| <目次> はじめに 秩父多摩甲斐国立公園とは 原生林を歩く 両神山から三国峠・十文字峠へ 三峰山(妙法が岳・白岩山・雲取山) 三宝山から甲武信ヶ岳へ 鶏冠山から雁坂峠へ 笠取山から国師岳を経て大弛峠へ 大弛峠から朝日岳を経て金峰山へ 瑞牆山・乾徳山・大菩薩嶺 渓谷にふれる あとがき |
◆ はじめに
秩父・多摩・甲斐の山々は、深い原生林と清らかな渓谷が折り重なる、静けさに満ちた広域の国立公園です。 森に入ると、木々の間を渡る風の音がやわらかく響き、渓谷に降りると、水の流れが心を静かに整えてくれます。 歩くほどに風景が変わり、山の奥へ進むほどに、自然の息づかいが近くなる──そんな旅がここにはあります。
年齢を重ねた今、歩く速度がゆっくりになったことで、森の光や谷の水音がより丁寧に感じられるようになりました。 秩父多摩甲斐国立公園は、ただ雄大な自然を見せてくれるだけでなく、静かに自分を整えてくれる場所でもあります。本稿では、原生林の深さと渓谷の透明感を、シニアの視点からゆっくりと辿ります。
秩父多摩甲斐国立公園とは
秩父多摩甲斐国立公園は、奥秩父山塊【おくちちぶさんかい】を中心とした埼玉・山梨・長野・東京の一都三県にまたがる国立公園です。奥秩父山塊とは、おおまかに言えば、東は雲取山、西は瑞牆山、南は大菩薩嶺、北は両神山までの山域を指します。
私は大学時代にワンダーフォーゲル部に所属していたことから、奥秩父の山々へは「錬成」と称するトレーニング登山で何度か登っています。トレーニング登山なので、楽しい想い出はあまり残っていませんが、それでも金峰山や雲取山、それに甲武信ヶ岳などのことはよく覚えています。

秩父多摩甲斐国立公園は、原生林の深さと渓谷の透明感がひとつの旅の中で味わえる、稀有な広域山域です。 森の静けさと谷の清らかさ──その対照的な風景が、歩く旅に豊かな変化を与えてくれます。自然の表情が多彩で、歩くほどに新しい景色が現れ、飽きることがありません。
保水力の大きな森林と、その水が源流となって流れ出る渓谷の美さがこの山域の魅力となっています。特に、渓谷美で知られているのは、西沢渓谷、東沢渓谷や御岳昇仙峡などです。
四季の変化も、この公園の大きな魅力です。 春は新緑が光をまとい、夏は深緑が森を包み、秋は紅葉が谷を彩り、冬は静寂が深まります。季節によってまったく違う表情を見せるため、何度訪れても新しい発見があります。特にシニア世代にとっては、季節の移ろいをゆっくり味わいながら歩くことが、心身のリズムを整える大切な時間になるでしょう。

