◆ はじめに
善峯寺【よしみねでら】は、京都市西京区に位置する善峯観音宗の天台系単立寺院で、山号を西山【にしやま】と称する。御本尊は十一面千手観世音菩薩で、西国三十三所観音霊場の第二十番札所としても知られている。
その起源は1029年、恵心僧都・源信の弟子である源算上人が自作の千手観音像を小堂に安置したことに始まる。1034年には後一条天皇より「善峯寺」の寺号を賜り、寺としての基盤が整えられた。
平安から鎌倉期にかけては多くの信仰を集め、最盛期には山全体に52もの堂宇が立ち並ぶ大伽藍を誇った。しかし応仁の乱(1467〜1477)で多くの建物が焼失し、一時は衰退したものの、江戸時代に再興され、現在のような美しい境内が整えられた。
境内でひときわ目を引くのが、樹齢約600年と伝わる五葉松「遊龍の松」である。横に約37mも伸びるその姿は、まるで大地を這う龍のようで、訪れる人々を魅了してやまない。
善峯寺
善峯寺の楼門(山門)は、1716年に建立された三間一戸の楼門形式のお堂である。楼門の下には、源頼朝の寄進とされる運慶作の金剛力士像が安置されている。楼上にはかつて文殊菩薩と脇侍二天が安置されていたが、今は宝物館に所蔵されているらしい。この楼門は、善峯寺の歴史と美しさを象徴する建物の一つと言えるかも知れない。

観音堂(本堂)は、1692年に桂昌院の寄進により再建された入母屋造のお堂で、御本尊は十一面千手観世音菩薩である。

多宝塔は、1621年に建立され、国の重要文化財に指定されていいる。御本尊として愛染明王が祀られている。
阿弥陀堂は、1673年に建立され、常行堂とも呼ばれている。
鐘楼は、1686年に桂昌院により建立され、徳川綱吉公の厄年に寄進されたことから「厄除けの鐘」と呼ばれている。
護摩堂は、1692年に桂昌院により建立され、御本尊として五大明王が祀られている。
経堂は、1705年に建立され、鉄眼版一切経が納められているという。
釈迦堂は、1885年に建立され、御本尊として釈迦如来が祀られている。

遊龍の松
善峯寺は、国の天然記念物に指定されている「遊龍の松」で有名である。このマツは、推定樹齢が600年以上の五葉松(ゴヨウマツ)で、全長37mにわたって横に伸びる姿が特徴的である。

回遊式庭園
善峯寺は、アジサイ(紫陽花)の名所としても知られている。

境内の回遊式庭園では四季折々の花が楽しめるが、特に6月には紫陽花も観ることができる。

善峯寺は、歴史的な建造物や美しい自然景観が調和した場所で、訪れるたびに何か新しい発見がある素晴らしい所である。
| 名 称 | 西山 善峯寺 |
| 所在地 | 京都府京都市西京区大原野小塩町1372 |
| TEL | 075-331-0020 |
| 駐車場 | あり(無料) |
| Link | 京都・西山 西国第二十番札所 善峯寺 |
◆ あとがき
善峯寺は、桂昌院【けいしょういん】ゆかりの寺としても広く知られている。桂昌院は江戸幕府三代将軍・徳川家光の側室であり、五代将軍・綱吉の生母でもある。幼名は玉、本名は光子とされ、京都の八百屋の娘から将軍家の側室へと上りつめたことから、「玉の輿【たまのこし】」という言葉の由来になった人物としても有名だ。
当時の厳しい身分制度の中で、庶民の娘が将軍家に迎えられることは極めて異例であり、人々の驚きをもって語り継がれたのだろう。玉が神輿に乗って京から江戸へ向かったという逸話が、「玉の輿」という表現を生んだと伝えられている。
実際には、桂昌院は春日局に従って江戸へ下り、徳川家に仕える中で家光の寵愛を受け、1646年に綱吉を出産した。家光の死後、1651年に「桂昌院」と号したとされ、このとき彼女は25歳であったという。
善峯寺は、こうした桂昌院の寄進によって江戸時代に大きく発展した。京都生まれの彼女は、故郷への恩返しとして多くの寺社を支援したが、その中でも善峯寺への寄進は特に大きなものであったと伝わる。