に、神社の境内に寺院(神宮寺)を建立することが広まった
    • 神宮寺では、神前で仏教の儀式を行う形式は当然で、神前での読経や仏像の奉納が行われるようになった
    • これにより、神と仏が一体となった信仰形式が広まった
  • 本地垂迹説
    • 平安時代に入ると「本地垂迹説」が台頭した
    • 仏や菩薩が神の姿をとって現れるとする説
    • 神仏混淆(神仏習合)の理論的基盤となった
    • この考えにより、仏教と神道の関係がさらに緊密化した
  • 神仏分離
    • 明治維新後の「神仏判然令」により、神仏分離が行われた
    • この「馬鹿げた」神仏分離政策により、神道と仏教は明確に区別されるようになり、今日に至る

明治新政府の馬鹿げた神仏分離政策がなければ、現代においても日本独自の神仏混淆の信仰形態は継続され、さらに発展していたかも知れないと思うと、非常に残念でならない。

行き過ぎた神仏分離政策は、廃仏毀釈というとんでもない事態をも引き起こしている。これによりどれほどの寺院が廃寺となり、どれほど多くの貴重な仏像や経典を消失してしまったことか。これほどの失政にもかかわらず誰も責任をとっていないことが驚きである。失政だとの認識が欠落している証左であり、残念だ。

幸いなことに、神仏混淆の影響は、現在も少なからず残っており、一部の神社や寺院でその名残を見ることができる。例えば、奈良県の春日大社や京都の八坂神社などがその代表例である。

春日大社は、藤原氏の氏神(春日神)を祀る神社であるが、近くにある興福寺の僧侶が神前で読経を行うなど、神仏習合の影響が見られる。

また、八坂神社は、スサノオノミコトを祀る神社であるが、境内には仏教の神である牛頭天王を祀る祠がある。もっとも今日では牛頭天王=スサノオノミコトと考えられているので、当事者は明治政府の神仏分離政策に対して、内心では腹立たしく思っていたのではないだろうかと推察する。


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