歩く旅としての魅力は、「ゆっくり進むほど見えてくるものがある」という点です。 若い頃のように速く歩く必要はありません。むしろ、速度がゆっくりになった今だからこそ、森の光、谷の水音、風の表情──そうした細やかな自然の変化がより深く感じられるのです。
秩父多摩甲斐国立公園は、ただ美しいだけではなく、歩く人の心を静かに整えてくれる場所です。 自然の雄大さと静けさが共存し、年齢を重ねた旅人に寄り添う風景が広がっています。歩く旅を続ける中で、この公園はきっと、心に残る大切な場所になるはずです。
原生林を歩く
──森がもたらす静けさと深さ
秩父・多摩・甲斐の山域に広がる原生林は、歩くほどに「静けさの層」が深まっていく場所です。 森に入ると、まず光の質が変わります。木々の葉が重なり合い、日差しはやわらかく散り、地面には淡い影が揺れています。風が枝を揺らす音は遠く、鳥の声は森の奥から静かに響き、歩く者の心をゆっくりと整えてくれます。
奥秩父の原生林は特に深く、樹齢を重ねた木々が静かに立ち並び、苔むした岩や倒木が森の歴史を物語っています。森の中を歩いていると、時間の流れがゆっくりになり、自分の呼吸が自然と落ち着いていくのを感じます。若い頃には気づかなかった光や風の変化が、年齢を重ねた今はより丁寧に感じられるようになりました。
シニアでも無理なく歩けるルートが多いのも、この山域の魅力です。急登ばかりではなく、緩やかな尾根道や森の中の静かな散策路が続き、歩く速度に合わせて自然を味わうことができます。森の中で立ち止まり、木々の間を渡る風の音に耳を澄ませると、日常の雑音が遠ざかり、心が静かに整っていくのを感じます。
原生林はただ美しいだけではなく、歩く者の内側を静かに整えてくれる場所です。森の深さに包まれながら歩く時間は、旅の中でも特に豊かなひとときとなるでしょう。
● 両神山から三国峠・十文字峠へ
両神山【りょうかみさん】(標高1,723m)は、奥秩父山塊の北端に位置する山です。古くからの信仰の山であり、表登山道とされる東面の日向大谷からの道には、数多くの石仏、石碑、丁目石が残されています。両神山、三峰山、武甲山をあわせて「秩父三山」と呼ばれます。
三国山【みくにやま】(標高1,834m)は、群馬県(多野郡上野村)・埼玉県(秩父市)・長野県(南佐久郡川上村)の3県にまたがる山です。山名は、旧国名の上野国・武蔵国・信濃国の3国の境界に位置することに由来します。山頂から1kmほど南の鞍部には三国峠【みくにとうげ】があります。
三国峠(標高1,740m)は、三国山の山頂から1kmほど南の鞍部に位置する峠です。

三国山から三宝山に続く尾根を超える峠となっています。この峠を長野県と埼玉県を直接結ぶ唯一の車道が通っています。
| 名 称 | 三国峠 |
| 所在地 | 埼玉県秩父市中津川~長野県南佐久郡川上村 |
| 駐車場 | あり(無料) |
| Link | 中津川林道(三国峠) |
十文字峠【じゅうもんじとうげ】(標高1,962m)は、奥秩父にある峠です。

十文字峠の埼玉県側斜面には十文字小屋があります。山小屋は丸太組みの昔ながらの造りで、風情があります。

十文字小屋の周辺には多くのアズマシャクナゲの群落があり、シャクナゲが開花する5月末~6月には美しい景色を堪能できます。



また、乙女の森は十文字小屋から約5分歩いた先にあり、原生林が広がっています。原生林とシャクナゲのコントラストが美しい場所です。
| 名 称 | 十文字峠 |
| 所在地 | 秩父市大滝十文字峠 |
| Link | シャクナゲ(十文字峠) ハイキング:十文字峠コース 栃本広場~十文字峠コース |
● 三峰山
三峰山とは、妙法ヶ岳【みょうほうがたけ】、白岩山【しらいわやま】、雲取山【くもとりやま】の三山の総称です。かつて修験道が盛んであった時代には信仰の対象となった山々です。
妙法が岳(標高1,326m)は、埼玉県秩父市にある山で、山頂には三峯神社の奥の院(奥宮)があります。かつての修験道が盛んであった時代の名残として山頂には祠と多くの石碑が残されています。
白岩山(標高1,921m)も秩父市にある山ですが、妙法が岳のように山頂部に祠や石碑があるわけではありません。
雲取山(標高2,017m)は、 東京・埼玉・山梨の1都2県にまたがる山です。妙法が岳のように山頂部に祠や石碑があるわけではありません。
● 三宝山から甲武信ヶ岳へ
三宝山【さんぽうざん】(標高2,483m)は、埼玉県秩父市と長野県南佐久郡川上村の県境にある山で、甲武信ヶ岳の北隣に位置します。山頂に一等三角点があり、埼玉県の最高峰です。山頂の眺望は全く開けていませんが、すぐ近くの三宝岩からの眺望が良いです。

甲武信ヶ岳【こぶしがたけ】(標高2,475m)は、山梨・埼玉・長野の3県の県境にある山で、奥秩父山塊主脈のほぼ中央に位置します。山名の由来は、甲州(山梨県)、武州(埼玉県)、信州(長野県)にまたがる山であるからという説が有力です。

● 鶏冠山から雁坂峠へ
鶏冠山【とさかやま】(標高2,177m)は、奥秩父山塊のほぼ中央部に位置し、山梨県山梨市に属する山です。山名は、山頂部に連なる岩峰がニワトリのトサカのように見えることに由来するらしい。山頂より南の尾根上に第一岩峰、第二岩峰、第三岩峰と続きます。鶏冠山は、東沢渓谷の北側に位置しています。
木賊山【とくさやま】(標高2,468m)は、山梨県(山梨市)と埼玉県(秩父市)の県境にある大きな山容の山です。木賊山の山頂は樹林に囲まれ眺望はありません。
しかし、甲武信ヶ岳方面へ少し下った所には展望の良い場所があり、そこからは正面に甲武信ヶ岳、遠くには国師岳や金峰山などの山々を望むことができます。
破風山【はふさん】(標高2,318m)は、山梨市と秩父市の県境にある山で、別名は「破不山」です。
木賊山と雁坂嶺の間に東西に長い山稜の両端にそれぞれ東破風、西破風と呼ばれるピークがあり、標高が高い方の西破風が破風山の山頂とされています。


破風山は、奥秩父山塊主脈を縦走する過程で必ず通過する山ですが、山頂を示す標識がないと見逃してしまいそうです。
雁坂峠【かりさかとうげ】(標高2,070m)は、埼玉県秩父市と山梨県山梨市の県境にある雁坂嶺の尾根に位置する峠です。かつての武蔵国と甲斐国を結ぶ峠でした。峠には笹薮の草原が大きく広がり、南側に広い展望が開けています。


かつて雁坂峠を越えるハイキングコースが国道140号に指定されていた時代がありました。自動車で通行することはできない国道のため当時は「開かずの国道」と呼ばれたそうです。


現在は、国道140号が雁坂峠のほぼ真下を雁坂トンネルで通過しています。雁坂トンネルを山梨側に出たすぐのところに西沢渓谷が位置します。一方、埼玉側には雁坂小屋があり、宿泊もできます。

| 名 称 | 雁坂峠 |
| 所在地 | 埼玉県秩父市大滝3423 |
| Link | 雁坂峠|埼玉県 日本三大峠「雁坂峠」とは? 雁坂峠(雁坂小屋公式ブログ) |
水晶山【すいしょうやま】(標高2,158m)は、埼玉県秩父市と山梨県山梨市の県境にある山です。

笠取山から雁坂嶺へ尾根伝いに行くと、燕山、古礼山、水晶山、雁坂峠を通る縦走路となります。
● 笠取山から国師岳を経て大弛峠へ
笠取山【かさとりやま】(標高1,953m)は、埼玉県秩父市と山梨県甲州市の県境にある山です。山頂南側部には水干【みずひ】(水乾)と呼ばれる多摩川の水源があります。
将監峠【しょうげんとうげ】は、龍喰山【りゅうばみやま】と牛王院平【ごおういんだいら】の鞍部に位置する峠です。付近からは、和名倉山への登山道が分岐しています。将監峠には将監小屋が季節営業(4月下旬〜11月上旬)しています。
| 名 称 | 将監峠 |
| 所在地 | 甲州市塩山―之瀬高橋489 |
| Link | 将監小屋 – 山梨県甲州市 将監小屋 │ 山小屋.info |
唐松尾山【からまつおやま】(標高2,109m)は、埼玉県秩父市と山梨県甲州市の県境にある山です。山名は、かつて山一帯がカラマツ林だったことに由来します。
飛龍山【ひりゅうさん】(標高2,077m)は、奥秩父山塊の主稜線上にある山です。山名の由来は、飛龍権現が祀られているからです。
国師岳【こくしだけ】(標高2,591m)は、山梨県山梨市と長野県南佐久郡川上村の県境にある山です。奥秩父山塊の最高峰である北奥千丈岳とほぼ一体をなす山でもあります。つまり、奥秩父山塊の主脈をなす山の一つで、山頂には一等三角点が設置されています。
山名の由来は、夢窓疎石の偉業に対して地元民が付けたといわれています。夢窓疎石は、鎌倉時代末から南北朝時代・室町時代初期にかけて活躍した臨済宗の禅僧で、作庭家・漢詩人・歌人でもあり、後醍醐天皇から「夢窓国師」の国師号を授けられた多才な人物でした。
北奥千丈岳【きたおくせんじょうだけ】(標高2,601m)は、山梨市に位置する、奥秩父山塊の最高峰です。最高峰ですが、主稜線からは少し外れています。標高差が10mしかない国師岳とほぼ一体の山であり、両山頂は徒歩5分程度で往来できます。山頂からの眺望は素晴らしく、晴れた日には360度の展望が開けています。
山名の由来は、奥千丈岳(標高2,409m)の北側約4 km先に位置することから名付けられました。最高峰であるにも関わらず、国師岳や金峰山と比べると知名度が低いのは、この山名の名付け方がやや雑であったせいかも知れません。もっとこの山に対して愛着が持てる独自の山名が付けられていたなら、奥秩父山塊で最も有名な山になっていたかも知れません。名前は大切です。
奥千丈岳【おくせんじょうだけ】(標高2,409m)は、山梨市に位置する山で、奥秩父山塊の主脈をなします。
しかしながら、白檜平【しらべだいら】の登山口から国師岳(標高2,591m)へと登っていく途中にある山であるため、山頂という印象は薄く、稜線上のこぶ状のピークの一つと捉えられ、標識がなければ見過ごされるほどです。また樹林帯のために頂上からの展望がないのも見過ごされやすいのかも知れません。不運な山というしかありません。
大弛峠【おおだるみとうげ】(標高2,360m)は、山梨県山梨市と長野県南佐久郡川上村の県境にある峠です。峠を通過する林道が整備されており、峠には駐車場もあります。一般車両で通行できる峠としては「日本最高所」の車道峠であるとされています。
峠の駐車場から徒歩約15分圏内に「夢の庭園」が整備されており、散策が楽しめます。特に、6月のシャクナゲの季節や秋の紅葉シーズンの土日祝日は大いに賑わいます。
| 名 称 | 大弛峠・夢の庭園 |
| 所在地 | 山梨市牧丘町北原 |
| 駐車場 | あり(無料) |
| Link | 大弛峠/夢の庭園/山梨県 夢の庭園|山梨市観光協会 |
● 大弛峠から朝日岳を経て金峰山へ
朝日岳【あさひだけ】(標高2,579m)は、長野県川上村と山梨県甲府市の県境にある山です。朝日岳は、大弛峠【おおだるみとうげ】から朝日峠へ登り、さらに金峰山【きんぷさん】への登山道の途中にある山です。山頂は露岩となっていて、山頂からは西側に金峰山が見えます。
金峰山(標高2,599m)は、山梨県甲府市と長野県南佐久郡川上村の県境にある山です。山頂部は開けていて360度の展望が楽しめます。古くから信仰の対象となる山で、蔵王権現が祀られています。山頂には、金櫻神社【かなざくらじんじゃ】の御神体とされる五丈岩【ごじょういわ】があります。
● 瑞牆山・乾徳山・大菩薩嶺
瑞牆山【みずがきやま】(標高2,230m)は、奥秩父山塊の西端に位置する山です。山体は黒雲母の花崗岩でできており、風化や浸食の影響で南西部には独特の景観の岩峰が聳えます。古くからの信仰の山で、洞窟には修験者の修行跡や刻字が残り、山頂の西峰には弘法岩があり、空海開山伝説も伝わっています。
乾徳山【けんとくさん】(標高2,031m)は、甲武信ヶ岳の南方、金峰山の南東、笠取山の南西、大菩薩嶺の北西に位置する山です。
乾徳山には夢窓疎石(夢窓国師;鎌倉時代に活躍した臨済宗の僧)が座禅をしたと伝わる座禅石や髪剃岩、天狗岩などの奇石があります。中腹にも夢窓疎石との関わりを伝える銀晶水や錦晶水などの水飲場があります。
大菩薩嶺【だいぼさつれい】(標高2,057m)は、奥秩父山塊の南端に位置する山です。
大菩薩峠(標高1,897m)は、大菩薩嶺の南方約2kmに位置する尾根の鞍部にある峠です。武蔵国と甲斐国を結ぶ甲州裏街道的存在であった青梅街道の重要な峠として江戸時代まで利用されていました。また、大菩薩峠は青梅街道の最大の難所でもありました。
中里介山の長編時代小説である『大菩薩峠』が原作となった映画がテレビ放送されていたのをぼんやりと私は覚えています。主人公の剣士・机竜之助【つくえ りゅうのすけ】の旅は、大菩薩峠から始まることになっています。だから大菩薩峠に登ったときには真っ先にこの映画のシーンを想像したものです。
| 名 称 | 大菩薩峠 |
| 所在地 | 山梨県甲州市 |
| 駐車場 | あり(無料) |
| Link | 大菩薩峠/やまなし観光 |
渓谷にふれる
──水の透明感と谷の風景
原生林を抜け、渓谷へと降りていくと、風景は一気に透明感を帯びていきます。 奥秩父の渓谷は水が澄み、岩肌が白く光り、谷に響く水音が心を静かに整えてくれます。水の流れは速いところもあれば、深い淵でゆっくりとたゆたう場所もあり、その変化を眺めているだけで時間がほどけていきます。
多摩川源流域の渓谷は、静けさが際立つ場所です。 水の音が一定のリズムで響き、谷の光はやわらかく、木々の影が水面に揺れています。歩くほどに風景が変わり、谷の奥へ進むほどに自然の息づかいが近くなる──そんな感覚が訪れます。
甲斐の渓谷は、地形がダイナミックで、岩壁が迫り、谷が深く刻まれています。 水の勢いが強い場所もあり、自然の力強さを感じる一方で、谷の奥には静かな水辺が広がり、歩く者をそっと迎えてくれます。渓谷の風景は、森とはまた違う「透明な静けさ」を持ち、歩く旅に豊かな変化を与えてくれます。
渓谷歩きは注意点もありますが、ゆっくり進めばシニアでも十分に楽しめます。 水辺で休憩し、谷の風を感じながら深呼吸すると、心が軽くなり、旅の疲れが静かにほどけていきます。渓谷の透明感は、歩く者の心を癒やし、自然の奥深さをそっと教えてくれるのです。
◆ あとがき
原生林の静けさと、渓谷の透明感。 そのどちらも、歩くほどに心を落ち着かせ、自然の奥深さをそっと教えてくれる風景です。 森の光や水の音がより丁寧に感じられ、旅の時間がゆっくりと心に染み込んでいく──歳を重ねた今だからこそ味わえる静かな豊かさだと思います。
奥秩父の山々には、若い頃の「錬成」と称するトレーニング登山の記憶が強く残っています。 決して楽しいものではなく、どちらかといえば苦しさばかりが思い出されます。 毎回の登山で、先輩のいない水飲み場に着くと、親友と「いつワンゲル部を辞めるか」を真剣に相談し合ったものです。
本来なら素晴らしいハイキングになるはずの金峰山や雲取山でさえ、当時の私たちにはバテバテで、辛い記憶しか残っていません。 若さゆえの無理と、体力づくりの厳しさが、山の美しさを味わう余裕を奪っていたのだと思います。
一方で、甲武信ヶ岳へ単独で登ったときの記憶はまったく違います。 鼻歌が出るほど軽やかで、歩くことそのものが楽しいと感じられました。 同じ奥秩父の山々でありながら、歩き方や心の状態によって、風景の受け取り方はこんなにも変わるのだと気づかされた登山でした。
できることなら、奥秩父の山塊では、あのときのような「楽しい登山」をもう一度味わいたい。 原生林の深さや渓谷の透明感を、ゆっくりと歩きながら感じられる旅を重ねていきたいと思います。
秩父多摩甲斐国立公園は、雄大な自然と静かな癒やしが共存する場所です。 次の季節には、また違う風が吹くだろう。 その変化を楽しみに、これからもゆっくりと歩く旅を続けていきたいと思います。
山は、歩く者の心の状態によってまったく違う表情を見せてくれます。
その変化に気づけるようになったことこそ、歳を重ねた旅の豊かさなのかもしれません。
【参考資料】
| 奥多摩・奥秩父(山と渓谷社、2009.04.15発行) |